<齣木野宿碑>
歩いて巡る甲州道中四十四次(第4回);(1)高尾から齣木野宿へ
(五十三次洛遊会)
2013年6月9日(日) 晴
<第4回の概要>
■第4回ルート地図
■第4回ルートの概要
今年3月に江戸日本橋から歩き始めた甲州道中の旅も,今回でいよいよ第4回目を迎える.
今回は,JR高尾駅から歩き出して,齣木野宿(12),小仏宿(13),尾原宿(14)を経由して,JR相模湖駅まで,水平距離11.2キロメートル,累積登攀高度563メートル,累積下降高度530メートルの行程である.
途中,日本橋から歩き始めて最初の難所,小仏峠越えがある.
参加者は11名,内,男性6名,女性5名である.全員が東海道五十三次を一緒に歩いた仲間である.
<ルート地図>
<JR高尾駅集合>
■朝の暇を持て余しながら高尾へ
関東地方は,すでに梅雨入りしてから約2週間になるが,その間,殆ど雨が降っていない.今日も朝から真夏を思わせる強い日射しが照りつけている.
例によって私は3時半頃起床するが,今日はお出かけとなると,塔ノ岳に出掛けるときと同じように,朝の内に仕事をするだけの時間もないし,そうかといって,グズグズ家で時間を過ごすのもイライラして仕方がない.私は,こんな時間に家を出るのは,早すぎると十分承知の上,何時も塔ノ岳に登るときと同じに,5時10分に家を出発する.
大船駅前のマクドナルドに立ち寄って,コーラを飲みながら,40分ほど時間を潰す.その間に,地図を見ながら,今日のコースの予習と,次回のコース地図の見直しを行う.早朝にもかかわらずマクドナルドは沢山のお客で混雑している.20歳代前半と思われる客が多いようである.
大船6時10分発湘南新宿ラインの電車に乗車する.
このまま新宿まで行って,中央線快速電車に乗って高雄まで行こうかと迷うが,結局は浜駅,東神奈川駅で合計2回乗り換えて浜線で八王子駅へ向かう.
7時30分,八王子着.ここでまた中央線に乗り換えて7時45分に高尾駅に到着する.
到着ホームに,大きな天狗の面が飾られているのに気がつき,ビックリする.今まで何回か高尾駅に来ているのに,こんな大きな面があるのに気がつかなかった.
<高尾駅に到着>
■登山客で混雑する高尾駅
集合時間は9時丁度である.いくら何でも早すぎる.高尾駅は沢山の登山客で,朝から随分と混雑している.殆どの登山客は多分高尾山に登るんだろうなと勝手に想像する.
“まずは,コーヒーでも味わいながら,ゆっくりしよう…”
ということで,駅舎内のコーヒー店に入る.すると,今日の参加者のお一人,U田さんが私の目の前に居られる.こんなに早く高尾に到着したのは私1人だけだと思っていたので,随分とビックリする.
ホットコーヒーを所望する.
小さなお盆に乗せられたコーヒーは,なかなか見栄えがよい.味もまろやかで風味があり,私には絶品に思える.
2人で雑談をしながらコーヒーを味わっていると,H田さん,W井夫妻などの仲間の方々が次々にコーヒー店に入ってくる.
集合時間の15分前,8時45分に集合場所へ,
間もなく全員が集まる.幾つものグループがほぼ同じ場所で集合しているので,似たような人達が沢山居て実に紛らわしい.
<高尾駅で賞味したコーヒー>
<高尾駅から歩き出す>
■喧噪の高尾駅前
挨拶とリーダーからの連絡事項を終えて,8時56分,いよいよ歩き出し.第4回甲州道中の旅が始まる.
今日は日曜日.高尾駅前から頻繁にバスが発着している.喧噪の狭い駅前から逃れるように歩き出す.まずは駅前の通りを抜けて,中山道に出る.
<高尾駅前を出発>
■廿里原古戦場
中山道に沿って西へ向かう.狭い道路だがバスや自家用車の交通量が随分と多いので,落ち着かない.
進行方向右手(北側)には若葉が美しい丘陵が見えている.
「多分,あの辺りが廿里原古戦場(とどりこせんじょう)でしょうね…」
と近くの方にお話しする.
資料3の説明には,
「廿里古戦場は,戦国時代の1569年(永禄12年)10月1日に武田軍と後北条軍とが戦った古戦場.十十里原古戦場,十々里古戦場とも書く.現在の八王子市廿里町,廿里山(戸取山・鳥取山とも)の南側.現在は,独立行政法人森林総合研究所・多摩森林科学園(サクラの遺伝子保存や森林・林業に関する試験研究機関)がある付近.
