教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

オープンダイアローグのミニ体験

2024-12-17 | 生き方・働き方改革

ウェルビーイングをつくりあう対話の実践を考える(NPO法人soar主催)」の第1回目。

”第1回は、精神科医でオープンダイアローグのトレーナーである森川すいめいさんに「オープンダイアローグ」についてお話いただきます。「オープンダイアローグ」はフィンランドの精神科で生まれたメンタルヘルスケアのアプローチのひとつで、日本語に訳すと、「開かれた対話」という意味。精神的に困難を抱えた人と一対一ではなく、関係者を含めた2人以上で輪になって、どんなことに困っているか、何を話したかったかなど、対話を重ねながら考えていくミーティングを中心に据えた取り組みです。フィンランドでは対話がとても大切にされていて医療現場だけでなく、議会や教育現場、家庭など様々な場所で「対話の場」がもたれます。”(イベント案内ページの解説より)

今回の”オープンダイアローグ”を扱った回で自分が気づいたことをまとめてみますと

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(1)本人不在の場所で本人のことを決めない
これは、最近の意思決定支援でもよく言われていること。オープンダイアローグでは本人を含めて内容をオープンにして対話が行われる。良かれと思って、また、「どうせわかるはずがないだろう」とか「本人の自覚もあまりないだろう」という推測で、本人抜きで決めていかれることが福祉・教育・医療分野ではまだまだ多い。この意識転換が必要なのかもと感じた。

(2)モノローグとダイアローグ
演習で、2人ペアになり、モノローグを交互に行う体験。モノローグ中は、聴く側は質問したり意見したりせず、ただ相手の話すことに耳を傾ける。モノローグは、装置としてやらないと通常の対話・会話ではなかなかない状況がつくられる。ただ、このモノローグの話し手・聴き手体験が豊富になってくると、お互いに聴きあうという環境の基盤ができるような気がしたし、これから注目されていく手法だと感じた。

(3)忍耐
実際にオープンダイアローグの場では、相手の話を聴き終わるまでは介入しないということであったが、だとすると話しが非常に長い人の話をさえぎらずに最後まで聴き切ることができるのか?もしできるとしてもそれはとてつもない忍耐が必要になるのではないか?という疑問がわく。講師の森川すいめいさんによると、”よく聴いてもらった。こちらも話きった”という体験をすれば、その後はさほど長時間の話にはならないそう。そういう体験がないからこそ、話しが長くなっていく。だから、しっかり時間をとって聴いてあげる必要があるとか・・・(ニュアンスは違うがそのような内容)

確かに、一度、徹底的に聴く姿勢というのは、時間に追われている現代人にとっては「装置・環境」をつくり出さなければなかなか難しいなと感じた。

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世の中で行われている対立的(もっと言えば戦いに近い)な言い争いや、一方が支配的に話して従わせているような場面(組織や医療)では、本人が本音でオープンに心の中を開示することはないことでしょう。その状況が続けば、それがフラストレーションの限界や諦め、無気力などにつながっていくわけです。

「オープンに話しましょう」といいながら、自分の価値観のみでジャッジしたり、相手より優位性を保とうとしたり、意図せず相手を攻撃したり・・・ こうしたコミュニケーションを自ら俯瞰的に評価し、オープンに話すということはどういうことか?を改めて今後も深ぼっていこうと思います。

 

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