<懐古園から千曲川を望む>
浅間連峰周遊;第1日目(3);小諸(懐古園周遊)
(丹沢塔ノ岳常連)
2013年10月8日(火)~10日(木)
第1日目;2013年10月8日(火) (つづき) 晴
<ルート地図>
<しなの鉄道小諸駅>
■小諸駅に到着
しなの鉄道軽井沢14時21分発小諸行電車に乗車した私たちは14時44分に小諸駅3番線に到着する.隣の2番線には長野行の電車が停まっている.長野行の電車のデザインは,私たちが乗車していた電車とは違うようだ.
跨線橋を渡って改札口を出る.
待合室で地産の野菜果物類の売店がある.どれも随分と安い.同行のTBさんがトマト5個入り一袋を200円也で購入する.私たち一人に一つずつ分けてくれるそうである.ご馳走様.
<しなの鉄道小諸駅>
■何となく寂しくなった小諸駅周辺
私の気のせいだろうか,長野新幹線が開通してから,小諸駅とその周辺が随分と寂しくなったような気がしてならない.小諸は私の生まれ故郷である.生まれ故郷の町がなんとなく寂れた感じになるのは実に悲しい.
そういえば,現在の小諸駅の駅舎の外観は,私が小諸から上田まで汽車通学をしていた頃,建て替えられたものと同じ様な気がする.終戦の年,私は上田にある旧制中学に入学した.そのときは,もっと古い駅舎だった.
戦後の学制変更の余波を受けて,中学は併設中学という訳の分からない学校になり,新制高校に移行した.同時に,駅弁大学と揶揄された新制大学が発足した.
そんな戦後の混乱期に,私たちの学年は旧制中学に入学したにもかかわらず,その中学がそのまま新制高校になり,結局は同じ学校に6年間も通う結果になった.その後,私は駅弁大学と揶揄される新制大学(現在の大学)に進学した.
余談だが…
私が進学した大学では,上級生は旧制の大学生だった.旧制高校を卒業している大学生と私たち新制の学生との学力の差は歴然としていた.教壇に立った教授が,偏微分も知らない私たちの前で,
「君たちに何を教えて良いか分からない…」
と独り言のように嘆いていた姿が,今でも私の脳裏に焼き付いている.
懐かしい小諸駅に降り立つと,6年間の汽車通学時代のことを,切ないような懐かしさで思い出す.
小諸駅の駅舎の内部は大分改造されたし,外壁もメンテナンスされているので,幾分変わった印象を受けるが,何となく時代遅れになった駅舎を目の当たりにすると,新興で立派な佐久平駅との余りの違いに,悔しい気分になる.
…でも,愚痴はこの辺りで止めよう.
■駅前で明日のタクシー予約
私は,まずは,駅前のタクシー会社に立ち寄って,明日,早朝の5人乗りタクシーを1台予約する.5時30分に,ホテル前に来て貰うことにする.
5時30分にホテルを出発すれば,6時過ぎに浅間温泉前に到着するだろう.直ぐに登山を開始すれば,草すべりからトーミノ頭を経由して車坂峠に向かっても,間違いなく夕方には到着できるだろう.
タクシー会社では,
「24時間,何処へでも迎えに行きますよ…」
と親切である.
タクシーの与薬を終えて,一行が待っている小諸駅待合室に戻る.
まずは小諸グランドキャッスルホテルのチェックインをする.そして,まだ時間が早いので,私が懐古園を案内することに決定.
<小諸グランドキャッスルホテル>
■まずはホテルにチェックイン
今日の宿泊は,懐古園入口近くにある小諸グランドキャッスルホテルである.事前にインターネットを経由して某社のシステムで予約しておいた.このホテルの評判もインターネットで調べた.勿論,欲を言えば切りがなくなるので,小諸駅や懐古園に一番近いという理由で,私はこのホテルを選んだ.それに地元の法事なので,過去に何回かこのホテルを訪れたことがあるので気分的にも安心感がある.
駅舎の近くにある巨大な跨線橋を渡って,ホテルにチェックインする.私たちには最上階8回の部屋のシングルルームが割り当てられる.
とりあえずは,リュックを部屋に置いて,すぐに1階ロビーへ引き返す.
<懐古園周遊>
■SL展示場から藤村記念館
ホテル近くの脇道から懐古園に向かう.
蒸気機関車が展示されているSL展示場脇を抜けて,三の門前の広場に出る.受付で入園料(散策のみ)1人300円也を支払って,懐古園に入る.
天守台跡の石垣沿いの道を辿って,最初に藤村記念館の前を通過する.今日は記念館や美術館などを見学する時間がないので,園内を一回りするだけにした,記念館に入れないのは一寸寂しいがやむを得ない.