後北条氏の本拠・小田原城攻撃に向かう武田信玄率いる甲州勢2万は碓氷峠を越え,北条方の支城を攻撃しながら南下し,瀧山城の北,拝島に陣を敷いた.
一方,武田軍の別働隊で岩殿城主・小山田信茂隊1千は小仏峠から侵入した.これに対し,北条氏照は,家臣ら2千の兵を派遣し,1569年(永禄12年)10月1日,廿里防塁跡で小山田軍を迎撃したが,待ち伏せの奇計を謀った小山田隊に敗北を喫したとされる.
この後,武田軍により,滝山城は三の丸まで攻め込まれたが,かろうじて落城は免れた.北条方は小仏峠からの侵入を予想しておらず,意表をつかれたという.また,加住丘陵を利用した滝山城は南からの攻撃に弱点があることが明らかとなり,小仏峠を睨んだ強力な防衛拠点の構築を急ぎ,急峻な深沢山に八王子城を築き,本拠を滝山城から移転した.」
という説明がある.
■両界橋を渡る
廿里古戦場を右手に見ながら,9時05分,浅川に架かる両界橋を渡る.ここは中央本線のガード下でもある.
<両界橋を渡る>
<齣木野宿>
■齣木野宿の概要
資料2(p.283)によると,齣木野宿はの宿内人口は255人.内,男178人,女177人.宿内惣家数173軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠12軒の規模だったようである.
八王子宿からの距離はわずかに1里27町しか離れていない.また,わずか27町で隣の小仏宿に至る.
インターネットで,齣木野宿の記事を検索したが,めぼしい資料は見当たらない.
■旧齣木野病院
9時15分,旧齣木野病院に到着する.隣接する場所に経っている立派な建物が現在の齣木野病院である.
旧齣木野病院は,一般に公開されていて,見学できるようだが,私たちは先を急ぐので,見学は省略する.
<旧齣木野病院> <現在の齣木野病院>
■齣木野橋
9時20分,齣木野橋を渡る.
傍らに,道路工事で旧齣木野橋を移転したことを説明した石碑が立っている.
<齣木野橋>
■見当たらない本陣跡と脇本陣跡
緩やかな登り坂が連続する.
あらかじめ調べた資料を拠り所にして,本陣跡や脇本陣跡を探すが,案内板もなく,どこか分からないまま通過してしまう.
資料2(p.283)には,進行方向右手にあるS木邸(実名は伏せる)が「昔の脇本陣だが家は新しい.その先の空き地が本陣跡」という記述があるが,あまり判然としないまま,本陣跡,脇本陣跡を通過してしまう.
資料1には,進行方向左手にある古い建物が佐藤氏宅で古文書が残っているという説明があるが,どの家が佐藤氏宅かハッキリしないまま通過してしまったようである.
■史跡小仏関址
相変わらずなだらかな登りが連続する.道路は浅川の右岸沿いを通るようになる.何時の間にか,両側の山が迫り,辺りは渓谷風の景色に変わっている.
9時22分,史跡小仏関址に到着する.
「史跡小佛関址」という刻字のある関碑と案内板が立っている.その脇に小さな空き地がある.
温度計を持っていないので正確な気温は分からないが,随分と蒸し暑い.私たちは,関所跡の木陰で5分ほど給水休憩を取る.
傍らの案内板の説明によると.「小仏関所は,戦国時代には小仏峠にこうけられ富士見関とこよばれた.武田,今川,織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され,その後,北条氏の滅亡により,徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されとともに整備された.
この関所は,道中奉行の支配下におかれ,元和元年(1625年)行こう4人の関所番が配備された.関所の通過は,明け六ッ(午前6時)から暮れ六ッ(午後6時)までとし,しかも手形を必要とした.鉄砲手形は老中が,町人手形は名主が発行.この手形を番所に前にすえられた手形石に並べ,もう一つの手付き石に手をついて許しを待ったという.
特に「入り鉄砲に出女」は幕府に対する謀反の恐れがあるとして重視し厳しくとりしまった.抜け道を通ることは「関所破り」として「はりつけ」の罰が課せられるなど厳しかったが,地元の者は下番を交替ですることもあって自由な面もあったらしい.明治2年(1869年)1月の太政官布告で廃止され,建物も取り壊された.」という.
相変わらず蒸し暑いが,木陰に入ると幾分爽やかである.辺りはむせるような新緑に覆われている.
<史跡小仏関址>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BF%E9%87%8C%E5%8F%A4%E6%88%A6%E5%A0%B4
(つづく)
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