明日への道 40代障がい職歴なしニートの夢

人生100年時代、残りの人生を楽園とするか?地獄とするか?
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いつ終わるのか。人生の最後の時を。

2024年10月31日 | 日々精進

最近思って仕方ないことがある。それは自分の人生の最後だ。

永遠に最後を迎えないという事はない、いつかはやってくる事なのだがそれを待ち遠しいのだ。

いったい自分の最後とは?と想像するとなんだかワクワクするようなブラックホールの彼方を思い浮かべるような感覚になる。

ずっとこんな人生なので疲れてしまったのか、果てしない旅路の感覚に陥っているのだろう。しかし自分の最後は案外身近な事なのでは?と我に返る。

ずっと苦しい旅路を終わらせたいと様々な事があった。でも今でも苦しみは続いている。それが終わる時というのは極楽浄土へ行けたという事になる。

念仏が流行した時代というのはきっとどんな人たちも苦難ばかりの時代だったのだろう。死を迎えて苦難が終わるその安堵感を想像できる。

これからの人生はさらに苦難しかないと思っている。幸せを掴み取ろうとも思わない。掴もうとすると反って苦難に陥ると思考してしまう。

念仏、もしかしたら今自分を慰めてくれるものかもしれない。ブックオフで何かそのような事を書いた学術書を探してみようか。

 

 

 

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できる事が少なくなったのか。無為自閉か。

2024年10月30日 | 日々の生活

寒くなってきたせいなのか、ここんとこ寝たきりになっている。特にどこかへ出かけようとも思わない。そして何かを購入しようとも思わない。

ただずっと布団の上でゴロゴロと。少し変化があったのはラジオを流しておくようになったことか。

コツコツと小銭を貯めたので3万円ほどのお小遣いができたが、それで何かをやってみようかとワクワクすることもない。スマホとPCとインターネット回線があればよい。

薬が効いているせいなのかもしれないが。陰性症状を強めることがあると抗躁剤が先日に減薬になっている。あまり実感がないが。

お金を使うのが怖いこともある。反動でブックオフで100~200円の古本は簡単に買ってしまっているが。

 

こんな自分だがクリスマスにはある目標を持っている。エレキギターを店舗へ買いに行くという計画だ。

ずっと電車を30分以上乗って大きな街へは行っていない。人身事故があったりして電車が止まったりしないかと不安もある。混雑した電車内は大丈夫かなども。

でも今回は通販は利用しない。店舗へ行って店員さんと話をして注文して再度お店を受け取りにいくのだ。

これは御茶ノ水や渋谷クラスの街へ行くことになるだろう。今どきの若者なんていう人達もいるだろう。大丈夫だろうか?自分。いやエイっと行ってみるのだ。たとえ購入しなかったとしても。

一年かけてエレキギターのお金も貯めた。あとは決心と思い切りと行動とお金を持ったいなく思わないかだ。もしかしから他の事を思い出すかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

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新しい社会へ行くのは怖い。嫌な目に合うだけだど。

2024年10月29日 | 日々の生活

時に新しい社会の場へ行くことをイメージする。その社会の場とは就職、つまり職場だが。

すると嫌な感覚に襲われる。職場へ行くということが、とても自分に災いや危険をもたらすという感覚になる。

そのイメージは仕事の成果を出せないのではない、つまり人間関係だ。

悪意を持って自分に他の人が接してきて、さまざまな嫌がらせをされるとなる。雇用契約も悪意を持って騙すように働かせると。

昔の経験がこんな自分にしてしまったのだろう。本当に嫌な出来事や人間関係しかなかったのだろう。

よって働くというイメージがいじめの世界にしか結びつかなくなってしまった。いくらきちんと仕事の成果を出しても悪意で潰されたり、騙されるように働かされると。

昔に自分も我慢をしすぎたのだろう。嫌なら止めたらいいのだ。それをやめる事が負け犬だと自分で勝手に考えていた。

仕事というのは得にならないといけない。ようは利を得ること。さまざまな意味で利となっていないのに止めれないというのは仕事をする上で失格だ。止めれないのは依存症か何かだ。

昭和の教育で凝り固まった感覚が止めるということを悪とする。続けることが美徳だと。きっとこれは終身雇用からの文化でもあるのだろう。過ぐに投げ出すのではない、利が得られないのだ。

それが我慢して行きついたのが仕事へのイメージの歪みになってしまった。仕事とはいじめ倒されながらも続ける事となってしまった・・・

どこの社会の場へ行っても、馬鹿にされ差別され疎外され悪意に満ちて相手が接してくると、そう自分自身に対して思うようになってしまっている。

 

 

 

 

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あの時のうれしさを忘れていないか?

2024年10月28日 | ささやかな幸せ

立ち止まって自分を振り返ってみた。この年末年始は閉鎖病棟から退院してから何回目だろうか。もうその頃の年末年始は自分がどんな状態だったか忘れてしまっている。

かすかに感覚が残っているのは、なんだか新鮮さの様な開放と意欲にあふれるような感覚だ。

頭の中の状態も体の調子も最悪だったが、コンビニへ行くのもうれしかった。おにぎりを自分でお金を払って買ってくる事も大変だった。

今、気にしだしていることは、欲がもっともっととなっていっている事。あの頃の状態から思えば今の状態にとても感謝すべきだ。

もちろん自分のリハビリの努力の成果もあるが、まずいなと思うことは不平不満のセリフが出てきたこと。これは欲求不満の表れだ。

不平不満というのは自分にもさらにもっと上の欲を満たすことができるのでは?という観念があるいうこと。おれもおれにも欲しいだ。今までの経験ではこれはまずい状態。何かを忘れてしまっているのだ。

あの閉鎖病棟から退院した時の、新鮮な開放的な素直な気持ちを思い出そう。そして感謝しよう。あれから数年間、自分はがんばってよくやってもいると自分を認めよう。

きっとこれからも幸せで素直な気持ちで過ごせると信じよう。

 

 

 

 

 

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実際に自分が使っているモノは。部屋には無駄な使っていないモノがいっぱい。

2024年10月27日 | 日々精進

毎日いつも必ず使っている持ち物は何だろうか?と少し振り返ってみた。

まずはスマホ・タブレット端末、そしてPCか。あとはTVといった様子。他には所有している本でどのくらい再び読んでいないかといった事になる。

また100円ショップで購入したような、いつ買ったのか何のために買ったのかわからない小物がたくさんある。これらでも塵も積もれば山となり金額にして万円単位になっているだろう。

そして部屋が散らかることで精神衛生上よくない。頭がまとまらなくなるからだ。段ボールにしまって一見見栄えがよくなっても、その段ボールの中身をみることがないなんてこともある。いっそみんな捨ててしまおうか・・・そう思うが。

いつか何かで使うかもしれないから取っておこう、こんな心理になるのはすなわちお金がないからだ。そのお金がないというのはまた買えばよいとなれない事である。

もう新品で買うことのできないモノは捨てるにはとまどうが、また普通に手に入るになら、、、捨ててしまうのが合理的だ。しかしそう資金がないとなるとそうはいかない。

モノを取っておくと、その分部屋がモノで埋まって空間が狭くなる面も。これも住宅費の無駄になる。

本当に悩み深い。これには思い切りが肝心か。エイっとやってしまうのだ。捨ててしまって生活してみたら案外平気かもしれない。案ずるより産むが易し。

モノが減った部屋の空間で過ごすようになってみたら、何か心も晴れるだろうか。

 

 

 

 

 

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