英語は、Yes/No 思考で・対立的であり、日本語は、創造的思考・融合的である。
このことをはっきり感じたのは、9・11テロの後Eメール交換をしていた
アメリカ人男性が、”自分はブッシュの決断を支持する。なぜなら・・・・
あなたはどう思うか?”と書いてきたときだった。日本人どうしなら、特に
互いに親しい場合、政治的な議論を避ける傾向があるが、アメリカ人は
自分の考えを明確に表現してそれをディベート(交流)しようとする。
このメールへの私の返信は、”70パーセント支持するが、30パーセントの
疑問がある。それは・・”というものであった。日本語の発想は”賛成か反対か”という2者択一にはなじまないのであり、より複雑な解答を導こうとする。
AかBか?という問いに(AとBを共に含む)Cと答えるのである。
だから、ディベートより、創造的な結論を生み出す多数者によるディスカッション
が、日本の文化になじむのではないだろうか?
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アメリカ人男性が、”自分はブッシュの決断を支持する。なぜなら・・・・
あなたはどう思うか?”と書いてきたときだった。日本人どうしなら、特に
互いに親しい場合、政治的な議論を避ける傾向があるが、アメリカ人は
自分の考えを明確に表現してそれをディベート(交流)しようとする。
このメールへの私の返信は、”70パーセント支持するが、30パーセントの
疑問がある。それは・・”というものであった。日本語の発想は”賛成か反対か”という2者択一にはなじまないのであり、より複雑な解答を導こうとする。
AかBか?という問いに(AとBを共に含む)Cと答えるのである。
だから、ディベートより、創造的な結論を生み出す多数者によるディスカッション
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