<地震直後の大船駅前>
突然の東日本巨大地震にウロウロ
2011年3月11日(金) 晴
■ブラブラ歩きに出掛ける
午前中にヤボ用を済ませる.
温かくて良く晴れている.素晴らしい天気である.こんな陽気なら,少しでも早く外をブラブラしたい.私は少し早い昼食を済ませて,散歩に出掛ける.
何処へ行くという宛もないので,とりあえずは近場の鎌倉中央公園を一回りする.公園の周囲には沢山の桜の木が植えられているが,まだまだ全く花の気配はない.昼下がりの公園は,幼児を連れたお母さん連が数組散策しているだけで空いている.
公園を山崎口へ抜ける.そして成り行きで足は大船方面へ向かう.途中,民家の庭先でまだまだ見頃の梅の花を眺めたり,写真を撮ったりで,良い気分である.この後,暫くしてパニックを襲われることも知らずに,呑気なものである.
道が分岐をする度に,どちらへ行こうかと迷うが,まあとにかく大船駅前まで出よう.そして1杯200円也のコーヒーでも賞味しながら,次どうするか決めよう・・・
■何となくY電気に入る
山崎の跨線橋を渡って,大船駅近くの商店街,仲通に到着する.まだ,午後は早いのに仲通は真っ直ぐ歩けないほど買い物客で混雑している.私は何も買う気はないが,めぼしいお店を一軒一軒見て回る.何も買いたいものはないが,途中にある100円ショップに立ち寄って,店内を一回りする.
仲通をそのまま抜けて,Y電気に入る.まずはカメラ売り場を一回り.GPS機能付きのカメラが面白そうである.このカメラのことを,いろいろ聞いてみたいが,近くの店員が年配の女性客に長々と応対しているので空かない.店員が空くのを待っているのが焦れったいので,そのままパス.
続いてPC売り場へ向かう.余談だが,今,私はナショナル製の“Let’s note CF-F8”を使っている.マニアにはそれほど評判が良くない機種だとの噂だが,私はノートPCにしては画面が大きく,それなりに処理速度も速いし,電池も長持ちするので気に入っている.この“Let’s note”シリーズに,今,私が使っている機種よりも,もっと大画面の新機種が出ているようなので,一目,見ておきたいと思う・・・が,店頭にはまだ並んでいない.残念!
■本屋を一回り
小一時間,Y電気をウロウロした後,大船駅構内のBecker’sに入り込む.ここは比較的空いていて,ユックリ,のんびりとした時間を過ごせるので,私のお気に入りの店である.
コーヒーを賞味しながら,そろそろ絵を描き始めなければと思い始める.今度,5月に開催される某美術協会の展覧会に応募する作品を,もう1枚仕上げたいと思っている.そう思い始めると,急に居ても立っても居られなくなる.では,ちょっとルミネ5階の本屋に立ち寄って,美術関係の本でも立ち読みしようか.そうすれば,何か刺激が得られるだろう・・
■突然の停電
ここでも小一時間,漫画以外の全ジャンルを見て回る.そして,そろそろ飽きてきた頃,往路とは別のルートを散歩しながら,自宅まで歩いて帰るつもりで,エスカレータの降り口に向かう.
丁度エスカレータに乗ろうとしたときに,突然の停電.周囲から,
「わあ~・・」
という叫び声が聞こえてくる.
■大きな地震
すぐに非常用の電灯が点る.辺りが真っ暗にはならないが,何事だろうと思っていると,停電からほんの数秒後に突然大きな横揺れが始まる.辺りから悲鳴が聞こえてくる.
まっすぐ立っていられないほど強い揺れなので,転倒しないように近くの柱に寄りかかる.辺りからミシミシと軋む音が聞こえてくる.天井から細かいゴミか砂粒のようなものがバラバラと落ちてくる.いつまでも揺れが収まらない.その内に,館内放送が聞こえてくる.
「・・このビルは耐震構造になっています.落ち着いて下さい・・」
と言っているが,その声が心なしか上ずっている.
「耐震構造だって・・! そんなのあんまり当てにならないな,潰れるときは潰れるさ・・」
と妙な気分になる.