記念館前の大きな欅は相変わらず健在である.私は,子どもの頃,この欅の絵を画きに,ここをしばしば訪れていた.もっとも,当時は無料で懐古園に入れた…なんてことを思い出しながら歩き続ける.
<大きな欅と藤村記念館>
■酔月橋を渡って鹿島神社へ
深い峡谷に架かる酔月橋を渡って,隣の尾根に入る.
「このお堀に,昔は水があったんでしょう…」
という見当違いの質問を受けて,私は返答に窮する.ここが千曲川に流れ込む深い峡谷だという説明がながなか理解して貰えないようである.
酔月橋を渡って,すぐに鹿島神社に到着する.
実は,今では知る人も少なくなったかもしれないが,この神社は終戦直後まで,小諸駅前の高台にあった.それまでは,小諸駅を降りると目の前に断崖があり,その上にこの鹿島神社があった.今となっては正確な年代は直ぐには思い出せないが,多分,私が新制高校に進学したかしないかの頃,鹿島神社は現在地に移築された.その跡地を切り崩して現在の駅前広場や.商店街(一寸した歓楽街)が作られた.
冗長になるが…
戦争中,私は国民学校初等科の学童だった.当時,学童とは言わず,栄えある大日本帝国の誇り高き小国民であった.言い換えれば○○の赤子(せきし)っていうことかな.
ときどき,学童全員が鹿島神宮前に整列して,宮城遙拝をした.つまり遙か東京の皇居の方に身体の向きを変えて,最敬礼をする.
先生の号令で,1分ぐらいの間,深く頭を下げたままの姿勢を保つ.そして,「なおれ」という号令で,頭を上げる.これが最敬礼である.
あるとき,最敬礼の最中に,大きなオナラをしてしまった子どもが居た.周囲の子どもは可笑しくて噴き出しそうになったが,そんなことで笑ったら“君に対して不忠者”の落胤を押されてしまう.私たちは笑いを堪えるのに苦労した.
後になって,オナラをした子どもは大変叱られたと聞いているが,真偽の程は,今となっては分からない.
こんな昔話を,同行の皆様に披露するが,
“宮城遙拝って何?”
で私の話がピンと来ないようである.
私はこれ以上説明する気にならなくなる.正に“戦後は遠くなりにけり”である.同じ年寄りでも,私たち昭和一桁と二桁では頭の中の構造が,大きく違っていることを実感する.
そういえば,私の頭の中で,ひょんなことで思い浮かぶメロディーは,未だに,“見よ東海の空明けて…”とか“海行かば…”などである.バカみたいな話である.
境内に立つ灯籠の台座に寄進者の名前が刻まれている.その名前の中で,上田まで6年間一緒に汽車通学をしていた同級生の名前を発見して,私は大変ビックリする.彼は残念ながら今年の春帰らぬ人となった.つい最近,彼の遺稿集を頂戴したばかりである.
小諸から6年間一緒に上田まで通っていた仲間数名の内,生存者は,遂に私一人になってしまった.
<懐かしい鹿島神宮>
■寅さん記念館
つづいて,寅さん記念館に到着する.今日は閉館のようである.
「何で,小諸に寅さん記念館があるの…?」
と聞かれるが,私にも分からない.ただ,寅さんシリーズの映画の中で,小諸を舞台にした話も見たような気がする.
<寅さん記念館>
■千曲川旅情の詩碑
寅さん記念館の先に小山敬三美術館がある.
私一人なら,他の所は飛ばしてでも,ここだけは必ず立ち寄ることにしているが,今日は割愛する.
小山敬三画伯の「浅間山」の絵を見ていると,私の心の中に,何とも言えない躍動感が湧いてくる.この凄い絵が見たくて,私は,もう何回もこの美術館を訪れている.
今日はここをパスして,往路を引き返す.
渡月橋を渡り返して,馬場の片隅にある千曲川旅情の詩碑を見学する.例の有名な,島崎藤村の“小諸なる古城の畔…”の詩を刻んだ碑である.
私は子どもの頃から何百回となく訪れている所である.
この有名な詩について,ここでとやかく講釈するのは烏滸がましい限り,省略,省略…
<藤村詩碑>
■水の手展望台
藤村詩碑の先にある水の手展望台に登る.
少し前までは,展望台まで,危なっかしい石段を登っていたが,今は立派な橋が架かっている.昔とは大分趣が変わってしまったが,安全を考えると致し方ないことだ.
展望台からの千曲川の眺望は素晴らしい.コア間恵贈画伯も,この展望台からの風景を画かれている(冒頭の写真の風景).
