<龍宝寺山門>
コロナに負けず鎌倉散策;8,000歩目標に鎌倉北部社寺遺跡巡り(前編)
(独り成り行きお散歩)
2020年4月22日(水) 曇り
<ルート地図>
←クリック拡大
<鎌倉中央公園から柏尾川河畔へ>
■鎌倉中央公園を通り抜ける
つい1週間ほど前に,我が家にもアベノマスクが届いた.アベノマスクにはいろいろ批判もあるが,私たち夫婦は有り難く頂戴した.お上から下さった物である.大切に使うことにする.
ごごから,1日平均8,000歩を目指して,お散歩に出かける.
最近は,鎌倉市からのお達しにあった8,000歩/日を目指して午後お散歩がくせになり始めたのが切っ掛けか,午後になると不思議なことにお散歩に出かけたくなる.まるで,私の体内に潜むもう一人の私が,まるで飼い犬がお散歩用の紐を加えて尻尾を振りながら飼い主にすり寄ってくるような感じである.
何時ものように,13時58分,スタートポイントの鎌倉中央公園清水塚口から歩き出す.もちろん,これも何時ものように,さて今日はどっちへ行こうかとさんざん迷った末のことである.ただ今日は何時もより出発時間が遅めなので,それほど遠くまで行くのは無理だなと思いながらまずは鎌倉中央公園を横断する.
今日の天気は曇天.ただ暑くもさくくもなくて,お散歩日和なのかもしれない.昨今のコロナ騒ぎで,曇天にもかかわらず公園内はご近所の家族連れで結構賑わっている.もちろん賑わうと言っても,もともと地元の人しか来ない公園なので,賑わうと言っても,例の3密になるには程遠い状態である.
植物のことはからっきし知らない,この桜のように美しい花が何という名前かは分からないが,まだまだ見頃である.この花の脇を通り過ぎて,14時01分,山崎口(写真左下)から公園の外へ出る.
<山崎口から公園の外へ>
■東海道本線の踏切
歩き出しが遅かったこともあって,今日はぶらぶらと大船までを往復しようかなと思いながら定番の道を歩き続ける.毎度お馴染みのコースなので,もちろん当ブログの記事にするつもりもないので,沿道の写真も全く撮らずに歩き続ける.途中の信号が赤か青かの成り行きで,適当に右左に曲がりながら大筋では大船駅方面へ歩き続ける.
たまたま,東海道本線の踏切近くを通っていると,カンカンという警戒音とともに踏切が閉まり出す.
”電車の写真でも撮っておこうかな…”
と咄嗟に思う.何せ私は日頃から出会った猫と電車の写真は必ず撮るようにしているからである.
14時24分,東海道本線の踏切で電車が来るのを待つ.電車の先頭車両をバッチリ撮りたい.ところが私の馬鹿チョンデジカメは押したときとシャッターが実際に降りる時間との間にコンマ何秒かのタイムラグがあって,なかなかうまく撮れない.今回もこのタイムラグを意識したはずだが,ほんの一寸早くシャッターを押してしまったために,電柱と電車の先頭部分がかぶってしまった.まあ仕方がないなと諦める.
<東海道本線踏切>
■塩竈神社
東海道本線の踏切の直ぐ先の柏尾川に架かる戸部橋がある.橋の手前で左折し左岸沿いの道をほんの10メートルほど下って,14時28分,塩竈神社に到着する.普通の鎌倉案内書には”絶対に”と言って良いほど,まず紹介されることのない神社である.東海道本線の踏切を渡ったついでに参拝することにする.
敷地はそれほど広くはないが立派な鳥居と社殿がある.鳥居は反り増しがあり,柱が2本,貫が柱を貫通していて台輪があることから明神鳥居系の台輪鳥居だと推察することができる.
鳥居を見上げながら,こんな碌でもないことを考えているうちに,このまま大船から引き返すのが物足りなくなってしまう.そこで,すこし近場を廻ってから帰ることに変更する.
<塩竈神社>
■玉縄首塚
14時29分,戸部橋を渡って,柏尾川右岸沿いの県道402号線に突き当たる.
14時33分,突き当たりの直ぐ近くにある玉縄首塚を詣でる.この首塚については当ブログでも頻出しているので,下手な講釈を止めにしておこう.
<玉縄首塚>
<トンネルをくぐって閑静な住宅地へ>
■レストラン「山猫料理店」
玉縄首塚を見物しているうちに気が変わる.大船駅を往復するのは明日にして,今日はもう少し彼方此方を歩き回ろうと思う.そこで頭の中でおよそのコースを設定する.
”これから玉泉寺,龍宝寺辺りを一回りして帰ろう”
これで衆議一決.柏尾川右岸の県道402号線を川下に向かう.
14時33分,レストラン「山猫料理店」の前を通過する.私はこの店の定食が大好きだがなかなか食べに来るチャンスがないのが残念.余談だが私は若い頃から宮沢賢治の童話が大好きだった.最初に「山猫料理店」という名称を聞いた途端に連想したのが宮沢賢治だった.
