<火燈公園にて>
歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第3日目(2);茅野駅から上原・神戸へ
(五十三次洛遊会)
2014年4月18日(金)~20日(日)
第3日目;2014年4月19日(日)
<ルート地図>
<出発点の茅野駅へ>
■中央本線の電車で茅野へ
朝食を終えた私たちは,7時30分にホテル1階のロビーに集合することになっている.遅刻してはマズイなと思いながら,少々早めの7時23分にロービーに降りる.
7時25分,全員が集合する.予定より5分早くホテルを出発する.
上諏訪駅前の長い跨線橋を渡って,7時38分に上諏訪駅に到着する.そして,予定していた電車より1本早い9時40分発上り普通電車に乗車する.
まだ通勤時間帯になっていないのか分からないが電車は空いている.私たちは適当にバラバラになって座席に座る.
電車は9時40分に,隣の駅の茅野に到着する.
駅前の自転車置き場付近の片隅で,出発前のミーティングと,ウォームアップストレッチを念入りに行う.ストレッチの音頭取りは不肖FH.
出発前の行事を終えて,8時05分に茅野駅前から歩き出す.先頭はリーダーのONさんである.
<明るい雰囲気の車内> <茅野駅に到着>
■諏訪神社参拝道
8時07分,まずは駅前にある大鳥居を見上げる.鳥居の先に見えている山に雲が垂れ込めているのが見える.
“天気,今日一日大丈夫かな…”
と気になる.
鳥居の脇に「諏訪神社参拝道」と刻字のある石柱が立っている.
私たちは,昨日の甲州道中終点まで,駅前の取り付け道を戻ってから,改めて甲州道中を歩き出す.
<諏訪神社大鳥居>
<茅野駅周辺>
■六地蔵と石塔群
歩き出しの出端から,少々道に迷ってしまい,どこが甲州道中なのか分からなくなるが,まあ大筋でこの道に違いないというルートを辿り,8時20分,先ほどの大鳥居の下を通過する道に戻る.
民家の建ち並ぶ道幅の狭い道を北東に向けて歩き,8時26分,六地蔵と思われる石仏と大きな石塔が立ち並ぶ所に到着する.手許の資料を参照しながら,この石仏石塔群が何なのか調べるが,はっきり分からない.
<六地蔵と大きな石塔群>
■達屋酢蔵神社
8時28分,達屋酢蔵神社に到着する.
資料3には,「諏訪大社の末社としてはかなりの格を持った神社であった.御柱祭りの御柱山出しについて,江戸時代前より「横内村」と呼ばれており,天正12年(1584)10月の日付の文として,横内村矢嶋左近が伍龍女(姫)宮大明神へ宛てた「御柱出のの御柱事」の山礼がある(『史蹟踏査要項』).本文は「神長官の口上にて,東嶽御小屋山植木にて壱丈八尺四本,小宮三拾弐本出し申し候,々より少しも構い御座なく候」というものである.伍龍姫宮とは達屋酢蔵社のことで,小宮を含めて横内村が御小屋から御柱を出すのは,このように古い由来があり,上社の末社として高い社格を伺い知ることが出来る.」という説明がある.
私たちは達屋酢蔵神社のすぐ脇の狭い道路(下の写真参照)に入る.道路の両側は静かな住宅地である.
<達屋酢蔵神社>
<上原・神戸>
■上原交差点
8時37分,上原交差点に到着する.この交差点で交通量の多い国道20号線と合流する.
資料1によると,「上原は戦国時代,上原城の城下町として栄えたところのようである.上原城は諏訪氏の本城であった.城主諏訪頼重は信玄によって非業の死を遂げ,諏訪氏は一時衰退してしまった」という.
<上原交差点>
■火の見ヤグラと八幡社
8時42分,大きな火の見ヤグラと八幡社が並ぶ場所に到着する.
資料1によると,この八幡社は「鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したもの.家康により復活した高島城主諏訪氏は参勤交代の通行時には必ず立ち寄った」という.
<火の見ヤグラと八幡社>
■小路標石
8時47分,鍛冶小路標石が立っている場所に到着する.この辺り一帯にいくつかの小路の標石が立っている.
<鍛冶小路標石> <塔所小路標石>
■瀬岳寺入口
8時55分,瀬岳寺入口にある大きな標石の前に到着する.
瀬岳寺は,甲州道中から離れたところにあるので参拝は省略するが,資料1によるとこの寺は高島城主として復活した諏訪氏の菩提寺である.
<瀬岳寺石塔>
■茅野上原郵便局前で休憩
9時55分,信号上原瀬岳寺を通過する.この交差点のすぐ先の十字路を右折する.甲州街道渋沢小路標石を通過して,9時59分,茅野上原郵便局に到着する.
郵便局前の広場の片隅を借りて,給水休憩を取る.
<甲州街道渋沢小路> <茅野上原郵便局>
<郵便局前で休憩>
■姫宮神社
9時05分に中央本線のガードを潜る.相変わらず閑静な住宅地が続く.
9時11分,姫宮神社の下を通過する.道路から少し離れた深い木立の中に神社の鳥居が少し見える.
手許の資料ではこの神社の由来などは分からない.
<姫宮神社>
■火燈公園
9時12分,火燈公園に到着する.公園入口に小振りな常夜灯がある.公園の桜が満開である.
<火燈公園>
■頼重院
9時14分,頼重院入口に到着する.
頼重院本殿は,甲州道中から数十メートルの坂道を登ったところにある.大半の方々は,この坂道を登るのが面倒なのか,坂道を登らずに,入口付近で立ち休憩を取る.
“それでは私が代表して…写真だけでも撮るぞ”
ということで,大急ぎで坂道を登る,
立派な社殿が建っている.境内の桜が満開である.
境内入口にある案内板によると,この寺は諏訪頼重の菩提寺である.諏訪頼重の家臣が自害した頼重の遺髪を持ち帰って密葬した寺である(資料4).
<頼重院>
■秋葉山大権現と双体道祖神
9時17分,常夜灯あるいは灯籠風の石塔の前に到着する.
近付いて台座を見ると「秋葉山大権現」という刻字が見える.その隣には双体道祖神が祀られている.
次いですぐ隣の神社を参拝する.多分,神ノ木神社かと思うが…
<秋葉山大権現と双体道祖神> <神ノ木神社>
■甲州道中五十一里塚跡
9時20分,甲州道中五十一里塚跡に到着する.江戸日本橋から51里目の一里塚跡である.
<甲州道中五十一里塚跡>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://www.ccmall.jp/m/main/spot/05_tatuya_sugura/tatuyasugura_jinjya.html
資料4;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%BC%E9%87%8D%E9%99%A2
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e041c8d443807d7284b78f4e637df34a
「甲州道中」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9732577019f1f93636891095bab46b96
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
「甲州道中」の地図
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/583886c80d2ce6bd9956f000f9258589
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