中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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鎌倉観桜:忍性墓と北条常磐邸跡周遊(2)

2010年04月12日 23時02分08秒 | 鎌倉あれこれ

                                          <御霊神社近くで・・>

                 観桜の鎌倉:忍性墓と北条常磐邸跡周遊(2)
                        (五十三次洛遊会定例会)
                2010年4月8日(木
) つづき

■長谷観音
 三色コロッケを食べ歩きを続ける.人混みで揉みくちゃになりながら長谷観音前に到着する.
 「・・・長谷観音に入りますか・・?」
と伺う.後期高齢者,かつ(and),鎌倉市民である私は,鎌倉市の『福寿手帳』を持っているので,この手帳を提示すると無料で参観することができる.でも,ご同行の皆様は参観料が必要になる.その参観料が嫌なのか,それとも信心が深くないせいか良く分からないが,
 「・・ここは以前来たことがあるから,もう(中に入らなくても)良い・・・」
 「(入っても,入らなくても)どっちでも良い・・・」
と煮たか沸いたか分からないあやふやな返事しか帰ってこない.私は口には出さないが,心の中で,
 「皆さん“花より団子組”だな・・仕方ないな」
と思う.
 「どうせ・・鎌倉に来るなら,もう少し社寺仏閣に興味を持ってくれ~ぃ・・」
これ,本音である.

<長谷観音>
※写真の人物は私たちと無関係.たまたま写っただけ.


■御霊神社
 長谷観音前の駐車場を横切って,御霊神社に向かう.駐車場の裏口から路地に出る私たちを見た観光客が,
 「あら・・・こんな所から出られるの・・なあ~んだ! ぐるっと回って損しちゃった・・」
と言っている.
 「これは,悪いところ見られたかな・・」
と少し反省する.
 時間が少し押しているので,御霊神社は素通りしようかと思ったが,私の意に反して,数名の方が,五連神社裏手の“あじさい”のある道の方まで行ってしまう.ここには十両,百両,千両,万両の木が揃っている.どうせどこまで行かなければならないという決まりがあるわけではない.私は一行が飽きるまで辛抱強く待つことにする.
 そうこうしている内に,境内入り口にある江ノ電の踏切警報機が“チン,チン,”と鳴り出す.私は極楽寺方面からトンネルを出てくる江ノ電の電車の写真を撮りたい.早速,踏切近くまで行って,待望の写真を撮る.だが,後で見直すと,電車の脇に,写真機を構える女性が写っている.ファインダーを覗いているときには,この女性の存在に気がつかなかった.後で私はガッカリしてしまう.

 

<極楽寺トンネルを出る江ノ電>
※ムムム・・残念! 人間が入ったのに気がつかなかった.

■星ノ井
 御霊神社から成就院に向かう.
 三叉路の角にある力餅屋の前に沢山の観光客が屯している.私たちの仲間も食べ物に眼がない人たちが多いので,多分,ここでも引っかかるだろうと思っていたが,意外に無反応である.そこで,素っ気なく力餅屋の前を通過する.正直なところ,私は数え切れないほどこの店の前を通っているが,まだ一度も力餅とやらを賞味したことがない.
 11時47分,星ノ井を通過する.
 「・・・ここは星月ノ井ともいわれ,昔は深い森林に覆われていて,昼なお暗い所だったんです.だから,昼間でも,この井戸を覗くと,水面に映る星が見えたと言われているんです・・」
と説明するが,数人しか興味を示さない.後の人たちは星ノ井など眼に入らないらしくて,ドンドン先へ行ってしまう.
 「折角,鎌倉十井の一つを訪れているのに・・・わざわざ鎌倉くんだりまで来て,どうして見逃してしまうんだ!」
と心の中だけで罵倒する.
 余談だが,この谷戸には“星月夜ヶ谷(ほしづきよがやつ)”という素晴らしい名前が付いている.ちなみに,鎌倉の歌枕“星月夜”は,この星月夜ヶ谷に由来している.このようなことを考えながら,鎌倉を見物したら,もっと,もっと楽しいはずなのに・・でも,まあ,人それぞれ,団子が旨ければいいか!


■成就院
 11時52分,108段の階段を登って,成就院に至る.アジサイが見頃な時期には,沢山の観光客で賑わっているが,今の時期は閑散としている.階段上から見下ろす由比ヶ浜の景色は,何時見ても美しい.
 昔の極楽寺切通は,今の切通の位置よりも高くて,成就院前の高さにあった.つまり現在の切通は,昔よりかなり深く堀り込まれているので昔の面影はない.そのため,鎌倉七切通の中で,ここだけが国指定史跡になっていない.
 新田義貞の鎌倉攻めの時に,この近くの霊山で激戦が行われたという(鎌倉市教育センター,2009,p.154).