お店の入口に「休業中」という案内が貼ってある.今回のコロナ騒動で当分の間休業とのこと.飲食店にとって,今回のコロナ騒動は大変だろうなと同情する.このお店,ご自宅の建物だろうか.もし賃貸なら固定費が大変だろうなとお節介な心配をする.
<山猫料理店>
■トンネルを潜る
山猫料理店の店名から,自分の体にメリケン粉(?)を塗している姿を連想しながら,14時34分,トンネルの前に到着する.
この狭いトンネルを通り抜けるのは歩行者がほとんどのようである.トンネルを抜けると雪国というわけにはいかないが,とても静かな住宅地になる.東海道本線の電車の音や大船の街中の騒音はトンネルのある尾根で全て吸収されてしまうんだろう.
トンネルの先は道幅が狭いものの閑静な住宅地が広がっている.
<トンネルを潜る>
<玉泉寺>
■玉泉寺本堂
14時37分,交差点玉縄小学校を通過する.程なくその先で山沿いの道に突き当たる.この三叉路を左折して,14時39分,玉泉寺に到着する.早速,本堂の写真を撮るが見事なピンボケ.
<玉泉寺本堂>
■境内の稲荷神社
境内に稲荷神社がある.ちょっと立ち寄ってみる.赤い鳥居は明神鳥居系,ただし台輪がない.
つづいて,境内のよくばり地蔵などを見て回る.静かで人の気配がない境内にいると気分が落ち着いてくる.
<境内の稲荷社>
<龍宝寺>
■龍宝寺トンネル
14時45分,龍宝寺トンネルに到着する.一瞬,日比谷花壇大船フラワーセンター方面へ行こうかとも思ったが,折角,ここまで脚を伸ばしたのだから,龍宝寺に立ち寄ろうかと思う.
トンネルをくぐる.ときどき通過する自動車の音がトンネルの中で反射してうるさい.
<龍宝寺トンネル>
■龍宝寺本堂
14時48分,龍宝寺に到着する.
茅葺きの立派な山門を潜って境内に入る.山門から本堂まで実に立派な石畳の参道が続く.
山門を入って直ぐ左手に幼稚園があるが,コロナ騒動のためか人の気配は全く感じられず静まりかえっている.私はしばしばこの寺を訪れるが,何時も幼児たちの賑やかな声を聞くのを楽しみにしているが,今日はマントも静かで不気味にすら感じる.
参道の奥へゆっくりと歩き続ける.ご近所の方が何人か散策を楽しんでいる.本堂前の石段を登るのが面倒なので,石段の前で参拝を済ませてしまう.
<龍宝寺本堂>
■新井白石の碑
参道を戻る途中で,右手にある新井白石の碑に立ち寄る.頭の方が大きい不思議な形の石塔だが,刻字はすでに完全に摩耗してしまい,何が書いてあったのか全く分からない.
道路を挟んで反対側には資料館などがあるが,今回も立ち寄らずに境内の外へ出る.
<新井白石の碑>
<諏訪神社>
■成り行きで諏訪神社へ
14時56分,龍宝寺の外へ出る.
折角龍宝寺まで来たんだから,たまには諏訪神社へ行ってみようかと,成り行きで思いつく.出発点の指示図塚口では全く想像していなかった展開である.
早速,友邦自前から右手方向に歩き出す.緩やかな上り坂が続く.
15時01分,諏訪神社参道に到着する.
少し奥まったところに,実に立派な鳥居が立っている.見事なそり返し,大きな扁額,柱を貫く貫,台輪の上にどっしりと作られている.明らかに明神鳥居である.
鳥居の奥に薄暗い石段が見えている.長い石段である.でも,周りの新緑がとても鮮やかなので,ついつい登りたくなる.
<諏訪神社の鳥居>
■諏訪神社拝殿
何十段あるんだろうか,長い石段を登り詰める.そこは,いくら年をとっても登山愛好者である.この程度の階段なら,まあ,息も切らさずにサッサと登れるさ・・・と負け惜しみ.
拝殿はそれほど広くない境内の左手にある.東向きに建っている.ここには鎌倉権五郎景正を祀った御霊社が合祀されている.旧玉縄村の鎮守である.
<諏訪神社>
■神楽殿
狭い広場を挟んで神楽殿が建っている.
もう10数年も前になるだろうか,今はもうお多賀に老齢になり会うこともなくなったが,何時も一緒に鎌倉を歩き回っていた仲間たちと,諏訪神社方面までたびたび訪れていた.神楽殿の前に立ち往事のことを懐かしく思い出す.
”あまりゆっくりしていられないぞ…”
私は”ハッ!”として,今登った階段道を慎重に下る.年をとると階段を下るのがだんだんと怖くなる.
<神楽殿>
<植木小学校から国道1号線へ>
■植木小学校
15時06分,諏訪神社参拝を終える.
折角,ここまで脚を伸ばしたんだからもう少し先まで行ってみようと思う.そこで,諏訪神社前の自動車道の続きを歩き始める.相変わらず緩やかな上り坂が連続する.
15時09分,植木小学校前を通過する.立派な門構えの小学校である.
<植木小学校>
■トンネルを抜ける
15時11分,栄光学園の裏門前を通過する.
