明日への道 40代障がい職歴なしニートの夢

人生100年時代、残りの人生を楽園とするか?地獄とするか?
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人生有意義に毎日奮闘中!!

アウトレットモールへ行ってみた。何も買えないけどね

2025年02月21日 | 日々の生活

珍しくアウトレットモールへ行ってきた。特に何も買うものはないが。

平日のせいかそれほど混雑はしていなかった。どこか外国語も聞こえてきたが。

アウトレットモール内に入ってもそれほど緊張はしなかった。また誰かに噂さをされているような感覚にもならなかった。以前に比べて人混みに馴れてきてるのだろうか。

楽器店にてギターのピックを二枚だけ買った。服や靴は買う事はできないがこれくらいならいいだろうと。

何故か自分が虚しくなる気持ちにはならなかった。それよりも外に出かけた解放感が大きい。世間と接触を持てたとそんな気持ちがうれしい。

実際は独りこもったままアウトレットモール内に居たといった様子。独りの世界。ウォークマンの充電は切れてしまっていたので、音楽で外界を遮断はしていなかったが。

社会と関わりを持つ、でも行き場はないが。障がい者や病人ばかりがあつまったところもなんだか嫌だが。

もう誰かと買い物へ行くことなんてないかもしれないが、ひとりを謳歌するものいいだろう。過去を振り返ってみろ、無理した人間関係ばかりでとんでもない思いばかりしてきたじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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将来の絶望。家族にきつく一言いわれる

2025年02月20日 | 大切にしている事

もう自分の将来は絶望だと家で言っている。

家族と死に別れ、お金も財産もなくなり、何もない生活保護の老いた男の精神障害者ができあがると。今でさえ何もないのにこれからさらに何もなくなって行く、もうこんな人生で終わるとも。

家族には今から仕事に就こうとしても、ブラック過酷低賃金労働しかない。また病気が悪くなって長期入院になったら余計にお金がかかる、もうやめてくれと言われている。

そして、「だったらそうならんようにお金を貯めたらいいのや!」と言われてしまった。

仮に毎月4万円でも一年にしたら48万円、二年もしたら百万円近くなる。これを家族がいなくなってしまうだろう数年後までにどうにか積め立てていくのだ。

もう無駄使いは出来ない。人生の潤いもお金がかからない事でどうにかやっていくしかない。資本主義の経済観念に飲み込まれないように。

消費しない生活、つまりシンプルライフがこれから自分の人生の指針なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もうすぐで春。次なるお出かけの目標

2025年02月19日 | 夢への道

もうすぐで春になる。今も少し日が長くなってきている。もう一か月もしたらお彼岸なわけだ。春になると新しい事をやりたくなる。暖かくなる、つまり発情期だ。

今の自分ができそうな事は、また新たな場所へのお出かけだ。その候補はスーパー銭湯と映画館だ。

スーパー銭湯では入浴をして食事もできたらいいだろう。予算は三千円以内だ。ゆっくりと日中に三時間ほど滞在できたらようほうだ。

そして映画館はGWにか。名探偵コナンでも観に行けたらいい。きっと今年のGWもどこへも行かないだろうから。

春、冬が終わりなんだか気持ちが明るくなってくる。そして新しい何かをと。出会いの季節。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分も人生を楽しんでいいのか?障がい者ニートという身分から

2025年02月18日 | 日々精進

自分も人生を楽しんではいけないのだろうか?そんな観念が起こる。

このままだと将来は生活保護である。そんな人間が人生を楽しもうなどと身分をわきまえているのか?と頭の中で自分が自分を攻め続ける。

きっと生活保護といった人間は、世の中に申し訳なさそうに生きないといけないと、そんな価値観が自分にあるからだろう。人工透析といった多額の医療補助を受けている人間も同じようにだ。

きっとこの価値観は、ずっと病気の自分を攻め続けていた自分があるからだろう。よって何か他の障がい者と自分は違う。

以前に今話題の障がい者雇用代行ビジネスの貸農園の説明会へ行ったことがある。その時にいた他の障がい者を見た時になんだか自分の違うものを感じた。

堂々していてある意味わがままそうな、なんだか障がい者を許してもらえているどころか甘やかされているように感じてしまった。そして怒りのような感情が芽生えた・・・彼らは許されていて自分は許さていないみたいな。

きっとそんな彼らは障がい者でできないことをあえてやらされるような事が少ない人生を送っていたのだろう。きっと本当の意味の自尊心を高めるようにと人生を送ってきたのだろう。

自尊心とは自分を正しく評価して認められることである。障がい者に鞭を打って物事をやらせる環境では正しい自尊心は育たない。

何か歪んでしまった価値観から自分も人生を楽しんでよいと思うようにさせない。いいんだよそれでと、そんな許してくれるような愛情や自分への価値観を今の自分は求めているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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労働がうまくいかないと人生の大半は終わりと。でも企業は自分を大切にしてくれるのか

2025年02月17日 | 大切にしている事

ずっと自分を無価値に思ってきた。なぜなら労働がうまくいかないと人生は終わりという考えがあるからだ。

サラリーマンなら企業に勤めるわけだが、企業は人間をそこまで大切にしてくれるのだろうか??

障害者採用枠にて就職活動をしたことがあるが、はっきりいって企業に人間扱いはされなかった。結局は法定雇用率であり、雇いたくなくても雇わないといけない話である。できることなら組織に障害者なんて存在して欲しくないのだ。

つまり雇ってもらえないとなると、人生から労働というものが無くなってしまう。すると人生が終わった気になってしまうことが多いだろう。

ならどうしたら人生に意義を持てるようになるのか?そのひとつは人間関係、つまり人とのつながりかもしれない。

家族と仲がいい、たわいもない会話ができる人がいる、信頼できる医師や医療スタッフがいる、そんな事でいい自分が大切されていると、どこかで感じられるものが必要なのではないか?

俗に精神障害は人間関係を壊してしまう、脳が円滑なコミュニケーションをできないようになってしまうからだ。だから孤立してしまうわけだ。

きっとだんだんと家族などと落ち着いて接することができるようになってきたら、それは病状が安定してきたことなのだろう。それには安定しやすい対人関係を選ぶことも肝心だ。そう、人付き合いは選択できると思うことだ。きっとうまく選択したらよい人付き合いができるようになる。

あと障害者は労働というものを選択しないで生きることが健常者よりできやすいかもしれない。労働で人生の大半が終わったなんて、現代のすべては労働で価値が高められるという価値観からのものだ。

労働だけで人生を決めてしまわないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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