どこにでも生えているチガヤだが、これが万葉の頃から歌われている浅茅のことだとは知らなかった。
食べられたりもするんだ。
(2019-04 神奈川県川崎市、道端)
チガヤ(千萱、茅、学名:Imperata cylindrica (L.) P.Beauv.)は、単子葉植物イネ科チガヤ属の植物である。日当たりのよい空き地に一面にはえ、細い葉を一面に立てた群落を作り、白い穂を出す。かつては食べられたこともある、古くから親しまれた雑草である。
特徴
地下茎は横に這い、所々から少数の葉をまとめて出す。地上には花茎以外にはほとんど葉だけが出ている状態である。葉には細くて硬い葉柄があって、その先はやや幅広くなり、広線形。葉はほとんど真っすぐに立ち上がり、高さは30-50cm程になる。葉の裏表の差はあまりない。葉の縁はざらつくがススキほどではない。
葉は冬に枯れるが、温暖地では残ることもある。この時期、葉は先端から赤く染まるのが見られる。
初夏に穂を出す。穂は細長い円柱形で、葉よりも高く伸び上がり、ほぼまっすぐに立つ。分枝はなく、真っ白の綿毛に包まれていて、よく目立つ。種子はこの綿毛に風を受けて遠くまで飛ぶ。
日向の草地にごく普通に見られ、道端や畑にも出現する。地下にしっかりした匍匐茎があるため、大変しつこい雑草である。河原の土手などでは、一面に繁茂することがある。
芽の先端が細く尖り、塩化ビニール製の蛇腹ホース程度なら貫通する場合もあるという[1]。
花の構造
花穂は白い綿毛に包まれるが、この綿毛は小穂の基部から生じるものである。小穂は花序の主軸から伸びる短い柄の上に、2個ずつつく。長い柄のものと、短い柄のものとが対になっていて、それらが互いに寄り沿うようになっている。
小穂は長さが4mmほど、細い披針形をしている。小花は1個だけで、これは本来は2個であったものと考えられるが、第1小花はなく、その鱗片もかなり退化している。柱頭は細長く、紫に染まっていて、綿毛の間から伸び出すのでよく目立つ。
分布
日本では、北海道から琉球列島までの全土でごく普通。国外ではアジア大陸の中西部からアフリカ、オーストラリアにわたる広い範囲に分布し、現在では北アメリカにも帰化している。なお、日本にあるものをフシゲチガヤ(var. koenigii (Retz.) Durand et Schniz) として変種とする説がある。原名変種は地中海沿岸に分布し、節に毛がないこと、小穂がやや大きく、柄がほとんどないことで区別される。
なお、チガヤ属には世界の熱帯から暖帯に約10種があるが、日本では1種だけである。
遷移との関係
遷移の上では、多年生草本であるので、1年生草本の群落に侵入すると、次第に置き換わってやや安定した草原を形成する。日本では、やがてススキなどが侵入すると、背の高さで劣るため、チガヤは次第に姿を消し、ススキ草原やササの群落から松林へと遷移が進む。
河川の土手などでは、定期的な草刈りや土手焼きなどによって、チガヤ草原が維持されている。昭和中期までは、土手の草は家畜の飼料や田畑の肥料として用いられたため、このような草刈りは定期的かつ丁寧に行われ、そのため土手の草は常に低く抑えられていた。ここにチガヤを主体として、ツリガネニンジンやツルボ、ワレモコウや、あるいは秋の七草などの草花が咲く環境が維持されていたようである。それ以後は、農業の形態が変わってこのような土手の草の需要がなくなったこともあって、草刈りや土手焼きは行われることが少なくなり、また富栄養化も進み、草丈が高くなってしまったところも多い。セイタカアワダチソウや、オオブタクサなどが侵入し、置き換わった場所もある。都市近郊では、大規模な改修が進み、芝生やコスモス畑などの人工的な緑地となったところもある。しかし道路周辺などの草刈りの行き届いた場所では、現在もよく見ることが出来、ごく普通種であることには代わりはない。
なお、日本以外の地域においては、チガヤ草原がより広範囲、恒常的に存在する場所もある。特に、熱帯から亜熱帯にかけての雨季と乾季のはっきりした地域ではチガヤは非常によく繁殖し、「世界最強の雑草」という称号すらある。世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) 選定種の一つである。東南アジアなどで森林を破壊するとアランアランと呼ばれるチガヤ草原になりやすく、そうなると遷移を妨害してなかなか森林が回復しないと言われる。
人間との関わり