<成就院からの由比ヶ浜遠望>



■伝上杉憲方墓
 成就院の階段を下って左折,狭い石段を登って,12時丁度に伝上杉憲方墓を詣でる.
 民家の裏手の狭いところに鎌倉公方足利氏満の執事,伝上杉憲方の墓がある.国指定史跡.七層塔が憲方の墓,五輪塔は妻の墓だという(鎌倉商工会議所(監),2009,p.43).
 私は何回もここを訪れているが,何時もは,ここで観光客と鉢合わせになったことはない.ほとんどの観光客が素通りするところである.ところがどうしたことか,今日は,沢山の観光客が,ここを訪れている.実に不思議である.
 上杉憲方の出目は,言わずと知れた山ノ内上杉.山ノ内にある名月院を開いた人物である.
 もう,かれこれ10年ほど前になるが,私は浄明寺在住の山仲間である仙人と,鎌倉の秘境を盛んに歩き回っていたことがある.山の中を歩くのも,今ほどうるさくなかった頃のこと,私は,偶然,西方寺跡を訪れたことがある.ここに上杉憲方の妻が建立したといわれる宝筐印塔を遠望したことがある.今は非公開の場所なので,詳しい位置を記述することは差し控えるが,当時写した写真がどこかに残っていることを思い出す.




■熊野新宮
 次から次へと訪れる観光客とすれ違いながら,狭い石段道を下り,ふたたび三叉路へ戻る.桜橋を渡って導き地蔵の前を通過する.
 ほんの数十メートル先へ進むと再び三叉路がある.道路が分岐するところに「熊野新宮 八雲神社 諏訪神社」と三つの神社名が並べて彫ってある石碑が立っている.ここを右折して住宅地に入る.
 「これから熊野新宮へ向かいますが,閑静な住宅地の中を通ります.広がらずに静かに歩いてください」
と一行に注意を促す.それにもかかわらず,意に介さないように数名横に並んで歩く人が居る.戦中育ちの私には,
 「広がらないというのは『一列縦隊になって歩け』っていうことだ・・!」
と怒鳴りたくなるが,ムカムカする心をジッと抑えて我慢する.戦後のだらしない仕草が,いちいち気に障るが,“仕方がないことだ,”と自分自身に言い聞かせながら,イライラ心を“じっ”と胸の内に収める.
 12時09分,熊野神明社に到着する.ここは極楽寺の鎮守の神として建立されたという(鎌倉市教育センター(編),2009,p.158).境内は隅から隅まで清掃が行き届いている.この神社が地元でとても大切にされていることが分かる.
 この辺りには,昼食を摂る適当な場所がないので,やむを得ず熊野新宮の境内を拝借することにする.
 「あまり目立たないように,片隅で食事を摂ることにしましょう・・」
と一同に促す.一行の一人が,
 「ベンチがないな・・」
と贅沢を言う.私は内心で“カッ”とする・・・“冗談じゃないっ! 苦労して食事の場所を探しているのに贅沢を言うな”と無言で罵倒する・・・が,心の中だけ.うわべでは,
 「あまり贅沢を言わないでくださいよ.この辺りには適当な場所がないんです・・」
と穏やかにいう.
 社殿の脇に座り込んで,静かに食事をする.
 例によって,多くの方々からお菓子類の差し入れがある.
      
          <熊野新宮の案内碑>


<熊野新宮>

■極楽寺
 昼食を終えて,12時45分に熊野新宮を出発する.そして,12時50分,極楽寺に到着する.
 残念ながら極楽寺境内は「撮影禁止」である.私は境内に入る前に,山門の外から境内の写真を撮る.
 例年,元旦と4月7日から9日までの3日間だけ本尊の釈迦如来立像が公開される.国の重要文化財である.今回の定例会の日程は,この公開日にあわせて設定しているので,ここだけは十分に時間を取りたいと思っている.
 入口で団体料金400円/人を支払う.沢山の観光客に混じって,4月8日,つまり今日だけ公開されている釈迦如来座像,十大弟子像,不動明王などを拝見する.いずれも国重要文化財である.私は仏像のことは皆目分からないが,それでも厳かな雰囲気に圧倒される.
 極楽寺のパンフレットによると,この寺の開基は北条重時,義時の三男で泰時の弟にあたる人物である.開山は忍性菩薩.境内に施薬院,悲田院,施益院,福田院の四田院を設けて,人々の救済につとめたという.
 仏像の見学を終える.境内で甘茶を頂戴する.品の良い甘さのお茶である.美味しい.
 「○○という草を,そのまま煎じたものですよ・・・」
と係の方の説明を伺うが,聞いた途端に○○の部分を忘れてしまう.

<極楽寺山門>


<極楽寺裏手から境内を写す>
※右手の白い布を掛けたテーブルで甘茶をいただく.

■忍性の墓
 境内を抜けて,裏手の道に出る.ここを左折して,なだらかな上り勾配の石段を数分登って,忍性の墓(忍性塔)に到着する.大きな五輪塔である.沢山の見物客が集まっている.ここも撮影禁止なので,残念ながら五輪塔の写真は撮れない.塔の前で数名の坊さんが朗々とお経を唱えている.何となく凛とした雰囲気が漂っているので,塔の近くまで行けない.
 暫くの間,お経を聞きながら五輪塔を眺める.
 帰りしなに,遠くから五輪塔の頭だけ見えるところで写真を撮る.
                           


<忍性墓の天辺だけ見えている>

                             (つづく)

 [参考文献]

鎌倉商工会議所(監),2009,『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
霊鷲山感応院極楽寺,「極楽寺のしおり」

「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3ff6246811c22249ae43fd88a54591c0
「五十三次洛遊会」の次回の記事
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「鎌倉あれこれ」の前回の記事
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「鎌倉あれこれ」の次回の記事



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