今朝、降りてきた言葉。
育てる教育から、育つ教育へ
教育が限界に来て、パラダイム変換を求められている。
そう感じている人も多くなったと思います。
教育は、すべての人に関係しているから、考えもそれぞれと言えますが、統一感を持って言えることは何かという哲学的な問いが最近自分の中でありました。
その1つの答えが上記です。
”育てる”というニュアンスは、あくまで未熟な子どもを大人が面倒みてあげる的なスタンスが見え隠れします。だから、教育の設計もそうなっていますよね。転ばぬ先の杖ではないですが、おこりえる心配や不安を払拭すべく、いろいろと準備し提供し、カリキュラムについてきてもらうという発想。
一方、”育つ”というニュアンスは、もともと学習主体者には潜在的に自ら学んで吸収していったり、様々な能力を発現する力を持っている。それを信じて、学習をとりまく環境整備を行うということ。
「育ててあげないと、育たない」という先入観が日本には強すぎる。
育つ力は内在しているから、それを信じる。でも放置じゃない。
砂漠に例えると治水工事はしっかりしておけば、あとは木々が自ら水分を吸い上げ、自己調整し森にしていくというような感じです。
私達大人は、ともするとこれまで、未熟を前提に過剰なカリキュラムや強制をしすぎてきていて、その弊害が生まれている。だからもっと 育つ環境に力点をシフトし、成長を見守り必要に応じて必要なサポートをするということでよいのではないだろうか?と・・・
与える教育に慣れているとなかなかアンラーニングできないかもですが、より次世代の時代に合わせた教育パラダイムのコンセンサスを取っていく時代なのではないかと感じる今日この頃です。
私達大人は、ともするとこれまで、未熟を前提に過剰なカリキュラムや強制をしすぎてきていて、その弊害が生まれている。だからもっと 育つ環境に力点をシフトし、成長を見守り必要に応じて必要なサポートをするということでよいのではないだろうか?と・・・
与える教育に慣れているとなかなかアンラーニングできないかもですが、より次世代の時代に合わせた教育パラダイムのコンセンサスを取っていく時代なのではないかと感じる今日この頃です。