<小山敬三美術館付近から千曲川を望む>
善光寺街道;第1回;第2日目(6);小諸城趾;懐古園周遊(1)
(五十三次洛遊会)
2015年8月25日(火)~27日(木)
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第2日目;2015年8月26日(水)(つづき) 曇やや蒸し暑い
<ルート地図>
■懐古園詳細図
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■懐古園イラストマップ
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※懐古園観光案内より引用
<平原から小諸懐古園へ>
■しなの鉄道
しなの鉄道平原駅14時08分発小諸行電車に乗車する.車内はほどほどに空いている.私達は隣り合わせのボックス席に座る.
電車は,14時13分に小諸駅に到着する.
私達はこれから懐古園を一周する予定である.
「どうします? リュック,ホテルに預けてから懐古園に行きますか?」
と一同に伺う.
全員が,面倒なので,リュックを背負ったままでいいという.まあ,大して歩くわけでもないので,リュックを背負ったまま懐古園へ向かう.
<平原駅に電車が入ってくる> <小諸駅に到着>
■三の門
小諸駅から跨線橋を渡って,14時20分,懐古園入口の三の門に到着する.これから,17時頃まで,小諸城趾,動物園を一回りする予定である.
私は小諸出身なので,なにがしかの税金を小諸市に支払っている.その見返りに数枚の懐古園散策券を頂戴している.この散策券を使って,全員に園内に入ってもらう.
私個人としては,年に数回は懐古園を訪れているので,特段目新しいものはないが,小諸を故郷とする人間として,同行の皆様に是非好印象を持ってもらいたいと思うのが人情である.
なお,小諸市の観光案内によると,この三の門は元和元年(1615年)に創建されたが,寛保2年(1742年)の大洪水で流出,明和2年(1765年)に再建されたものだという.国重要文化財である.
<懐古園入口の三の門>
<二の丸跡から藤村記念館へ>
■木村熊二のレリーフ
私はどのような経路で一周するか少し迷うが,まずは二の丸跡から藤村記念館を見学する.その後,酔月橋を渡り,鹿嶋神社と小山敬三美術館を訪れようと思う.
まずは二の丸跡に向かう.
奈良田等名坂道を登った突き当たりに木村熊二のレリーフがある.木村熊二は小諸義塾の塾長である(小諸義塾については後述).
<二の丸跡への坂道> <木村熊二のレリーフ>
■二の丸跡・若山牧水歌碑
14時38分,石段を登って二の丸跡に到着する.ここには散策路があるだけ.登り口近くに石柱が立っている.資料3によると徳川秀忠が,関ヶ原に向かう途中,上田城攻略で真田父子により,ここで足止めされ逗留したところである.
石段のすぐ脇に若山牧水の歌碑がある.この歌碑の写真を撮るのをうっかり忘れた.
<二の丸跡の石柱;秀忠逗留のことが書いてある> <二の丸跡への石段>
■番所跡・北の丸跡
14時30分,番所跡を通過する.ここには巨大な忠魂碑が立っている.私は小学校の頃,勿論戦時中だが,学校行事の一環として,何回となくここを訪れている.もちろん戦意高揚教育の一環だったろうと思う.そんなことを懐かしく思い出す.
つづいて隣の北丸跡にある小諸懐古射院をのぞき見する.丁度,3人の射手が交代で弓を引いている.
どなたかが,
「あまりジロジロ見ていると気が散るでしょう.覗くのを止めましょう…」
という.”なるほど,この言や良し”. 私はこの方の心遣いに内心でとても感心している.
それにしても,射手の凛とした姿には惚れ惚れする.
<忠魂碑> <小諸懐古射院>
■稲荷神社・黒門橋
14時42分,稲荷神社を詣でる.神社の脇にこの神社の由来などの説明文があるが,引用すると冗長になるので割愛する.
神社のすぐ先の黒門橋を渡る.橋の下は紅葉谷である.秋の紅葉の名所でもある.
橋を渡って天守台石垣に突き当たる.ここで散策路は左右に分かれる.私は,一瞬どちらへ行こうかと迷うが,成り行きで右折する.
目の前には大きな欅の木と藤村記念館が見えている.小学生の頃.写生の時間に,この大きな欅を何回となく訪れたことがある.資料3によると,この欅の樹齢は推定500年とのこと.500年前というと,永世9年(1512年),北条早雲が玉縄城を築いた頃である.その年,北条早雲は三浦道寸義同を破り,住吉城主の三浦道合も破れて逗子延命寺で自害した.
私が現在住んでいる鎌倉の歴史に照らし合わせてみると,500年が如何に長い歳月かが良く分かる.
<稲荷神社> <大きな欅と藤村記念館>
■苔むした天守台の城壁
進行方向左手に天守台の石垣が続く.思わず上を見上げる.苔むした石垣に圧倒される.
藤村の詩に「…嗚呼古城なにをか語り…」の一説を連想する.
<苔むした天守台の城壁>
■藤村記念館
14時45分,藤村記念館に到着する.
