明日への道 40代障がい職歴なしニートの夢

人生100年時代、残りの人生を楽園とするか?地獄とするか?
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ミニPCで遊びたい。それより精神科デイケアへ行くことかな

2024年12月19日 | 夢への道

もうすぐ冬至である。よって日がとても短い。なので冬季うつといった様子。どうしても部屋でぬくぬくとしてしまう。やることはネットと読書だ。

今が様々な定額ネットサービスがある。動画配信、通販、ソフトウェアのレンタルといったように。本もネットで注文したら次の日には届けてくれる。電子書籍にしたらもう即時に読むことができる。もう部屋の独りでいてもさみしくない、そんな時代になったのだ。

自分はパソコンが好きなのでIT関連の本をよく読んでいる。そんな中で一冊の本を見つけた。自宅で自分のパソコンでサーバーを構築するという本だ。

自宅サーバ構築という話は20年以上前から興味を持ったことがあるが、基礎知識を勉強していなかった。しかしここ数年間にて情報処理安全確保支援士とネットワークスペシャリストを受験していたので、合格はしていないが知識が増えたのは確かである。

そこで少し意欲が湧いたのか、ミニPCというマシンを購入して自宅サーバーを立てたくなったのだ。これは少しばかりの進歩なのだろうか?

しかしこのミニPCは今の自分には高価だ。実際に最後まで稼働させることができないかもしれないのに数万円を出費するのは勇気がいる。でも何もしないよりやってみるほうがとそんな誘惑もが。

結局、外に出かけるや家族以外の他人と接するということは相変わらずできていない。ミニPCもパソコンである、独りでいじるだけだ。

どうしたらいいものか、やはり一番やるべきことは精神科デイケアへ行く事なのかな。

 

 

 

 

 

 

 

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一歩歩いたら二歩分立ち止まって。それでも前へ進んでいく

2024年12月17日 | 夢への道

今日は一日寝ていた。朝も遅く起床したがまた午後から夕方までと布団の中へ。いつもはゴロゴロといった様子だが今日は寝てしまう、つまり睡眠を取ったという様子。

ここ数日間は毎日2時間以上学習のための参考書を読んでいた。春にネットワークスペシャリスト試験というIT資格試験を受験しようと思っているからだ。

しかしやはり勉強はしんどい。特に過去問演習がとてもしんどい。問題を読む前から疲れのようなうんざり感が沸き起こってくる。でもやらなければいけない。

いつも夕方から深夜にかけて学習することがほとんどだが、やはり翌日に疲れが残るようだ。この事を実感するとやっぱり自分は病人であり精神障害なんだと自覚できる。

よくYoutubeでIT関連の動画を見ている。とくに自宅サーバーを構築している人の動画が好きだ。するとやっぱり思ってしまう、システムエンジニアになりたかったと。

自分が若い頃はIT土方という言葉が流行っており、精神障害の自分がクローズ就労にてシステムエンジニアになるのはとても危険と感じていた。特定派遣の客先常駐SEになら十分就職できただろう。

やはりIT関連は実務経験が肝心だ。実務を通して多くのことを学ぶことができる。しかし自分はそれは無理だった。

そこで悔しさとせめてもの慰めでIT国家試験だけは受験している。そして実務に関しては自宅でパソコンを買って、なにかそれらしいことをやって楽しむのが慰めだ。

毎日の様子は何かを行うと次はぐったりしている。そしてまた何か行う日がある。連勤なようなことはできないけれど、そんな中で自分の範疇で人生を生きていてよかったと思えることを増やして行けたらいい。

 

 

 

 

 

 

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10年選手の引きこもりの再社会参加。いったいどこへ行けば?

2024年11月22日 | 夢への道

もう社会生活から脱落して10年になる。内3年間は閉鎖病棟での人生だが。もう家族としか人とは接していない。あとは月に2回ほど訪問に来る市の福祉相談員と主治医だけか。

やはりもっと他の人間と接するようにしたほうがいいのだろうか?そう思ってしまうが、対人関係が自分の状態を悪くしてしまうのも確かだ。

そんな事をうじうじと考えていないでエイっと人の集まる場所へまた行った方がいいのだろうか?すると行先はやっぱり精神科デイケアか地域支援センターか。

なんだか自分は死ぬまでこのペースの生活を続けられると、そして続けようと思ってしまっている。家族がいなくなり財産も尽きたら生活保護になれると。するとそこにとても安堵感を感じている。そう何もしなくてよいと。