ごく人間の身近に生育する草である。地下にしっかりした匍匐茎を伸ばすので、やっかいな雑草である。
他方、さまざまな利用も行われた。そのため古くから親しまれ、古名はチ(茅)であり、花穂はチバナまたはツバナとも呼ばれ、古事記や万葉集にもその名が出る。
この植物はサトウキビとも近縁で、植物体に糖分を蓄える性質がある。外に顔を出す前の若い穂は、噛むと甘く、子供がおやつ代わりに噛んでいた。地下茎の新芽も食用となったことがある。万葉集にも穂を噛む記述がある。
茎葉は乾燥させて屋根を葺くのに使い、また成熟した穂を火口(ほくち)に使った。乾燥した茎葉を梱包材とした例もある。
また、花穂を乾燥させたものは強壮剤、根茎は茅根(ぼうこん)と呼ばれて利尿剤にも使われる。
他に、ちまき(粽)は現在ではササの葉などに包むのが普通であるが、本来はチガヤに巻いた「茅巻き」で、それが名の由来であるとの説がある。
もう一つの利用として、園芸方面がある。この植物はむしろ雑草であるが、葉が赤くなる性質が強く出るものを栽培する例がある。
和歌歳時記
食べられたりもするんだ。
(2019-04 神奈川県川崎市、道端)
チガヤ(千萱、茅、学名:Imperata cylindrica (L.) P.Beauv.)は、単子葉植物イネ科チガヤ属の植物である。日当たりのよい空き地に一面にはえ、細い葉を一面に立てた群落を作り、白い穂を出す。かつては食べられたこともある、古くから親しまれた雑草である。
特徴
地下茎は横に這い、所々から少数の葉をまとめて出す。地上には花茎以外にはほとんど葉だけが出ている状態である。葉には細くて硬い葉柄があって、その先はやや幅広くなり、広線形。葉はほとんど真っすぐに立ち上がり、高さは30-50cm程になる。葉の裏表の差はあまりない。葉の縁はざらつくがススキほどではない。
葉は冬に枯れるが、温暖地では残ることもある。この時期、葉は先端から赤く染まるのが見られる。
初夏に穂を出す。穂は細長い円柱形で、葉よりも高く伸び上がり、ほぼまっすぐに立つ。分枝はなく、真っ白の綿毛に包まれていて、よく目立つ。種子はこの綿毛に風を受けて遠くまで飛ぶ。
日向の草地にごく普通に見られ、道端や畑にも出現する。地下にしっかりした匍匐茎があるため、大変しつこい雑草である。河原の土手などでは、一面に繁茂することがある。
芽の先端が細く尖り、塩化ビニール製の蛇腹ホース程度なら貫通する場合もあるという[1]。
花の構造
花穂は白い綿毛に包まれるが、この綿毛は小穂の基部から生じるものである。小穂は花序の主軸から伸びる短い柄の上に、2個ずつつく。長い柄のものと、短い柄のものとが対になっていて、それらが互いに寄り沿うようになっている。
小穂は長さが4mmほど、細い披針形をしている。小花は1個だけで、これは本来は2個であったものと考えられるが、第1小花はなく、その鱗片もかなり退化している。柱頭は細長く、紫に染まっていて、綿毛の間から伸び出すのでよく目立つ。
分布
日本では、北海道から琉球列島までの全土でごく普通。国外ではアジア大陸の中西部からアフリカ、オーストラリアにわたる広い範囲に分布し、現在では北アメリカにも帰化している。なお、日本にあるものをフシゲチガヤ(var. koenigii (Retz.) Durand et Schniz) として変種とする説がある。原名変種は地中海沿岸に分布し、節に毛がないこと、小穂がやや大きく、柄がほとんどないことで区別される。
なお、チガヤ属には世界の熱帯から暖帯に約10種があるが、日本では1種だけである。
遷移との関係
遷移の上では、多年生草本であるので、1年生草本の群落に侵入すると、次第に置き換わってやや安定した草原を形成する。日本では、やがてススキなどが侵入すると、背の高さで劣るため、チガヤは次第に姿を消し、ススキ草原やササの群落から松林へと遷移が進む。
河川の土手などでは、定期的な草刈りや土手焼きなどによって、チガヤ草原が維持されている。昭和中期までは、土手の草は家畜の飼料や田畑の肥料として用いられたため、このような草刈りは定期的かつ丁寧に行われ、そのため土手の草は常に低く抑えられていた。ここにチガヤを主体として、ツリガネニンジンやツルボ、ワレモコウや、あるいは秋の七草などの草花が咲く環境が維持されていたようである。それ以後は、農業の形態が変わってこのような土手の草の需要がなくなったこともあって、草刈りや土手焼きは行われることが少なくなり、また富栄養化も進み、草丈が高くなってしまったところも多い。セイタカアワダチソウや、オオブタクサなどが侵入し、置き換わった場所もある。都市近郊では、大規模な改修が進み、芝生やコスモス畑などの人工的な緑地となったところもある。しかし道路周辺などの草刈りの行き届いた場所では、現在もよく見ることが出来、ごく普通種であることには代わりはない。
