中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(30)

2008年04月29日 04時26分50秒 | 街道:東海道五十三次
                   <追分羊羹の店頭>

        東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(30)
            (小田急トラベル)
     2008年2月9日(土)~11日(月・祝)(その7)


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第9回第3日目 2月11日(月)(2)

<江尻宿>

■坐漁荘跡

 清見寺で休憩を取った私達は,1032分に再び歩き出す。
 急遽,昨夜,清水の靴屋で,500円で購入した靴を履いているが,まあ,まあ,調子はよい。何とか足の裏が痛くなるのは防げているようである。
 歩き出して,間もなく,10時37分に坐漁荘跡を通過する。ここは明治,大正,昭和にわたる大政治家,西園寺公望が晩年過ごした別荘の跡である。旅行社の資料によると,建物は明治村に移築され,ここには記念館が建っている。
 
                        <坐漁荘>


                   <坐漁荘説明文>

■細井の松原
 坐漁荘を過ぎてからは,単調な道が続く。少々草臥れ始めた身体を鼓舞するようにして,西へ西へと歩き続ける。 10時41分,静清バイパスのガードを潜る。ここで南へ曲がる。そして,すぐにまた西へ進路を変える。そして,10時44分,東海道本線の踏切を渡る。ときどき裏道のような旧東海道の道を進むが,また自動車の往来が激しい2車線の道路に出てしまう。そして,西へ,西へと,長時間,歩き続ける。その間,特段の史跡もない。
 11時14分,広い自動車道がY字形に分岐する。自動車道と分かれて,右側の裏道に入る。その分かれ道に,「細井の松原」がある。江戸の初期に将軍秀忠が街道の両側に松の木を植えさせた。江戸時代中期にはこの辺りだけで一千万本を越える松があったという。だが,第二次世界大戦で松根油を採取するために伐採され,今は僅かに1本残るだけである。その松も,背後にある真っ赤な「メガネのスーパー」と書いた看板で,景観が台無しになっている。


 
      <細井の松原>                <坐漁荘付近の街並み>

■江尻一里塚
 11時20分,日本橋から40番目の江尻一里塚跡に到着する。説明書きが6本の虫ピンで板に止めてある。何時の間にか,辺りはすっかり市街地になっている。
 私達は,いよいよ,江戸から18番目の江尻宿に到着する。旅行社の資料によると,江尻宿には本陣2軒,脇本陣3軒,旅籠50軒があったという。当時の宿内戸数は1340戸,宿内人口は6,498人であったという。
 やがて前方に見覚えのあるシーグランデ清水ホテルの建物が見え出す。昨夜宿泊したホテルである。
 
                         <江尻一里塚>

■シーグランデ清水ステーションホテルで昼食
 11時28分,シーグランデ清水ステーションホテルに到着する。ホテルのレストランで昼食を摂る。エビフライ,刺身など,平素山小屋の食事ばかりしている私には豪華すぎる食事である。
 昼食後,ホテルで休憩を取る。

                <シーグランデ清水ホテルの昼食>

<江尻宿>

■稚児橋

 昼食を終えた私達は,「エイ,エイ,オー」の掛け声も勇ましく,12時24分にシーグランド清水ホテルを出発する。旧東海道筋に沿って,暫くの間,南に進んだ後,交差点を直角に曲がって、真西に向かう。繁華街を暫く進んで,再び南に進路を変える。 12時41分,江尻宿の案内板の前を通過する。
 12時42分に稚児橋を渡る。橋の欄干にはカッパのような姿をした彫像が飾り付けてある。
 橋を渡ると,街は比較的静かな住宅地になる。

          <稚児橋の欄干>                     <追分道標>

■船高札
 橋を渡って直ぐの所に,入江まちづくり推進協議会が作成した「船高札」の説明板が建っている。ここには,河川交通の重要性と,河川交通にともなう約束事の説明が記述されている。
 この説明文によると,この辺が船高札跡とのことである。

                       <船高札>

■追分道標と追分羊羹
 暫くの間,旧東海道に沿って,ほぼ真西の方向に歩き続ける。自動車の往来が結構多いので,歩いていてもイライラしてくる。
 12時56分,追分道標に到着する。大きくて古い石柱に,何か書いてあるが,浅学の私には殆ど読めない。
 この道標の傍らに追分羊羹を販売する店がある。私達は,名物の羊羹を賞味するために,ここで,暫くの間,休憩を取ることになる。

                     <羊羹屋の店先>


                      <追分羊羹の店>


            <追分羊羹の店先:店の主人が長い講釈を打つ>

 店の中に入る。店頭には,さまざまな羊羹が並んでいる。店の主人に案内されるまま,タタミが敷かれた和室に上がり込む。縁側の向こうに和風の庭が続いている。お茶と羊羹1切れがサービスされる。有り難く頂戴する。羊羹は,歯ごたえがとても良く,また甘さも程々で,美味しい。
 その内に,白い割烹着を着た主人が出てきて,皆の前に座り込む。そして,歓迎の挨拶をした後,実に長い説明を始める。私は,出発時間が気になるし,あまり細かい話は伺ってもチンプンカンプンなので,直ぐに飽きてくる。私は内心で,
 「・・・自分の知っていることを全部話さないと気が済まない人だな・・・困った人だな」
と思っている。
 長い話が終わった後,何人かの同行者が,争うようにして,羊羹を買っている。
 
  <長い講釈を打つ羊羹屋の主人>         <ご馳走になった羊羹とお茶>

■草薙一里塚
 羊羹屋の主人の長い話が漸く終えて,13時28分に,やっと羊羹屋の前を出発する。ここで,今回最後の「エイ,エイ,オー」を行う。私は内心で,こんな子供だましの掛け声,全く馬鹿馬鹿しいなと思っている。
 再び西に向けて歩き出す。そして,13時34分,元追分江尻宿跡とかいた案内柱の前を通過する。

                   <上原鎮守十七夜宮>

 13時39分,東海道本線と静岡鉄道の踏切を渡る。旧東海道は,静岡鉄道の駅(駅名は失念した)をかすめるように,大きなS字形に曲がりながら進んで,広い幹線道路に合流する。
 13時53分,上原鎮守十七夜宮の前を通過する。そして,14時01分,江戸から41番目の草薙一里塚跡を通過する。「一里」という字が掘ってある丸い大きな石が置かれている。
 
                <草薙一里塚>


                   <草薙一里塚の由来説明文>

<いよいよ終わり>

■JR草薙駅

 再び単調な道が続く。そろそろ疲労が貯まってきた一同は,広い自動車道を,黙々と歩き続ける。
 14時14分,白い大きな鳥居が見えてくる。デジカメで鳥居を撮ろうと思ったが,全景を撮ることは不可能である。鳥居の前で右折すると,今回の終点,JR草薙駅である。 14時18分,無事,草薙駅に到着する。 旅行社のリーダーの音頭で万歳を三唱して解散となる。
 小さな駅の待合室は,私達が入っただけで,大変な混雑となる。

                 <JR草薙駅で万歳!そして解散>

■東海道在来線で帰宅
 私は,経費節減のために,新幹線を使わずに,在来線を乗り継いで,大船まで帰ることにする。
 草薙14時24分発熱海行に乗車する。車内は混雑している。暫くの間,立ちんぼのまま我慢する。沼津辺りで,漸く座れる。
 15時34分,熱海に到着する。階段を使って隣のホームに移動する。そして,熱海15時38分発湘南新宿ラインに乗り換える。電車は,熱海から快調に走って,16時28分,大船駅に到着する。
                           (つづく)
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