もう自分には就労や社会参加といったことは無理だと思っているのだろう。なので社会参加したいと気持ちにもならない。諦めているからだ。そこにはもう人恋しさなんてものはない。インターネットと古本があればよいといった様子だ。孤独を嗜む。

自分ももうすぐ50代である。ミドルエイジクライシスの頃だが、もっと老いたあとは死を待つのみといった感覚の人生感になっている。もう何もしなくてよい、この事にとても安堵感がある。あとは待つだけの人生。

いったい何かをするという事をこんなにしんどく感じてしまうようになったのか?病気の症状なのか?それとも足るを知ってしまったのか。そして実際は安全地帯にいるからか。

世の中のほとんどの人々は生計を立てるために就労している。だが自分にはその必要がない。福祉貴族とでもいいのか。つまりあがりだ。生活実態はほとんど布団の上で時に近所へ散歩へいくといった生活だが、自分は穏やかに過ごせているのでとても満足している。これが精神障害者の大切なポイントか。

もう自分は障がい者であって一般健常者とは違うと、ここを理解して納得しておく事が肝心だ。一般健常者と同じようにと思うと悪い方向へと進んでしまう。身の丈と自分自身次第。

さらに一歩なら、どこへ行けばいいのだろうか・・・

 

 

 

 

 

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今週末もウィンドショッピングへ。でも熱くならない。平板化しているのかな。

2024年11月17日 | 夢への道

調子が出てきているのか、また電車を二駅ほど乗って繫華街へウィンドショッピングへ行ってきた。

行ってきたお店はいつものようにパソコン屋さんと楽器屋さんと模型店といった様子。もうすぐクリスマスなのでちょっとへそくりを使ってやろうかとそんな気持ちもあったので、商品を色々とみてきた。

通販と違ってやっぱり品を見ることのできる実店舗はよい。実際の品を見てみると質感といったことが通販と違ってわかる。

パソコン屋さんにてゲーミングデバイスに触れてきたが、とてもよい造りをしていた。その分高価であるが。しかし高価だがそれでも欲しいと自分はならなかった。今使っている安物でもいいと思うのでなく、なんだか自分が熱くならないのだ。とても不思議な感覚なのだ。

これは病気や薬のせいなのだろうか?そう考えてしまう。なんというのか脳が反応しないのだ。欲しいという反応を脳がしないのだ。普段も何かをやりたいやこうしたいといった感情や感覚が乏しくなっているもの何だか自覚できる。そう脳が熱くならない。

楽器屋さんと模型店でも同じ様子。別にいらないじゃんとそんな様子かもしれない。でも自分はお店に商品を見に行っているのにだ。

いったいこの不思議な感覚はなんなのだろうか?もう何年間も布団の上で過ごしているものこのせいなのだろうか?

だが最近盛んにやりだしたblogはなぜかできている。つまりそれほど興味がないものを街に見に行ったということか。

もしかしたらお金がかかるから自分を萎えさせているのかもしれない。blogは毎月数百円だけ課金するようにしたが見に行った商品は万単位の価格をするものだ。

もしかしたら自分は倹約家になった、言い方を変えたらケチになったということか。ただそれだけかなと。

ケチはケチの道で楽しみと潤いを見つけていくかな。

 

 

 

 

 

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抑圧しているのか?意欲がないのか?諦めているのか?

2024年10月24日 | 夢への道

自分はやっぱり意欲は乏しいのか・・・近所へ少しだけ外出したらそう思った。

朝起床して満員電車に乗って会社へ行き8時間働いてまた電車で帰宅する、そんなことはもうできないと言われている。すると経済的に困窮するわけである。

なんだか興味を持つ感覚が芽生えてもすぐに収まる。諦めからの抑圧でないか?と感じる。つまり何か行う経済的余裕がないので意欲を思わないようにしているのだ。

我慢をしているとも言えるがなんだか感覚が変だ。あまりストレスに感じない。むしろ意欲を面倒なものととらえている。

いったいどうしてしまったのか?普通もっと欲望が表れるのでないか。もしかしたらとても満足をしているからかもしれない。老いたからかもしれない。

いつも表情は無表情だ。笑うことはない。他人にも笑わない人と言われることがある。病気の症状かもしれない。

物凄い躁になってたくさんお金を使ってしまったり他人を巻き込んだりはしていないのでまだよいのだろうか?でも少しだけなんだか物足りなさのような感覚を感じている。

自分の本音に素直になれたらいいのだろうか?少しくらい羽目を外してもよいのだろうか?よくわからない。

楽しい、うれしい、わくわくする、やはりこの気持ちが自分には必要で大切なのだろう。

 

 

 

 

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