なお、日本以外の地域においては、チガヤ草原がより広範囲、恒常的に存在する場所もある。特に、熱帯から亜熱帯にかけての雨季と乾季のはっきりした地域ではチガヤは非常によく繁殖し、「世界最強の雑草」という称号すらある。世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) 選定種の一つである。東南アジアなどで森林を破壊するとアランアランと呼ばれるチガヤ草原になりやすく、そうなると遷移を妨害してなかなか森林が回復しないと言われる。
人間との関わり
ごく人間の身近に生育する草である。地下にしっかりした匍匐茎を伸ばすので、やっかいな雑草である。
他方、さまざまな利用も行われた。そのため古くから親しまれ、古名はチ(茅)であり、花穂はチバナまたはツバナとも呼ばれ、古事記や万葉集にもその名が出る。
この植物はサトウキビとも近縁で、植物体に糖分を蓄える性質がある。外に顔を出す前の若い穂は、噛むと甘く、子供がおやつ代わりに噛んでいた。地下茎の新芽も食用となったことがある。万葉集にも穂を噛む記述がある。
茎葉は乾燥させて屋根を葺くのに使い、また成熟した穂を火口(ほくち)に使った。乾燥した茎葉を梱包材とした例もある。
また、花穂を乾燥させたものは強壮剤、根茎は茅根(ぼうこん)と呼ばれて利尿剤にも使われる。
他に、ちまき(粽)は現在ではササの葉などに包むのが普通であるが、本来はチガヤに巻いた「茅巻き」で、それが名の由来であるとの説がある。
もう一つの利用として、園芸方面がある。この植物はむしろ雑草であるが、葉が赤くなる性質が強く出るものを栽培する例がある。
和歌歳時記
『万葉集』 (野遊) 作者不詳
春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶ今日の日忘らえめやも
『新古今集』 (百首歌よみ侍りけるに) 藤原良経
ふるさとは浅茅が末になりはてて月にのこれる人の面影
『新古今集』 (寄風懐旧といふことを) 源通光
浅茅生や袖にくちにし秋の霜わすれぬ夢をふく嵐かな
『新古今集』 (五十首歌たてまつりし時) 藤原雅経
かげとめし露のやどりを思ひいでて霜にあととふ浅茅生の月
『続古今集』 (千五百番歌合に) 藤原定家
桜花うつろふ春をあまたへて身さへふりぬる浅茅生の宿
『あらたま』 斎藤茂吉
真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも
『白き山』 斎藤茂吉
われをめぐる茅(ち)がやそよぎて寂(しづ)かなる秋の光になりにけるかも
『川のほとり』 古泉千樫
山原のほほけ茅花(つばな)のうちなびき乱るるが中にころぶしにけり
『海やまのあひだ』 釈迢空
うちわたす 大茅原となりにけり。茅の葉光る夏の風かも
『天眼』 佐藤佐太郎
ちがやなど風にふかるるもの軽し影さきだてて帰る渚に
春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶ今日の日忘らえめやも
『新古今集』 (百首歌よみ侍りけるに) 藤原良経
ふるさとは浅茅が末になりはてて月にのこれる人の面影
『新古今集』 (寄風懐旧といふことを) 源通光
浅茅生や袖にくちにし秋の霜わすれぬ夢をふく嵐かな
『新古今集』 (五十首歌たてまつりし時) 藤原雅経
かげとめし露のやどりを思ひいでて霜にあととふ浅茅生の月
『続古今集』 (千五百番歌合に) 藤原定家
桜花うつろふ春をあまたへて身さへふりぬる浅茅生の宿
『あらたま』 斎藤茂吉
真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも
『白き山』 斎藤茂吉
われをめぐる茅(ち)がやそよぎて寂(しづ)かなる秋の光になりにけるかも
『川のほとり』 古泉千樫
山原のほほけ茅花(つばな)のうちなびき乱るるが中にころぶしにけり
『海やまのあひだ』 釈迢空
うちわたす 大茅原となりにけり。茅の葉光る夏の風かも
『天眼』 佐藤佐太郎
ちがやなど風にふかるるもの軽し影さきだてて帰る渚に