<真田神社>
善光寺街道;第2回;第3日目(3);上田城趾公園散策;3日目の纏め
(五十三次洛遊会)
2015年10月27日(火)~2016年10月29日(木)
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第3日目;2015年8月27日(木) (つづき) 晴
<ルート地図>
■上田市内詳細図
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■上田城趾公園
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<上田城趾公園散策>
■上田城趾公園に到着
12時台の軽井沢行の電車に乗りたいという方が居られたので,途中の社寺詣では端折って,10時46分,上田市役所前に到着する.ここで一旦善光寺街道から離れて,上田城趾公園に向かう.1時間ほどの間に,上田城趾公園を一回りするつもりである.
10時55分,上田城趾公園入口に到着する.
このブログでも何回か書いたことがあるが,私は中学,高校時代の6年間,この近くにある学校に通っていたので,いくらかの土地勘がある.
まず最初に,上田丸子電鉄の廃線跡を散策しようと思ったが,工事中で入れない.残念.
仕方がないので,橋を渡って公園内に入る.
<上田市役所>
■三吉米熊胸像
10時57分,立派な胸像の前に到着する.
この胸像は三吉米熊という人物である.傍らにある説明文によると,この人物は蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)の創始者とのことである.
もう少しゆっくり見て回りたいとも思ったが,あまり時間がないので,先を急ぐことにする.
<三吉米熊胸像>
■北櫓と南櫓
11時丁度に銃口櫓門に到着する.銃口櫓門の両側には,北櫓と南櫓が建っている.
櫓門に近付くと,昔の衣裳を着た若者が私達に近付いてくる.太鼓を持った男性がたいこを叩いて景気付けする.
「(衣裳が)良いですね…写真を撮らせて下さい…」
ということで撮影したのが右下の写真である.
<南櫓と銃口櫓門> <昔の衣裳を着た若者>
■記念写真
私は,ここで記念写真を撮ろうと,咄嗟に思いつく.
この若手の方にお願いして,全員が揃った記念写真を撮って貰う.残りのお二人の若者にも写真に入って貰う.
気っぷの良い若者から”若素”をタップリ貰ってから,銃口櫓門を潜る.
<銃口櫓門の前で記念写真>
■真田神社
11時04分,真田神社に到着する.
参道左手に,六紋銭の付いた大きな赤ヘルメットが飾られている(冒頭の写真).
参拝を済ませた後,しばらくトイレ休憩を取る.
<真田神社>
■お堀沿いに一回り
だんだんと時間が押してくる.
あまりゆっくりしている余裕もないので,途中を端折って,お堀をざっと一回りすることにする.まだ紅葉の見頃には早すぎるが,公園内の紅葉を眺めながら,速からず遅からずの歩行速度で,寄り道せずに一回りする.
<お堀の廻りを一周する>
■胸像と神社
お堀の北側,二ノ丸付近を歩いているときに,胸像が建っているのを見つける.遠目で見ると「羽田文■(読めない)」という方の胸像らしいが.この人物については,まだ調べていない.
続いて,11時16分,招魂社の前を通過する.
<羽田氏の胸像> <招魂社>
■園内で休憩
11時18分,トイレ近くのベンチでトイレ休憩にする.
休憩を取りながら,これから軽井沢行の電車に乗る予定の方を除く残りの方に,これからの希望を伺う.するとさらにお二人が,これから,しなの鉄道で軽井沢まで行って,JR関東バスで横川まで出てみたいという.
西上田まで歩こうかと思っていたが,折角6人一緒に旅をしているのに,半分の人数になってまで,旅を強行するのはどうもまずい.
「では,今回は上田駅を終点にしましょう…」
ということにする.
ついつい荒い口調で,
「次回は最終日に,勝手なことを言わないで下さい…」
と言ってしまう.
第3回目は西上田から出発という前提で,大筋を考えていた私は,正直なところ,困惑しないと言ったら嘘になる.
”まあ,それも仕方がないな,やっぱり一緒に歩いて下さる方が居てこその旅だから…”
と達観する.
<ベンチで休憩>
<上田城趾公園から上田駅へ>
■上田市観光会館
上田城趾公園を最短距離で一回りし終えて,10時34分に公園の外に出る.
道路を挟んで反対側にある上田市観光協会に立ち寄って,休憩兼お土産購入の時間を5分ほど取る.
私は特に買いたいものもないので,皆さんが店内を一回りし終わるのをジッと待っている.
<上田市観光海難の内部>
■裏道を通って上田駅へ
さて,ここから上田駅までの道順である.
次回,また上田から歩き出すことになるので繁華街の松尾町を通るのはそのときの楽しみに取って置いて,近道を通ることにする.
右折して市役所の庁舎の間の路地を南へ向かう.すぐにお堀に突き当たる.
「あつ…! FHさんの母校だ!」
私が言う前にどなたかが気付く.
「実はそうなんです.ここが旧制上田中学から新制高校になったところです.私,6年間をここへ通いました…」
堀沿いに右折して,正門と同窓会間の間の道を駅の方に向けて歩く.
「門札見て下さい.長野県立…とは書いてないでしょう.長野県では”長に県立○○高校”とは言わずに長野県○○高校って言うんです…」
と説明するが,なぜ,県立と言わないのか私には分からない.
門の中に自動車が止まっているのが見える.
