中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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鎌倉観桜:忍性墓と北条常磐邸跡周遊(1)

2010年04月11日 10時17分05秒 | 鎌倉あれこれ
                    <鎌倉文学館前を散策>

        鎌倉観桜:忍性墓と北条常磐邸周遊(1)
             (五十三次洛遊会定例会)
             2010年4月8日(木)

<散策地図>



■鎌倉駅前に集合
 今,鎌倉の桜は丁度見頃を迎えている.
 我が家の2階から,毎日,鎌倉中央公園の桜に見入っている.つい先日までは,桜の開花がとても待ち遠しかったが,今は,もう少し長く咲いていてくれと祈るような,ハラハラするような気持ちで桜を眺めている.
 今日(4月8日)は,朝からとても天気がよい.気温は少し低いようだが絶好の行楽日和である.
 私は,出席者にお配りする地図をコピーするために,大船へ出た.天気が良いためか,大船駅付近も大変な人手で混雑している.
 まだ,集合時間に間があるが,横須賀線で鎌倉駅へ向かう.まだ,集合時間25分前だが,もう数人の方々が見えている.集合時間前に一寸コーヒー店に立ち寄りたかったが,残念ながらお預けになる.
 今日の参加者は15人.集合時間前に全員が揃う.
 10時丁度に鎌倉駅前から歩き出す.

■浜の大鳥居
 東急デパート近くにある商店街を潜り抜けて,一旦,若宮大路に出る.そして,若宮大路を南下する.歩道橋の架かる交差点の手前にある浜の大鳥居跡に,10時16分に到着する.
 ここに説明碑と丸い敷石がある.資料(鎌倉市教育センター(編),2009,p.130)によると,1990年(平成2年),「芯とその回り期を寄せ集めた直径1.6mほどの柱の根元が発見された」という.大鳥居脇の石碑の説明文によると,1553年(天文21年),北条氏康時代に建立されたようである.しかし,同資料によると,「実際は1552年(天文21年)に建立.鳥居を作った木は上総(千葉県)産,17年の歳月を掛けて完成した」という.


畠山重安の墓(六郎様)
 一の鳥居を通過する.もともとあった一の鳥居は,1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊した.その後,1937年(昭和12年)修復された(鎌倉市教育センター,p.130).この辺りまで来ると観光客の人数もかなり少なくなる.
 10時22分,畠山重安の墓に到着する.畠山重安の墓については,このブログ記事でも,たびたび登場しているが,咳の神様として信仰されている.


■和田塚
 畠山重安墓を通り過ぎたところで,右折して路地に入る.
 「・・・皆さん,これから住宅地の中に入りますので,静粛にしてください・・」
と毎度のことながら注意する・・・が,なかなか守ってもらえないので,内心ではイライラが続く.
 「なんで,歩きながらベチャベチャちゃしゃべくってるんだろう・・・話の種が,よく尽きないな」
と半ば呆れている.
 くねくねと路地を回って,和田塚に出る.ここで一休み.
 ここは和田義盛一族の塚という説もあるが,実際には,「和田一族とは無関係で,向原古墳群の円墳の一部」だといわれる(鎌倉市教育センター,2009,pp.128-129).


■染谷太郎大夫時忠邸跡
 途中から,右折して,また路地に入る.江ノ電の踏切を渡る,由比ヶ浜通りに出る直前で左折して,再び江ノ電の踏切を渡る.そしてやや広い通りに突き当たる.ここを右折する.自動車の往来に気をつけながら北西に進む.
 10時45分,染谷太郎大夫時忠邸跡を通過する.
 時忠は藤原鎌足の孫である.奈良東大寺を開山した良弁の父.この近くにある甘縄神明社を支配した別当,甘縄院は時忠の支援で開かれたという(鎌倉市教育センター,2009,p.138).
 なお,六国見山の山頂にある稚児塚は染谷太郎大夫時忠の子の墓といわれる稚児塚がある.
    
                 <染谷太郎大夫時忠邸跡>

■ジャックと豆の木
 すぐに由比ヶ浜通りに出る.
 交差点を鎌倉文学館側に渡る.渡って直ぐの所,左側に「ジャックと豆の木」というパン屋がある.間口半間の実に小さな店である.
 「・・・ここのパン,とても美味しいよ・・」
と紹介する.ただ,開店は11時.まだ開店まで10分余り時間がある.どうしても,ここでパンを買いたい方が何人も居るので,時間つぶしのために鎌倉文学館前まで歩く.
 「文学館に入りますか?」
と一同に伺うが,積極的に入ろうという奇特な方はいない.少し暇つぶしをして再び「ジャックと豆の木」に戻る.大部分の方々が好みのパンを購入したようである.

<「ジャックと豆の木」の店の前>

■コロッケを賞味
 「ジャックと豆の木」で20分ほど想定外の時間を費やす.どうせどこまで行かなければならないという旅でもないので,まあ,いいか,なるようになれで,特段急ぐこともない.ついでに由比ヶ浜通りにある有名なコロッケ屋(屋号失念)に立ち寄る.
 私も,ここにコロッケ屋があって,沢山の観光客が訪れているのは知っていたが,食べ物と植物のことが良く分からない私は,特段の興味もなかった.でも,今回は皆様と一緒に初めて店内に入る.
 油の臭いが第一印象.ショーケースには数十種類のコロッケが展示されている.注文するとその場であげてくれる.私は何を注文して良いのか迷うが,「迷ったら三色コロッケ」と書いた紙を見て,素直に三色コロッケを注文する.そして,生まれて初めて(だろうと思うが),食べ歩きをする.
 昭和初期の流行歌ではないが「今日もコロッケ,明日もコロッケ」では確かに味気はない.でも,揚げたて,熱々のコロッケは,確かにおいしい.
 とはいえ,私のような戦中派(正確には戦後の「焼け跡派」)には,食べ歩きなどは論外の不作法行為に思える.こんな行儀の悪いことは,何時もは絶対にしないのだが・・・コロッケに免じて,今回は特別だ.
   
      <三色コロッケ>

                               (つづく) 

[参考文献]

鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会

「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/96da02787ee012dfa8f99f7e697940a6
「五十三次洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ae126b97fe1b9a0dd1ba920203cb65d8
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0da18fc463caed72ae0d7c16cf07cc0


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