中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第2日目(6);青柳宿跡・寒天の里

2014年05月12日 05時55分17秒 | 甲州道中四十五宿

                                 <青柳公民館にて

  歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第2日目(6);青柳宿跡・寒天の里
          
   (五十三次洛遊会)
         2014年4月18日(金)~20日(日)

第2日目;2014年4月18日(土) 
(つづき)

<ルート地図>



<金沢宿(つづき)>

■金沢宿本陣跡(上の問屋)
 青柳公民館で遅い昼食を終えた私たちは,13時33分,午後の部を開始する.
 まずは,車座になって,これからの行程と注意事項の確認を行う.そして,リーダーのONさんの先導で歩き始める.
 広場の桜が満開である.
 歩き出してすぐに金沢宿本陣跡に到着する.今は往時の面影は全く残っていないようである.民家の庭先のようなところに「金沢宿本陣跡」の案内板が立っているだけ.
 この案内板および資料2(p.356)によると,ここは上の問屋でもあった.また,下の問屋は,道路を挟んで本陣跡と反対側にあったという.
 資料2(pp.356-358)によると、下の問屋から北西約250メートルほど進んだところに馬方宿があり,家屋の前に「馬継ぎ石」が残っているとのことだが,残念ながら,私たちはついつい見落として通過してしまう.これも手造り旅の悲しさである. 

<金沢宿本陣跡>

■秋葉常夜灯
 13時38分,秋葉常夜灯という刻字のある石柱が立っているところに到着する.この柱の上に球状の電灯傘が取り付けられている. 
 私はこの石柱の写真を撮りながら,常夜灯が何処にあるんだろうと戸惑う.この球状の近代風の照明が秋葉常夜灯なのだろうか.資料1には「この常夜灯は近世のもの」という注釈があるので,多分,これが常夜灯に違いない.
 常夜灯と言えば,灯籠のような形をした石造りの立派な構造物を連想してしまうが,下の写真のような形式の常夜灯もあることを改めて知った.

<秋葉常夜灯>

■枡形に入る
 私たちは少々合点がいかないまま,常夜灯近くから斜めに右折して路地に入る.この辺りはいわゆる枡形になっている.
 路地に入ってすぐの所が刑場跡だというが,正確に位置を確かめられないまま通過してしまう.なお,資料1によると刑場跡には寛政12年(1800年)に建立された如意輪観音があるという.
 路地はすぐにやや広い道に突き当たる.左折する.するとまたすぐに国道20号線に突き当たる.この突き当たりでさらに右折して枡形を辿る.
 ここは遠道との追分でもある.

<右手の路地に入る>

<青柳宿跡と寒天の里>

■権現の森
 13時41分,金沢橋を渡る.
 13時44分,信号谷の口で国道20号線を渡る.交差点の一角に神社の森が見えている.資料1の地図で確かめると,ここはどうやら権現の森らしい.
 ここには,武田信玄が開発した金鶏金山の守護神金山権現が祀られている.
 資料1によると,昔は,金沢橋付近に橋渡しがあって,宮川を下って琵琶湖に通じていたようである.

<権現の森>

■青柳宿跡
 13時46分,信号谷の口から,国道20号線沿いの裏道に入る.いうまでもなくこの裏道が本来の甲州道中である.道幅が少し狭い閑静な道路になる.道路の両側には,住宅が点々と続く.
 資料1によると,この辺りに青柳宿があったが,宮川の氾濫や大火に見舞われたために,廃宿となり,代わりに金沢宿が新設されたとのことである.

<国道20号線の裏道に入る;このあたりに青柳宿があった>

■立派な多重塔
 13時50分,立派な多重塔が目に着く.手許の資料では,この多重塔にどのような由来があるのか全く分からないが.姿形が良いので,写真を撮っておくことにする.
 この多重塔に歴史的な価値があるのかどうか,私には全く分からない.

<立派な多重塔>

寒天の里
 13時54分,進行方向左手の山際に「寒天の里」と書いた大きな立て看板の前に到着する.
 資料3には,「諏訪地方で寒天の製造が始まったのは,茅野市玉川が発祥の地で170年ほどの歴史があります.冬の高原地帯の寒気を利用した天然角寒天づくりは,長野県を代表とする地場産業であり「信州寒天」づくりは冬の風物詩.冬の寒い気候を利用して古くから天然の製造方法にこだわった「角寒天」は,全国一のシェアを誇っています.
毎年2月16日を「寒天の日」に制定しています.」とういう説明がある.
 蛇足だが,天草からトコロテンを作り,これを凍結乾燥すると寒天になる.この辺りの寒冷な気候が寒天作りに適しているようである.


<寒天の里>

■川向こうにある一里塚跡
 13時55分,三叉路に突き当たる.ここを右折する,左手には万年橋が見えている.本来の甲州道中は,この三叉路をそのまま直進していたが,今はもう通れない.
 13時58分,バス停清水橋を通過する.
 バス停清水橋の直ぐ近くの電柱に,一里塚跡を示す案内板が取り付けられている(14時00分).今はもう廃道になっている甲州道中は,木舟川の川向こうに一里塚跡があるらしいが,ここからは行く術(すべ)がない.
 一里塚のある方向を眺めながら,あんなところに甲州道中があったんだなと想像しながら,再び喧噪の国道20号線に沿って歩き始める.
 資料1によると,川向こうにある一里塚は江戸日本橋から49番目の一里塚である.ここには稚児神社あるとのこと.なお,当時の宮川は大きく屈曲して流れていたようである.

<宮川一里塚碑案内板>

<木舟の集落を歩く>

■常夜灯と道祖神
 14時03分,常夜灯と道祖神が並ぶ場所に到着する.道祖神の裏書きによると天保4年(1833年)に建立されたものらしい.
 14時15分,空き地に建つ小さな火の見ヤグラの前を通過する.
 
<道祖神と常夜灯>                              <火の見ヤグラ>

■石塔前で一休み
 火の見ヤグラの側に石塔が立っている.
 石塔に何か文字が刻まれているが,何が書いてあるのか私には読めない.石塔の周囲の掃除が行き届いているので,この石塔が地元の人に大切にされていることが分かる.
 資料1の地図を頼りに,この石塔が何かを調べるが,はっきりしない.あるいは道祖神かもしれない.私たちはこの石塔の前で,5~6分の間,給水休憩を取る.
 幸いなことに,皆さんまだまだ元気なようである.
 
<道祖神かな?>                              <給水休憩>

■JR変電所と高架橋
 14時22分,休憩を終えて道祖神前からまた歩き出す.両側に田畑が連なる長閑な道が続く.
 14時23分,進行方向右手の山の際にJRの変電所があるのを確認する.そして手許の地図で現在地を確認する.
 14時25分,頭上を走る立体交差の道を潜る.地図で確かめると,この高架橋はどうやら「のぞみ橋」というらしい.
 
<JR変電所>                                  <立体交差の道を潜る>
                                          (つづく)
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://www.chinocci.or.jp/project/kanten/
                                       (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f7fa78fb4064542178f3363a2267d863
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「甲州道中」の索引
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