<清見寺>
東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(29)
(小田急トラベル)
2008年2月9日(土)~11日(月・祝)(その6)
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第9回第2日目 2月11日(月)(1) 晴れ
<清水を出発>
■ホテルで朝食
いよいよ第9回最終日,3日目である。
枕が変わったためか,夜中に何回も目が覚めた。最初に目が覚めたのは,21時。随分寝たなと思ったが,1時間ほどしか眠っていなかった。次に目が覚めたのは23時,続いて1時である。どうも宜しくないなと思いながら,どうにもならない。遂に諦めて,4時30分に起きてしまう。早く起きたからといって,特にすることもないので,仕方なく,朝風呂に入って,目覚めをスッキリさせる。そして,5時30分から“みのもんた”のテレビを見始める。
6時20分頃から,8階の食堂で朝食を摂る。食堂には丸いテーブルが数脚並んでいる。そのテーブルに数名が並んで腰掛けての食事である。一人ずつにお膳が付く。お盆にご飯,味噌汁,おかずが並んでいる。朝からサバのみそ煮が付いている。なかなか豪華である。
20分ほどで,そそくさと朝食を済ませる。そして,再び部屋に戻って歯を磨く。
<シーグランデ清水ホテルの朝食>
■JR由比駅へ移動
7時18分,私達はシーグランデ清水ホテルを出発する。
昨日,足の親指の付け根を痛めた私は,1足500円で買った新しい靴を履いている。
ホテルの前の繁華街をほんの少し歩いて,7時21分にJR清水駅に到着する。そして,清水7時33分発の電車に乗車。7時45分に由比駅に到着する。駅前広場の右手に,昨日通った商店街が見える。商店街の入口に「由比桜えび通り」と書いてあるアーチが見えている。両側から大きな桜エビが向かい合うように取り付けられているアーチである。
例によって,駅前の広場で5列縦隊に並んで点呼を取る。そして,7時54分,「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに歩き出す。
旧東海道沿いに南西に下る。進行方向右手(北西側)には,次第に丘陵が迫ってくる。海と山に挟まれた傾斜地に,東名高速道路,東海道本線が並行して走っている。東海道新幹線は,どうやら長いトンネルの中を走っているようで,全く見えない。
<由比駅前の商店街入口:昨日通過した桜えび通り>
<由比宿>
■名主の宿「小池邸」と「東海道あかり博物館」
道幅の狭い商店街が続く。
8時01分,海上山讃徳寺の前を通過する。地元の長者河西六郎右衛門勝長という人が,1669年に開基,日覚上人が開山した寺だという。ついで,8時07分,東海道名主の宿「小池邸」の前を通過する。この宿のことは全く分からないが,格子戸の落ち着いた建物である。
<海上山讃徳寺>
<名主の館小池邸> <東海道あかりの博物館>
この邸の直ぐ近くに東海道あかり博物館がある。ここも格子戸のシックな建物である。私は明かりにちょっと興味があるが,残念ながら,ここもそのまま通り過ぎる。
■宿場町の雰囲気が残っている
8時19分,鞍佐里神社の前を通過する。ここは日本武尊が東征の途中で賊の焼き討ちに逢ったときに,自分の鞍を降りて神明に祈った所,鞍は火矢で焼けてしまった。このことから鞍去という名が付いたという。
辺りは格子戸の家が何軒も続く。昔の宿場の雰囲気がとても良く残っている素晴らしい街である。8時21分,間の宿本陣跡に至る。格子戸の落ち着いた建物である。現在,正門,石垣,塀,物見櫓,馬の水飲み場などが復元されている。つづいて,明治天皇がご休息されたという「柏屋」を通過する。続いて,8時23分,江戸から38番目の西倉一里塚跡を通過する。
<鞍佐里神社>
<格子戸の民家が続く>
<間の宿本陣跡>
<西倉一里塚跡>
<薩た峠>
■坂道を登る
8時23分,進行方向右手に「薩た峠」の案内板が建っている。私が使用しているワープロソフトには「薩た峠」の「た」の部分の漢字がないので,止むを得ず平仮名の「た」を使うが,正確には偏が「土」,旁が「垂」という難しい漢字である。この案内板によると,この辺りは足利尊氏と弟直義が合戦した古戦場で,東海道随一の難所だという。
<薩さ峠案内板>
