東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(27)
(小田急トラベル)
2008年2月9日(土)~11日(月・祝)(その5)
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第9回第2日目 2月10日(土)(3)
<富士川を渡る>
■道標と常夜灯
JR柚木駅で,約20分の休憩を終えた私達は,12時02分,「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに,再び西へ向けて歩き出す。6差路のやや大きな交差点を渡る。進行方向がやや南に傾く。そして,12時08分,「道標と常夜灯」と書いてある案内杭の前を通過する。傍らに,高さ2メートル余りの大きな石造りの灯台が建っている。例により,大急ぎで写真を撮る。
<道標と常夜灯> <水神社と渡船場>
やがて,やや登り坂の広い道に入る。何となく蒸し暑い。歩道がないので,側溝の蓋をガタガタと音を立てながら歩き続ける。12時22分,富士川の畔に到着する。
■富士川大橋
やがて富士川の畔に到着する。先頭を行くガイドが,対岸を指さしながら,
「旧東海道は,今の橋より,もう少し上流の方にありました。ですから,橋を渡ってから,少し上流に遡ります・・」
という。
12時22分に橋を渡り始める。富士川の川幅は結構広い。良く晴れているので,雪を被った富士山が,川の流れの向こうに,大きく見えている。素晴らしい眺めである。絶えず強い風が吹き抜ける。橋の途中で何回も立ち止まって,富士山の写真を撮る。
<富士山の眺望:富士川鉄橋の途中から望む>
12時28分に,ようやく富士川の鉄橋を渡り終えて,対岸に到着する。橋を渡るのに6分ほど掛かったことになる。河岸には立派な桜並木が続いている。まだ,時期が早いので,桜は咲いていないが,満開になったら,ずいぶんと見事だろうなと想像する。
橋を渡り終えた河岸の道を,ほんの30メートルほど遡った所に,「水神ノ森と富士川渡船場」の説明文がある。ほぼ全員が素通りするが,私は気になったので,小走りに河岸の道を遡って,案内板の写真を撮る。たちまちの内に,グループの最後部になってしまう。何とも悲しくなるほど慌ただしい。
<水神ノ森と富士川渡船場>
■光栄寺で昼食
ガイドの説明にあったようい,今,渡り終えた現在の鉄橋は,旧東海道よりも,少し南側に位置している。
橋を渡り終えてから,民家の間の狭い階段を降りて,川沿いの細い道を少し北上する。そして,旧東海道の船着き場辺りから,鋭角に西南に曲がって,住宅地の中の閑静な道を横切る。さらに,目の前に見えている小高い丘を登る。
標高差で20メートルほどもあるだろうか,急坂を登ると,光栄寺に到着する。ここで昼食である。
<光栄寺>
山門下の駐車場で,弁当を受け取る。そして,寺の境内で三々五々腰を下ろして昼食を摂る。私は,山門からもう少し上に登った墓地の片隅に腰を下ろす。眼下には,つい先ほど渡った富士川の鉄橋が見えている。
支給された弁当は「桜えび弁当」。なかなか豪華で,美味しい。食べ物が美味しいと,気分も良くなる。
昼食後,寺の境内を拝見する。本堂脇の広場は高台になっている。ここから,真っ白な富士山が,とても良く見えている。
<仕出し弁当:さすが静岡,お茶も美味しい>
<蒲原宿に到着>
■中之郷
13時24分に光栄寺を出発する。急坂を下って,再び旧東海道に出る。裏路地のような感じの旧東海道を,ほぼ西に歩き続ける。そして,13時35分,日本橋から35番目の岩淵一里塚跡を通過する。一里塚跡には,大きな石柱が建っている。その脇に説明文が書かれた看板が立っているが,読んでいる暇がない。残念だが,そそくさと写真を撮るだけで,置いて行かれないように苦労する。
<中之郷案内板> <岩淵一里塚跡>
この一里塚前の三叉路を右に曲がって,富士川町役場を見ながら,西に進路を変える。この辺りの道筋はなかなか複雑で分かりにくいが,次の交差点を真南に曲がる。そこから暫くの間,南へ,南へと歩き続ける。
郵便局の手前の交差点で右折して西へ向かう。さらに南南西に進路を変える。登り坂になる。13時48分,「中之郷」と書いてある案内板を通過して,東名高速道路のガードを潜る。北側には丘陵が続く。私達は丘陵の斜面をトラバースする道に沿って,ほぼ南に向けて歩いている。
13時58分に東海道新幹線のガードを潜る。やや急な登り坂が続く。その内に,列がバラケて,先頭と末尾の距離が長くなる。
14時10分,峠を越えた所で,給水のために小休止する。一同,木陰に入って,立ち休憩を取る。
■蒲原一里塚
再び歩き出す。なだらかな下り坂になる。14時12分,東名高速道路に架かる歩道橋を渡って,反対側に出る。そして,真南に向かう道に沿って歩き続ける。
<東木戸・常夜灯の説明文>
辺りが宿場町らしい雰囲気の集落になる。14時18分,蒲原東木戸常夜灯跡,14時21分,江戸から36番目の蒲原一里塚跡に到着する。ここで,ほんの2~3分,休憩を取る。近くに北条新三郎の墓がある。後北条の要人らしいが,私にはどんな人物か全く分からない。
旅行社の資料によると,蒲原宿は,本陣1軒,脇本陣3軒,旅籠55軒,宿内人口2480人,宿内戸数509戸の規模であったらしい。
<北条新三郎の碑> <蒲原一里塚跡>
(つづく)