中学生の時,この辺りで,東京裁判の判決をラジオで聞いたことを鮮明に思い出す,戦後,英語の教師が羽振りを利かせていた.英語のご判決を聞いて,
「○○は死刑だ!」
と,大声で,集まっている先生や生徒に通訳する.
”deth by hang”
という重苦しい言葉が未だに私の耳に残っている.
この門の向こうには,素晴らしい思い出とともに,戦中戦後の忌まわしい思い出も沢山残っている.結論はどんなことがあっても戦争は避けるべきであるということ.
とはいえ,何年ぶりかで訪れる母校に感無量である.
話は端折ってしまうが,この辺りも上田城の一部だったところ.したがって六紋銭のマークが昔から校章のように愛用されてきた.
<旧制上田中学・新制上田高校の校門>
■上田駅で解散
裏路地を辿って,上田駅に向かう.このルートは正に私が6年間通っていたルートである.
11時56分,上田駅に到着する.
今日の歩き出しは8時35分であった.だから今日はたった2時間21分しか歩いていない.でも今日はここで解散.
しなの鉄道で軽井沢方面に向かう4人とは,ここでお別れである.
私は北陸新幹線を利用して,なるべく早く帰ることにする.
<上田駅に到着>
<北陸新幹線で帰宅>
■北陸新幹線で帰宅
私は一人になる.
列車の旅は,車窓の風景を眺めながらのボンヤリ一人旅が最高である.
上田発12時12分あさま号に乗車する.もちろん自由席.この時期ならば自由席でも上田で絶対座れると確信があった.
高崎まではトンネルが多いが,それでも晴れていれば佐久平付近で浅間山が見えるので,進行方向左手の窓際の席に座る.
期待通り,12時28分頃,車窓から浅間山を拝む.私の青春が凝縮している山である.
”…小諸出て見りゃ,今日も三筋の雲が立つ…”
ではないが,火口付近から煙が立ち上っているようである.
浅間山を眺めながら,小山敬三の素晴らしい浅間山の絵をフト思い出す.
<新幹線の車窓から浅間山を望む>
■上野東京ラインの電車で帰宅
軽井沢を過ぎる頃から眠くなる.その後はウトウトと居眠りをしながら過ごす.
13時50分,上野駅に到着する.私は上野で下車する.
上野東京ラインが開通してから東京駅が始発駅ではなくなった.したがって東京駅で乗り換えたのでは,座れない可能性がある.だから,乗換は上野か大宮に限る.大宮ならば湘南新宿ライン,上野東京ラインの両方の電車が利用できる,
上野発14時01分の上野東京ラインの電車に乗車する.もちろん座れる.
ウトウトしている内に,14時10分,大船駅に到着する.
”あつ!…そう言えば昼飯を食べていないな…”
と妙なことに気がつく.気がつくと無性に腹が減ってくる.
私は今から昼飯では.時間一寸微妙だなと思ったが,腹が減っては戦ができない.
成り行きで,駅前の「てんや」に入って,500円也の天丼を注文する.
”これが,実に旨いんだな…”
もし私がネコだったら,歓喜の”がおん,がおん”の雄叫びをしながら食べるであろう.これは冗談.
15時30分頃無事帰宅する.
こうして,第2回目の旅も,なんとか終わった.でも,今回は色々あって,燃え尽き症候群のような症状が,私の体内で見え隠れする.年のせいかな?
次回は来年4月下旬の予定である.あともう一回.何とか成功裏に終わらせたいものである.
<第2回3日目のラップタイム>
8:35 信濃国分寺駅歩き出し
8:42 善光寺街道(馬頭観音前)
8:52 川魚料理店「ひばち屋」前右折
9:56 愛宕社
9:00 火の見ヤグラ
9:17 信濃国分寺道標
9:23 セブンイレブン(9:35まで休憩)
9:55 信州大学繊維学部(信濃国府跡)
9:57 科野大宮社(10:03まで参拝休憩)
10:07 常田毘沙門天(10:10まで参拝)
10:15 日輪寺(10:29まで参拝)
10:30 宗吽寺
10:32 願行寺(10:33まで参拝)
10:33 市神社
10:46 長野市役所
10:55 上田城趾公園(10:34まで)
10:34 上田市観光協会(10:40まで)
10:56 上田駅着(解散)
[第2回3日目のウォーキング記録]
■水平歩行距離 6.7km
■累積登攀高度 36m
■累積下降高度 55m
■所要時間(休憩時間込み)
信濃善光寺駅発 8:35
上田駅着 10:56
(所要時間) 2時間21分(2.35h)
水平歩行速度 5.7km/2.35h=2.43km/h
[第2回ウォーキング記録の纏め]
第1日目 第2日目 第3日目 合計
■水平歩行距離 (km) 12.9 12.4 6.7 32.0
■累積登攀高度(m) 294 97 36 427
■累積下降高度(m) 411 191 55 657
■所要時間 (h) 6.33 7.02 2.35 15.7
■水平歩行速度 (km/h) 2.03 1.78 2.43 2.04
(第2回終わり)
(第3回に続く)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2f9af04ecd9f78c8262b6e15d693f5fc
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
「善光寺街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d34e361d25dde7b588c7d9c4ec9c18e4
「善光寺街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8c004862363c76427109d9a7c4030243
「善光寺西街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33d3e4a1fc9831ac17b48baa1b527962
「善光寺西街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f71644979892cd488cd56360b380d188
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