強い揺れは何秒続いたのだろうか.10秒ぐらい? いや,1分ぐらいかな? 半ばパニクっていた頭では,どの程度続いたのか余り良く分からない.
近くに階段がないので,私は動かなくなったエスカレータを歩いて下る.薄暗い所で,エスカレータを階段代わりに使うのは,ちょっと薄気味悪いが仕方がない.
■バスに飛び乗る
とにかく外へ出る.大船駅前は,近くの建物から出てきた沢山の人たちが呆然とした顔付きで,立ちすくんでいる.駅前の信号機は停電で動作していない.路上では自動車は停まったまま.
もう,こうなると散歩所ではない.時計を見ると,丁度,バスの発車時間が間近である.とりあえずはバスに乗り込む.
バスは予定通り発車する.
「なるほど,バスは停電でも動けるんだ・・」
私は妙なことに感心する.ただ,停電で信号機は全部動作していない. 交差点では,自動車同士が,うまい具合に譲り合って,何とか滞りなく走る.
■我が家の防災対策は零点
自宅へ戻る.玄関の鍵が掛かっていない.おかしいなと思いながら家に入る.家内が,
「今,もの凄い地震があったのよ・・家がギシギシと音を立てて揺れたので,閉じ込められてはいけないと思って,外へ出ていた・・」
と青くなっている.
停電が長引くと断水が気になる.水が出る内に,とりあえずは飲み水だけでも確保しようと.5~6リットルほど鍋釜に水を蓄える.もちろん,非常用のリュックの中に数リットルの水は蓄えてあるが・・・
「いざ地震の時に,非常用リュックを押し入れに入れていたら,出すことできないわね・・置き場所を考えなければ・・」
と実際に地震に遭ってから気がつく.
停電でテレビが点かないので,乾電池のラジオを持ち出す.ところが乾電池が空でラジオが聴けない.物置から新しい乾電池を出して入れ替えるが,常日頃から何時もラジオが聴けるようにしておかなければダメだなと反省する.
次に気になるのがトイレの水.まあ,これは浴槽の残り水でナントカなる.
さて照明.何本かある乾電池の照明器具の内,ちゃんと点灯したのは1本だけ.後は乾電池を入れ替えないと点灯しない.幸いなことに乾電池の買い置きが沢山あったが,これも落第.
ただ,私は山用のヘッドランプだけは何時もチェックをしていたのが,せめてのも救いである.
■電化した家は不便
家族のことが心配になる.
親族のことが心配になるが,固定電話,携帯電話,すべてが通じない.やっと通じたかと思うと話し中.気を揉んでもどうにもならない.
さて,夕食.なまじ電化された家は,こんなときに困る.停電でIHヒーターは使えない.ガスコンロなど,とうに破棄してしまった.
明るい内に夕食を済ませてしまおうと思うが調理もできないし,お湯も沸かせない.
「こりゃ~・・・だめだ!」
ご飯に生卵,ノリ,それに若干の乾き物だけで,夕食を済ませてしまう.
もっと,真剣に防災対策をしておかなければダメだなと頻りに反省する.
■とてつもなく大きな地震だ
ラジオを通じて,地震の様子がだんだんと分かってくる.
地震の規模はマグニチュード8.8.こんな大きな地震,聞いたことがない.愕然とする.
仙台では,津波が10キロメートルも内陸まで流れ込んだという.学生時代,仙石線で仙台から15分ほどのところに下宿していたことがある.当時は長閑な田園地帯だったが,海まで10キロなんて離れていない.ということは,あの辺りも津波にやられたことになる.これは大変なことだ.今回の地震は,想像以上に大地震のようだ.犠牲者が極力でないように祈るのみである.
■何もできない焦れったさ
春になって日は延びたとはいえ,すぐに暗くなる.
ガスが来ているかどうか分からないが,仮にガスが使えても,風呂のコントローラが停電では動かない.当然風呂に入ることもできない.電化ハウスは困ったものである.まあ,こんなときに風呂などどうでもいいことだ・・
照明がない.すぐに真っ暗になる.ジタバタ考えても仕方がないも,万一大きな余震があるかもしれないので,服を着たまま横になる.
こんな大きな揺れを体験したのは初めて.
でも,まさか,こんな惨事が起きるとは!
(おわり)
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