この案内板の直ぐ近くに,間の宿「藤屋」がある。建物は改装されているが,わずかに残る格子戸に案内板が取り付けられている。この宿からの富士山の眺望が良いので,望嶽亭とも言われたようである。
<間の宿藤屋>
<望嶽亭>
8時38分,やや急な上りの坂道になる。坂道といっても街道である。登山道に比較すれば,限りなく水平な道に近い。でも,平素平らな所しか歩いていない人達にとっては,かなりきつい坂道に感じているようである。
■薩た峠駐車場
民家の間の坂道を登り続けると,やがて民家が途絶えて,両側がミカン畑に変わる。坂道をゆっくりと登り詰める。
薩た峠は,東海道五大難所の一つだと言われる。広重の描いた五十三次の中の「由比薩た峠」の図柄と,ほぼ同じに見えるのは,ここだけだという。
道端に夏みかんが一つ転がり落ちている。このまま腐らせるのも勿体ないので拾う。そして,8時39分に薩さ峠駐車場に到着する。ここで,休憩を取る。
2月というのに日光が強くて眩しい。駐車場広場の片隅に地元の農家がミカンの売店を開いている。一同,売店に群がる。売店が空いてから,私も1袋100円のミカンを購入する。ネットの中に,6~7個のミカンが入っている。
広場は高い所にある。眼下には太平洋が広がっている。海面は,低い冬の太陽を反射して,眩しく輝いている。広場から,東北東を望むと,駿河湾の先に山麓まで真っ白な富士山が良く見える。素晴らしい風景である。
<薩さ峠のミカン売店>
■薩た峠の展望
9時06分,薩さ峠駐車場を出発する。勿論,例の素っ頓狂な「エイ,エイ,オー」の掛け声を掛けてからである。長閑な峠道が連続する。頭上に荷物運搬用のロープウェーが通っている。多分,ミカンを運搬しているのだろう。時々,荷物が頭上を通過する。
9時12分,薩た峠で一番眺望がよいといわれる場所に到着する。丁度,東名高速道路のトンネルの真上の用である。ここで再び休憩を取る。成る程,ここから東北東を望むと,近景に高速道路,中景に駿河湾,遠景に富士山という構図の写真が撮れる。確かに素晴らしい風景には違いないが,山派の私は,どうしても多少の違和感が残る。
<薩さ峠の絶景>
<奥津宿>
■見延道道標
9時20分,再び歩き出す。暫くの間,眺望の良いトラバース道が続く。沿道の水仙が満開である。紅梅も見頃である。
<花盛りの薩さ峠>
<薩さ峠の歴史>
<薩さ山の合戦>
梅林が続く。途中の三叉路で,上り道と下り道に分かれる。私達は,下り道を進む。狭くてかなり急な歩道を下る。坂を下りきった所に「往還坂」と書いた小さな石柱がある。
<往還坂> <見延道入口>
9時26分,東海道本線の踏切を渡る。私達は再び集落の中の道を歩き始める。
9時32分,奥津川を渡る。川を渡り切るのに3分ほど掛かる。そして,私達は,奥津宿に到着する。9時37分,狭い道を回り込んで,旧東海道に入る。
9時54分,見延道入口を通過する。次いで,日本橋から39番目の興津一里塚跡を通過する。
<奥津一里塚> <奥津宿東本陣跡>
見延道入口の道標には「原へ四里,満沢へ七里,南部へ十里,見延へ十三里」と書かれている。
<興津宿西本陣跡> <見延山道の道標>
■清見寺
9時59分,奥津本陣址,さらに10時04分に奥津宿西本陣址を通過する。
10時09分,清見寺に到着する。ここで休憩を取る。
<清見寺で休憩>
<清見寺の高山樗牛の碑>
清見寺の本堂は,それほど大きな規模ではないが,きりりと締まった端正な雰囲気を持つ建物である。境内の片隅に,
“秋晴や
美保の松原
一文字”
“A fine autumn day
one single line of Pines on Miho Cape
Stretching out in the blue sea”
と書かれた句碑が掲げられている。その直ぐ脇に,山下清画伯の「清見寺スケッチの思い出」を書いた案内板が立っている。
旅行会社の資料によると,清見寺の創設は奈良時代。以後,足利尊氏,今川義元の帰依を受け,現在の寺は江戸時代に再建されたものだという。境内には徳川家康手植えの「臥龍梅」,五百羅漢などの史跡がある。また,朝鮮通信史関係の遺跡,咸臨丸殉難碑がある。
<山下清「清見寺スケッチの思い出」>
(つづく)
前の記事は下記。
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c138a57cb1963cdbea7ae33864cd99f2
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