中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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大きな富士山に驚嘆する愛鷹山;越前岳・黒岳縦走

2012年05月28日 03時00分39秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

                                  <馬の背付近からの富士山の眺望>

       大きな富士山に驚嘆する愛鷹山;越前岳・黒岳縦走
              (ARENAオフミ)
           2012年5月27日(日)  快晴

<登山地図>


※津波克明,2003,『関東の山歩き100選』昭文社,p.135から引用

<プロフィルマップ>



<越前岳へ>

■集合場所の御殿場へ

私にとって,久々の越前岳登山である.過去の山行記録をひっくり返してみると,2005年11月10日に,山旅スクール5期同窓生数名で,今回とほぼ同じコースを歩いている.パソコンに記録してあった写真を眺めていると,あの日のことを沸々と思い出す.
 私は前日の5月26日(土)に何時ものように丹沢の塔ノ岳を往復した,終始,韋駄天のTさんやゲザンシュタインさん達,ご常連にご一緒して頂いた楽しい山行であった.途中の山小屋で途中下車して,コーヒーや氷水を賞味していたので,帰宅する時間が,何時もよりも,少々遅くなってしまった.そのため,翌日の越前岳関連の資料集めは,少々面倒な気がしてしまう.
 まあ,それでも,前回の記録ぐらいはパソコンからプリントアウトすることにした.
 さて,当日の今日,集合場所のJR御殿場駅まで向かう.
 毎度,塔ノ岳へ行くときは,大船から小田原まで乗車するが,今日は手前の国府津で御殿場線に乗り換えなければならない.心配性の私は,何時もの惰性で,国府津で下車するのを忘れて小田原まで行ってしまうのではないかと心配しつづける.
 国府津で乗り換えた御殿場線の電車は短い3両編成.ここはJR東海の路線なのでSUICAが使えない.電車内の雰囲気も,JR東日本の電車とどことなく違うので,乗車していてもどうも落ち着かない.
 今日は日曜日.でも,車内は高校生や西丹沢方面に向かうと思われる登山者などで,車内はかなり混雑している.
 御殿場駅で乗り過ごしてはいけないと思いながらも,電車がレールの継ぎ目でリズミカルにカタコトと音を立てるのを聞いていると,どうしても眠くなる.寝てしまってはマズイので,意識的に継ぎ目の音に聞き耳を立てる.すると,継ぎ目の音が,
 「・・・モリソバタダダ,モリソバタダダ,・・・・・」
と言っているように聞こえてくる.それから後は,私の頭の中で,ずっと,
 「・・・モリソバタダダ,モリソバタダダ,・・・・・」
が響き続ける.これには,内田百もビックリするに違いない.
 7時55分,無事,御殿場に到着する.
 御殿場集合時間に現れたのは,幹事長のロングテイル氏他男性3人,女性5人,計9人である.

<十里木バス停から歩き出す>

■十里木登山口から展望台へ
 御殿場から富士急バスに45分ほど揺られて,9時12分にバス停十里木(標高865m)に到着する.途中で富士サファリパークを経由するバスである.
 十里木で下山した乗客は,私たち以外,ほんの数名.今日の登山コースは空いているなと早合点する.
 出発準備を済ませて,9時21分にバス停十里木から,別荘地の中の舗装道路を西へ歩き出す.進行方向右手には大きな富士山が見え隠れしている.
 9時28分,十里木登山口に到着する.広い駐車場は沢山の乗用車で混雑している.
 目の前に立派な上り階段が延々と続いている.この風景を見た途端に,今から7年も前に登ったときのことを鮮明に思い出す.
 9時31分,階段道を登り始める.私は登山経験の少ない2人の参加者に,
 「ユックリ,歩いて下さい・・前の人を追いかけようなどと決して思わないで下さい・・」
何階も注意する.私たち以外にも沢山の登山客が登っている.
 9時46分,立派な階段を登り切ると見晴らしの良い広場に到着する.
 今,登ってきた階段を振り返ると,8合目ぐらいまで残雪がある富士山が大きく聳えているのが見えている.塔ノ岳の大倉尾根から見える富士山とは桁違いに大きい富士山である.ここで富士山を眺めながら立ち休憩をとる.

