お盆休み特集 昭和を振り返る;第6話;ほ乳瓶の乳首
(2017年8月20日記)
昭和20年の夏,終戦直前の頃だった.
私は自宅から2キロメートルほど離れたところにある親戚の家にお手伝いに行っていた.この家の長男,次男ともに私が通っている中学校の先輩である.長男は海軍兵学校を出た後,特攻隊で名誉の戦死をした.次男は海軍兵学校の学生で家には不在.男手が足りないということで,中学1年の役立たずの小僧でも農繁期にはお手伝いに駆り出されてていた.
その家の納屋に東京大空襲で焼け出された一家が疎開していた.この一家には乳飲み子が1人居た.ところが,困ったことに,母親が栄養失調のためか母乳だけでは乳飲み子を育てることができない.山羊の乳を飲ませたいが,ほ乳瓶にはめる乳首がない.小諸中を探しても手に入らないという.このままでは乳飲み子は餓死してしまう.
私がたまたま親戚にお手伝いに行ったときに.伯母から,
「…あんた,この乳飲み子がかわいそうなので,上田で乳首探して飼ってきてくれないか…」
と依頼される.乳飲み子の早親もすがるようにして私に依頼する.
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翌日だったか翌々日だったか忘れたが,私は学校帰りに上田の薬局を何軒か回って,やっと乳首1個を購入する.乳首が何円したか全く覚えていないが,早速,その乳首を乳飲み子の母親に届けた.
私から乳首を受け取った早親は,嬉しさに泣きながら,何回も,何回も,私に礼を言った.
「あなたは,この子の命の恩人です…」
私は照れくさくなる.
「いえ,その…エヘヘ…」
大人から頭を下げられた経験がない私は,妙に照れてしまう.
照れ隠しに,隠れるように裏の畑に入り,キュウリを1本もぎ取る.トゲトゲを服で削ぎ取って,かぶりつく.
”やっぱり人から感謝されることをすると,自分も嬉しくなるんだな…”
このとき,私は「人の道」の神髄をほんの一寸だけ体感できたような気がしている.
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この頃,我が家では父が出世していて,いわば母子家庭であった.
母の様子からも,戦争の行方はますます厳しくなっていることを,私も子供ながらに感じ取っていた.
私は,じれったい思いながら,
”早く「神風」が吹かないかな…そのうちに,きっと神風が吹くぞ.でもそれにしてもなかなか吹かないな…”
と思っていた.
晴れ渡った青空に,日光を浴びてぴかぴか光る敵B29が北の方向に飛んでいく.
私は日本は神国だから,いつか必ず勝に決まっていると信じていた.
(第6話おわり)
お断り
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