15時13分,トンネルを通過する.進行方向左手に山から下ってきた道が合流する.この道は生成女学院キャンパスから降りてきた道である.言わずと知れた玉縄城址が今の清泉女学院のキャンパスである.
<トンネルを抜ける>
■打越交差点
トンネルを抜けると緩やかな下り坂になる.
道なりに歩いて,15時15分,国道1号線との交差点(バス停打越)に到着する.
いくらコロナ騒動の最中とはいえ,国道1号線は自動車が多いので,1号線手前の裏道を藤沢方面に向けて歩くことにする.
まずは交差点を渡って,裏道入口へ向かう.
<国道1号線に突き当たる>
<早雲台住宅地で迷う>
■出来心で早雲台住宅地へ
ふと目の前の石垣を見ると「早雲台住宅地」という案内板が取り付けられている.
玉縄城址の北側に住宅地があることは知っていたが,この住宅地はまだ歩いたことがない.急に好奇心が湧いた私は,早雲台住宅地内を歩いてみようと思う.
<早雲台住宅地入口>
■打越北公園
やけに長い上り坂が続く.左の方向に大きく曲がりながら,少し急な上り坂が続く.進行方向右手には植木屋さんだろうか,多種多様な木々が植えられていてとても美しい.坂道を登るにつれて辺りの雰囲気が次第に高台風になり始める.やがて住宅地内に入る.道路の両側には1戸当たり70坪ほどに区画整備された受託が立ち並んでいる.住宅地内にはいくつかの十字路があるが,とにかく真っ直ぐ行けるところまで行ってみようと思う.
やがて下り坂になる.
15時19分,打越北公園で歩いてきた道は坂道に突き当たって終わりになる.公園から2~3人の子ども達の声が聞こえてくる.
帰宅後,地図で調べるとこの突き当たりを右折して下れは国道1号線に出られることが分かったが,地図を持たずに歩いていた私は,ここで左折してしまう.左折すれば城廻のどこかに出られるだろうと思っていた.
<打越北公園>
■打越東公園
区画整理されている住宅地は,歩いた後で地図を追うのはなかなか難しい.
とにかく.住宅地からの出口が分からないまま,15時24分,打越東公園に到着する.
”しょうがないな…何処でも良いからこの住宅地の外へ出よう”
<打越東公園>
■再び元の交差点へ
住宅地内の外周を廻っているうちに,先ほど登ってきた坂道に出る.不本意ながら,先ほど登ってきた道を降りて,15時28分,ふたたび国道1号線との交差点に戻る.
ロスタイム13分.
交差点を左折して,藤沢方面へ向けて歩く.
この辺りまで来ると,私の脳内地図も不正確になる.自分の現在地の大まかなことは分かるが,何処辺りを歩いているか,詳細には良く分からない.
<再び国道1号線へ>
<関谷インターから関谷地蔵堂へ>
■藤沢・日野方面交差点
緩やかな上り坂が連続する.舗装道路が完備されているので歩きやすいが単調である.自動車が絶えず走っているので,とにかくうるさい.大船方面に向かう道を速く見つけて,1号線から脱出したいなと思いながら歩き続ける.
途中,さきほどの早雲台住宅地入口と思われる分岐を通過して,
15時31分,藤沢および金沢・日野方面との立体交差点250メートル手前の標識下を通過する.
青い標識に細い線で書かれている立体交差の連絡道に入るつもりである.
<立体交差点前250メートル>
■がっくり橋跡
15時33分,左折して立体交差点の下の道に入る.
”あれぇ~・・・なんだか懐かしい感じがするな”
と私の脳内コンピュータに何かが触れる.
”あっ! なあんだ! ここはがっくり橋跡じゃないか”
これで私の脳内コンピュータもシステムダウンから立ち直る.これで自宅までの地図が鮮明によみがえる.
だいぶ時間が押しているが,せっかくここまで来たのだから,関谷地蔵堂をお参りしていくことに決める.
なお,がっくり橋跡は,この写真の舗装道路右手の建物を横断したところに流れている小川にある.玉縄城が落城したときに,玉縄城の武士が,がっくりと肩を落として渡った橋がこの小川に架かっていたという.
<がっくり橋跡付近を歩く>
■バス停坂口
この連絡道はすぐにまた国道1号線に合流する.
15時37分,バス停関谷インターを通過する.進行方向右手には立体交差の1号線が平行している.この大きな構造物に押しつぶされてしまうような感覚に襲われる.
15時39分,次のバス停坂口を通過する.横断歩道を渡った直ぐ先に,目指す関谷地蔵堂の建物が見えている.
<バス停坂口>
■関谷地蔵堂
15時39分,ようやく関谷地蔵堂に到着する.
ここは相模国準四国八十八カ所十八番札所である.小さいお堂ながら由緒ある地蔵堂である.
<関谷地蔵堂>
(後編につづく)
後編の記事
↓
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4f7adfb2c427c5768620e77ccbeba7a9
お断り;
これらの記事は,私のボケ防止と趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
なお,古い記事には顔写真が掲載されていますが,すべてご本人の了承を得た上で掲載したものです.