<十里木登山口から登り始める>

■馬の背
 展望台を過ぎると,普通の登山道になる.相変わらずユックリ歩くように同行者を促す.2本ストックを振り回しながら男性が1人,私たちを追い越していく.私はこの方の後ろ姿を拝見して,
 「・・・あの方はすぐに疲れますよ・・・必ず私たちの方が先に,(越前岳山頂に)到着しますよ・・」
と予言する.そして,同行者にユックリズムを強調する.
 案の定,ものの5分も歩かないうちに,この男性を追い抜く.
 10時16分,馬の背手前(標高1098m)の展望の良い所に到着する.特に面倒を見ている2人には,給水をしたあと,長い休憩を取らずに,引き続きユックリと登り続けるように促す.

<馬の背で小休止>

■アシタカツツジ
 展望台を過ぎると,登山道の勾配がだんだんと厳しくなる.そして,登山道も荒れ始める.もともとの登山道が雨水で大きくえぐれてしまったところも随所にあって,登山道はかなり荒れている.越前岳までの距離はそれほどないが,荒れた登山道には往生する.
 山頂に近付くと,あちこちに自生していツツジが綺麗に咲いている(正確な名前は分からないが,多分,アシタカツツジと言うのだろう).




■越前岳山頂で昼食
 11時28分,越前岳山頂(標高1504m)に到着する.
 山頂は沢山の登山客で混雑している.空いている場所を適当に選んで腰を下ろす.そして,少々早めの昼食を摂る.
 気温17℃.ジッとしていると,Tシャツ1枚では少し寒いかなという程度.心地が良い.

<越前岳山頂の看板>

<富士見台から富士見峠へ>

■富士見台
 昼食を終えて,12時04分に越前岳山頂から歩き出す.暫くの間,新緑に囲まれた尾根道をほぼ東の方向に進む.かなりのヤセ尾根で,進行方向右手はキロ落ちた崖になっている.
 大部分の登山客は,越前岳山頂から往路を通って下山してしまうらしく,こちらのコースを辿る登山者は,全くと言って良いほど少ない.全コースを通じて,すれ違った登山客は,ほんの2~3人だけ.
 12時26分,ほんの数メートル登り返して,富士見台(標高1425m)に到着する.ここから素晴らしい富士山が望める.
 近くに「富士見台と岡田紅陽」という表題の案内板が立っている.岡田紅陽は昭和初期に活躍した高名な写真家である.ウィキペディアには,「岡田紅陽(おかだ こうよう、1895年8月31日-1972年11月22日)は、写真家新潟県出身。本名・賢治郎。早稲田大学卒。1923年の関東大震災の被害状況を東京府の嘱託として撮影。25年写真スタジオを設立。主に山岳写真、風景写真を撮影、富士山の撮影をライフワークとした。52年日本写真協会を創設。」と解説されている.
 私の記憶が正しければ,岡田紅陽は,第2次世界大戦末期に,信州上田に疎開していた.疎開先の近くに,私の親戚の家があったので,そこで岡田紅陽に出会ったことがある.その頃,私は幼かったので,高名な写真家だとは知る由もなかった.

<富士見台からの富士山>


<富士見台と岡田紅陽の説明板>

■富士見峠
 富士見台で富士山の風景を楽しんだ後,再び歩き出す.相変わらず樹林帯の尾根道を下る.坂道は少し歩き易い勾配になったかなと思っている内に,また,急峻な下り坂に変わる.登山道が大きくえぐれて断面がV字に浸食している場所も随所にあって,かなり荒廃している印象を受ける.
 前回,ここを通ったときは,断崖沿いの鋸岳展望台(標高1180m)を通過した記憶があるが,今回は,この辺りの断崖の崩落が進んだためか,断崖沿いの道は進入禁止になっている.虎ロープに従って,尾根のすぐ北側のトラバース道を下る.
 暫くの間,樹林帯の中の踏み跡のような道を下り続ける.かなり急な下り坂である.随所にV字型にえぐれてしまった道もあるが,そんなところを避けるように踏み跡が続く.
 13時30分,富士見峠(標高985m)に到着する.ここは黒岳(標高1086m)と山神社へ下る道との分岐である.
 分岐には沢山のリュックサックが置いてある.どうやら,ここから黒岳山頂まで往復している人たちのリュックサックのようである.その近くで男性が1人留守番をしている.この男性と一言,二言,挨拶をしている間に,私たちの仲間も,“折角だから黒岳まで往復しよう”ということになる.