以前はこの展望台から,浅間連峰が良く見えていたが,今はすっかり木が大きくなって,全く見えなくなってしまった.とはいえ,千曲川の風景は昔と殆ど変わっていない.
<水の手展望台から千曲川を望む>
■天守台
水の手展望台から馬場を横切って,城を囲む石垣の上に登る.下がら見上げると大して高くない感じがするが,石垣の上に立つと,足が震えるほど高くて怖い.石垣の突き当たりが天守台である.その昔,ここに天守台が建っていたところである.
私は高い所が苦手.
率先して下へ降りてしまう.
<天守台跡>
■富士見台
天守台から再び石垣の下に降りる.
馬場を経由して,富士見台に向かう.富士見台には先客の男性が2人居る.どうやら,近くで仕事をしていた方のようである.
私たちが近付いて挨拶すると,
「今は見えていないけど,見通しが良ければ,この辺りに富士山が見えるはずです.」
と説明してくれる.
戦争中から戦後暫くの間は,空気が非常に綺麗だったので,ここから富士山が良く見えていたが,今はここから富士山を拝めるのは極めて稀なことになってしまった.
<富士見台>
■ここでも世界遺産ブーム?
富士見台に「叔富士山世界遺産」の案内板と,富士山を描き足した写真が掲示されている.
「富士山,こんなに大きく見えるの…?」
と遠慮のないお一人が伺う.
すると,男性は,
「いえ,この辺りに見えるという意味で…手書きですよ」
とどぎまぎする.
<祝富士山世界遺産の看板>
■富士山が見えるはずの風景
富士見台から富士山が見えるはずの風景写真を撮る.勿論,今日は富士山を拝むことはできない.
晴れていて空気が透明ならば.この写真の中央,遠くにある山がうっすらと写っている.この山の先に富士山が見えるはずである.
<富士山が見えるはずの風景>
<小諸市動物園>
■白鶴橋を渡る
富士見台の近くにある白鶴橋を渡って,小諸市動物園に向かう.
白鶴橋の下は深い谷底になっている.以前,谷底には千曲川に向かう道路があった筈.子どもの頃,しばしば白鶴橋の下を通り抜けて千曲川まで遊びに行った.遊び疲れてから,この谷を登るのは結構シンドかったことを思い出す.夕方になって,この道を登っていると左右の崖のあちこちからヒグラシの悲しげな啼き声が聞こえてきたものだ…
懐古園全体に私の少年時代の思い出が一杯詰まっているので,園内の何処を歩いていても,どうしても感傷的になってしまう.
“やっぱり,生まれ故郷って…良いものだな~ぁ…”
そんな埒もないことを考えながら橋を渡る.
<白鶴橋を渡る>
■動物園を通り抜ける
すでに16時30分近い.動物園ももうすぐ閉園である.動物園の方々があちこちで閉園の準備をしている.
大きなライオンが,ねぐらに職員の誘導で入っていく.大急ぎで小動物が並んで入っている獣舎の前を通過する.
途中の池の畔では数羽のペンギンが集まっている.可愛い顔をしている.実に愛らしい動物である.
珍しい鳥や獣が並ぶ従者の前を通り抜けて,閉園の少し前に,懐古園入口に戻る.
<可愛いペンギンたち>
■三の門
大急ぎで懐古園を一回りして,三の門を潜って,懐古園の外に出る.直ぐ側に小諸義塾の建物があるので,もし見学希望者が居たら案内しようかと思ったが,皆さん興味がなさそうなので,寄り道は止める.
「では,これから明日の朝食と昼食を仕入れるために,スーパーへ行きましょう」
<三の門>
<小諸市内散策>
■相生町を歩く
三の門を潜って,しなの鉄道のガード下を潜る.
地元出身の私としては,これから大手門や島崎藤村縁の地などを一回りしながら小諸市役所近くにあるスーパーまで行きたかった.でも,皆さんが大分お疲れのようなので,小諸駅前を経由して,温和しく相生町の坂道を登る.
相生町は小諸で一番賑やかな商店街である.つい先頃までは,相生町にはアーケードが設置されていたが,アーケードの維持費が高額かどうか知らないが,今はもうアーケードも取り払われている.アーケードがなくなって,何だかスッキリしたような,寂しいような複雑な気分になる.でも,道路の両側には小綺麗なお店が並んでいる.
バブル期には,小諸にも某デパートが営業していた…が,今はもう閉鎖して久しい.
昔は,恵比須講ともなれば,道路が観光客や買い物客で一杯になるほど賑やかな街だった.