館内を一回りするが,内部の撮影は禁止されている.そのためここで披露できる写真がないのは残念である.
館内には藤村の小諸時代を中心に作品,資料,遺品などが展示されている.
←クリック拡大
※藤村記念館パンフレットを引用
<酔月橋から鹿嶋神社・郷土博物館へ>
■酔月橋を渡る
15時12分,酔月橋に到着する.まずは長い階段を下らなければならない,そしてまた帰りにこの階段を登らなければならない.
橋の途中で深い谷底を見下ろす,どなたかが,
「なるほど,こんな深い谷があっては,攻略できないな…」
と頻りに感心している.
<酔月橋を渡る>
■鹿嶋神社
15時16分,鹿嶋神社を詣でる.
またまた余談になるが,私が上田中学へ汽車通学を始めた頃は,小諸駅前に鎮座していた.その頃,小諸駅を降りると,狭い駅前広場のすぐ先が断崖になっていた.その断崖の上に鹿嶋神社があった.
小学生(正確には国民学校学童)の頃,学校から鹿嶋神社清掃に竹箒を担いで訪れたことがある.掃除が植わると境内に整列して,宮城遙拝の最敬礼をする…この神社を訪れる度に,ついつい当時のことを思い出す.”三つ子の魂百まで.”というやつであろう.
そんな私の懐古趣味など関係ないという感じで,大半の方は神社の階段下で,私が階段を降りてくるのを待っている.
<鹿嶋神社> <鹿嶋神社の階段>
■寅さん会館と郷土博物館(いずれも閉館註)
15時20分,寅さん会館に到着する.ここはもう何年も前から閉鎖中である.私も一度わざわざ入場料を支払って,ここに入ったことがある.でもそう言ってはまずいかもしれないが,もう一度入館する気にはなれなかった.
つづいて,15時21分,子守市立郷土博物館の前を通過する.ここももうかなり前から景観中である.ここには何回も入館したことがあるが,色々な資料が揃っていて,結構見応えがあった.それに屋上から眺める千曲川や浅間山はなかなかなものだった.閉館しているのが惜しまれる.
<寅さん会館> <郷土博物館>
<小山敬三美術館>
■溶岩・噴石岩の野外展示場
小山敬三美術館に向かう.
私は小諸に帰ると,ほぼ毎回,この美術館を訪れるのを楽しみにしている.今回も,また小山敬三の絵が見られのが楽しみである.
美術館前には,浅間山をはじめとして近隣から集められた溶岩や噴石岩の野外展示場がある.私としては,この展示場を少し見たかったが,一部の人が早走って,さっさと美術館へ行ってしまう.
”あれだけ,オレより先に行くなって言っていたのに…”
正直なところ,私は内心では,少々不満である.
<溶岩噴石岩の展示場>
■小山敬三博物館
15時25分,靴を脱いで,小山敬三博物館に入る.私はまずは浅間山の絵を見に行く.私は,この浅間山の絵を見る度に,全身がゾクゾクするほどの感動を覚える.
ちなみに小山敬三は旧制上田中学校出身.私の大先輩に当たる.また,小山敬三の生家は,私の生家から数百メートルしか離れていないところにある.そんなことからも,私は小山敬三に特別な親近感を抱いている.
絵の専門家の中には,小山敬三は絵が下手だと酷評する人が居ることも知っている.私のような絵の素人には,専門的に見て絵が上手か下手かなんて,どうでも良い.要するにその人の絵を見て感動を受けるんなら,私にとって素敵な絵なのである.
なお,小山敬三は島崎藤村のアドバイズによってフランスに留学している.
←クリック拡大
※美術館パンフレットを引用
■小山敬三記念館
受付の女性が,隣の小山敬三記念館で,16時まで,肖像画展を開いているので,是非,見るように進められる.
勿論,拝見するつもりである.
私は小山敬三美術館の裏手に回って小諸市眺望百選に選ばれている千曲川の眺めを見ながら記念館に廻る道順を想定していた.ところが,またもや,
「こっちが近道ですよ…」
と先走って行ってしまう人が居る.
”ああまた,想定していたコースが乱れるな”
またもや私は内心でカチン.でも,じっと我慢だ.
記念館の中に入る.
そこには,私も見たことがない肖像画が沢山展示されている.特にビックリしたのは,生き生きと描かれている眼である.
16時ギリギリまで展示物を拝見する.
<小山敬三記念館> ※小山敬三記念館パンフレットを引用
<ロックガーデン> <肖像画展の看板>
■千曲川の眺望
記念館を出てから,一旦美術館の裏手に戻る.そして小諸眺望100選に選ばれた千曲川の眺望を楽しむ.
毎度のことながら,ここから見下ろす千曲川の眺めの美しさに心が奪われる.
<千曲川の眺望>
■再び酔月橋へ
16時過ぎに,眺望百選の場所から,往路を戻って酔月橋方面に戻る.
これから,藤村詩碑,水の手展望台,天守台を一回りしてから,動物園に向かう予定である.
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;小諸市懐古園事務所「小諸城趾懐古園」
(つづく)
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【参考資料】
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