<樹林帯の中の登山道>

<黒岳往復後愛鷹山登山口へ>

■黒岳富士見台
 休憩を終えて,13時57分,全員で黒岳を目指す.私たちはリュックサックを背負ったまま出掛ける.
 鞍部を過ぎると,いきなり急な登り坂になる.木の根が階段状に重なり合った坂道が続く.途中から長い階段道になる.さらにその先へ進むと,勾配が幾分なだらかになる.
 13時55分,黒岳富士見台に到着する.
 ここからの富士山の眺めも実に素晴らしい.朽ち果てて何が書いてあるか全く分からない案内板が立っている.ここで,暫時,富士山を眺める.
 その後,黒岳山頂直前の鞍部まで足を延ばすが,帰りのバスの時間が気になるので,すぐ先にあると思われる黒岳山頂まで偉勲を止める.そして,鞍部から往路を引き返す.

<黒岳富士見台からの富士山>

■山神社と松永塚
 14時06分,再び富士見峠に到着する.
 ここで呼吸を整えて,山神社を目指して,急坂を下り続ける.薄暗い下り坂は,白内障手術直前の私には少々辛いものがあるが,安全第一に下り続ける.
 途中,2ヶ所ほど階段や急な崖道,あるいは落石注意の場所があったりで,結構歩きづらい.
 やがて,林を通して駐車場が見え隠れする場所まで到着する.ホッとする.そして,14時41分,無事,山神社に到着する. 
 山神社の近くに松永塚と刻字した大きな石碑が立っている.その脇に松永塚の由来を説明した案内板が立っている.なんだかこの場で読む気がしないので,後でジックリ読むために,写真だけは撮っておく(どうせ,後のなっても読まないだろうなと思いながら・・).

<山神社を目指してくだる>

■愛鷹山登山口

 山神社で舗装道路に出る.この道は呼子岳(標高1310m),鋸岳(標高1296m)へ通じる登山道である.
 なだらかな下り坂の舗装道路を東北東に25分ほど下って,14時59分にバス停愛鷹山登山口に到着する.
 これで,所要時間,5時間38分のプチ登山が終わる.何よりも全員が無事だったのが良かった.
 陽だまりで,15時15分発御殿場行のバスを待つ.暑くも寒くもなく実に心地が良い.

<山神社>


<松永塚>


<松永塚の説明>

<無事帰宅>

■御殿場駅で解散

 バスは定刻より少し遅れて,15時19分に愛鷹山登山口を発車する.乗客は私たち以外,ほんの数名.
 結構,乗り出がある.どこをどのようなルートで通っているか分からないが,15時45分,JR御殿場駅に到着する.立派で大きな駅である.
 ここで解散.

■国府津駅経由で無事帰宅
 私は大半の皆さんと一緒に,御殿場16時25分発国府津行のワンマン電車に乗車する.2両編成の電車である.途中から沢山の高校生や登山帰りの乗客が乗り込んでくる.結構混雑している.
 私は,たまたま同行者と一緒にボックス席に座る.
 雑談の途中で,列車が線路の継ぎ目を通過するときの音が,
 「・・・モリソバ,タダ,ダッ・・・」
に聞こえると話すと,
 「(そんな風には),聞こえないわよ・・・」
と冷やかされる.全く想像力のない方々ばかりだ.
 国府津で東海道本線に乗り換える.ここからは,私の塔ノ岳詣での日常と同じパターンの行動である.
 17時53分に大船駅に到着する.
 夕時の大船駅は,毎度のことながら,大変は人出で混雑している.
 18時少し過ぎに,無事,帰宅する.
 昨日は塔ノ岳往復,今日は越前岳と,山遊びが2日連続した.明日こそ,多少,家に籠もって,少しは落ち着いていようかなと思っている.でも,明日になったらどうなることやら・・・・
 
<バス停愛鷹山登山口>

<ラップタイム>

 9:21  十里木歩き出し
 9:28  登山口(9:31までトイレ休憩)
 9:46  展望台
11:28  越前岳山頂(12:04まで昼食)
12:26  富士見台
13:30  富士見峠(13:57まで休憩)
13:55  黒岳富士見台(13:57まで展望休憩)
14:06  富士見峠
14:41  山神社(林道に出る)
14:59  愛鷹山登山口 着

[山行記録]

■水平歩行距離      8.8km

■累積登攀高度      758m

■累積下降高度      937m

■所要時間(休憩時間込み)
  十里木発      9:21
  愛鷹山登山口着  14:59
  (所要時間)  5時間38分(5.63h)
  水平歩行速度      8.8km/5.63h=1.56km/h

                              (おわり)
[校正記録]

2012/5/31 誤字・転換ミス訂正.文章訂正.

「伊豆・箱根・富士山の山旅」の前回の記事
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