■スーパーで買い物
途中で右折して,市役所の駐車場近くにある某スーパーに入る.ここで明日の朝食と昼食の準備をする.
店内に入る.何時もながらこのスーパーの品揃えの豊富さには感心する.主婦でない私には詳しいことは分からないが,鎌倉辺りのお店に比較すると,野菜類が特に安いような気がする.
私は自分のためと,明日,久々にお会いする火山館の管理人,KDさんへのお土産を兼ねて,野菜や嗜好品を少し多めに購入する.
<某スーパー>
<ホテルへ戻る>
■再び駅前を経由してホテルへ
買い物を終えて,スーパーを後にする.
今夜の夕食はホテルで撮ることになっている,18時30分の予約である.まだ十分に時間があるので,往路をそのまま戻るのも芸がないので,どうせ同じくらいの道のりなら,島崎藤村縁と場所や大手門でも見ながら帰ろうかと思う.
相生町の交差点で,道路を横断しようと思って,信号待ちをしていると,同行の一人が,
「(帰り道は)こっちでしょう…」
と私を促す.
とたんに,私の頭からは島崎藤村は消えてしまう.
“いちいち,見所を説明するのも面倒だな”
と判断した私は,促されるまま,往路をそのまま引き返すことにする.
■再びホテルへ
17時30分頃,ホテルへ戻る.
フロントで自室の鍵を貰って,部屋に戻る.私たちは8階の部屋を割り当てられている.部屋の窓から外を眺める.的の明かりと共に懐古園の森の向こうに布引山の山並みが見えている,素晴らしい眺望である.正に値千銀である.
“この眺望だけでも,このホテルに宿泊した価値があるな”
部屋は,普通のビジネスホテル並みの広さである.部屋に入ると柱の関係からか,通路が少し曲がりくねっている.部屋にはシングルベッドが1台.机の上には古いブラウン管のテレビが置いてある.
バス,トイレは多少設備が古い感じはあるが,普通のビジネスホテルと同じである.勿論,お尻洗浄機も付いている.この辺りが,狭いながらも日本のホテルの良い所である.
4階には温泉の大浴場があるようだが,わざわざ4階まで行くのも面倒なので,このバスを利用することにする.
バスにお湯を貯める.熱湯が勢いよく出るので,意外に早くバスのお湯が貯まってしまう.これは申し分ない.もちろん石けん,歯ブラシ,髭剃りなど実に沢山の細々とした小物,備品はきちんと揃っている.
<シングルルームの見取図>
<部屋の内部;もう使用しているので乱れているが…>
■夕食
18時30分から夕食である.1階の食堂へ.
私たち5人の席がチャンとリザーブされている.フロアーアテンダントの案内で,予約席に座る.畳敷きの上の座席である.
夕食はバイキング形式である.
下の写真のように,マス目の仕切りが付いている変わった取り皿である.食材の種類は極めて豊富.その中から自分の好みのものを選んでマス目を埋めていく.ついつい目移りがして,胃袋のキャパシティ以上に取りそうになる.そんな自分の姿に,
“我ながら意地汚いな~ぁ…”
と情けなくなる.
まあ,そんな次第で,私の夕食は下の写真の通りである.これで栄養的には十二分である.
おっと…写真を撮るのを忘れたが,生ビールも飲み放題である.冷えたジョッキを自動機械にセットすると,機械が自動的にジョッキを傾けて,泡が立たないように生ビールをジョッキに注いでくれる.その機械の仕草が面白いが,やっと1杯飲めるか飲めないかの私が何回も試すわけにはいかない.
エビを食べながら,ノルウェーの度にご一緒したTBさんと,
「(エビと言えば),ノルウェーでドンブリ一杯のエビを食べましたよ…」
あのときのエビは美味しかったなと,懐旧談.あれから,もう1ヶ月以上経っている.月日の経つのは実に速い.
<バイキングの夕食> <デザート>
■こうして第1日目は終わった
19時30分頃,夕食を終えて,自室に引き返す.
今日は1日の間に,随分と色々な所を歩き回った.いよいよ明日が浅間山登山の本番である.台風の動きが気になる.どうやら雨は降らなそうだが,風が気になる.でも,まあ,ここまで来たら,運を天に任せるしか方法は無い.もし,山に登れなかったら,また来ればいいさ…
こう考えると,気分が幾分楽になる.
それにしても,地元出身の私は,皆さんに折角来て貰ったんだから,浅間山の素晴らしさを十二分に味わって貰いたいなと思って居る.
さて,明日はどうなることやら.
でも,まあ,今日一日は良かった! 良かった!
(第1日目おわり)
(第2日目に続く)
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