<大船観音>
新春の鎌倉:岡本神社・龍宝寺・玉縄城趾周遊
(元勤務先の奥山教授と散策)
2014年1月3日(金) 高曇り
<ルート地図>
<もと勤務先の同僚との再会>
■突然の電話
余談になるが,私は6~7年前まで,浜の某大学に勤務していた.その頃,懇意にしていた先生が居られる.仮に名前を奥山先生としておこう.勿論これは本名ではない.実は私が登山を趣味にするようになったのは,もう20年近く前のことになるが,奥山先生とそのお友達と一緒に,丹沢の山々を歩き始めたのが切っ掛けである.
私が退職した後も,そこそこのお付き合いはしていたが,何時しかお会いすることも途絶え勝ちになっていった.
ところが,本日,1月3日,私は,突然,奥山先生から電話を頂戴した.
「どうです…この頃元亀にしていますか」
から始まり,久々の長電話になる.その結果,
「じゃあ~…いっそのことこれから何処か軽く散歩でもしましょう…」
ということで,奥村先生と私のどちらの家からも丁度真ん中ぐらいになる大船駅で,12時に待ち合わせることになる.まさに5年ぶりの再開である.
“ともあり遠方(でもないか)より来たる”
沢山の乗客で混雑する大船駅に,相変わらずのリュック姿の奥山先生が飄々と現れる.実に懐かしい再会である.
「やあ,やあ,…暫く振りですね.お元気ですか」
奥山先生は,以前より大分スレンダーになり元気そうである.
「…さて,まずはどこかで昼食でも摂りましょう.」
■まずは昼食
何時ものことながら,大船駅周辺の飲食店はどこもかしこも大変混雑している.
まずは,ルミネ7階のレストラン街を覗いてみる.どこも家族連れや,団体客で大変混雑している.
“仕方ないな…では,駅前の何処か適当なところに入りましょう…”
ということで,駅前にある丼物の専門店に入る.
偶然にも混雑する直前,私たちは運良くボックス席に案内される.
メニューをいろいろ考えるのは面倒臭いので,太めに着いた野菜天丼500円也を注文する.奥山先生もそれにならえである.この頃,ほとんど外食をしたことがない私にとっては,ひさびさの“てんやもの”.味が新鮮でとても美味しく感じる.
食事をしながらの四方山話.これがまた楽しい.私はごく自然に現役時代のような感覚になる.もちろん奥山先生と私は専門は違うが,久々に専門的な雑談を楽しんでいる自分が居るのに気が付く.平素の山仲間と交わす会話も大変楽しいが,時には奥山先生のような方と雑談するのも楽しいなと実感する.
突然,店員が,私たちの雑談を遮って,
「空いた食器を下げても宜しいでしょうか…」
と聞く.辺りを見回すと,座席待ちの客が10人ほど,入口の席に座っている.
“食器を下げるのは,「もう出てってくれ」というサインだな”
<500円也の丼物>
<谷戸池>
■回り道して谷戸池へ
12時30分,店を出たものの,
“さて何処へ行こうか”
正直なところ,どこでもいい…静かに雑談しながらある国は,余り人の居ないところが良いな…
何処へ行くという当てもなく.取りあえずは大船駅の西側に出る.最近出来た巨大な高架橋をぶらぶら.橋の上から眺める大船観音が実に優美に見える.この観音は高崎,韮崎の観音像と共に関東三大観音と呼ばれるそうである.
陸橋を歩きながら,
“ひだびさに谷戸池にでもいってみようか”
と急に行き先を決める.
折角上った陸橋を途中で降りて,大船観音下の坂道を上る.
途中から住宅街の中をクネクネと続く路地に入る.谷戸池の近くにあるソバ屋から,鰹節の出汁の匂いが漂ってくる.
“しまった! ここで蕎麦を食べれば良かった…”
と思うが,こういうのを後の祭りという.
12時50分,谷戸池に到着する.ここは住宅地の真ん中にある小さな池出る.
池の周りに沢山の桜が飢えられていて,鎌倉でも有名な桜の名所である.でも,今はオフシーズンなので,池の周囲には誰も居ない.
金網越しに池を覗くと,沢山の水鳥が私たちの方へ寄ってくる.頭と羽根が真っ黒な水鳥だが,何という鳥川田氏には分からない.
<谷戸池>
■ベンチで雑談
池の畔のベンチに座り込む.風もなく日射しも暖かである.
私たちは,時の経つのを忘れて,来し方行く末のことを話題にしながら雑談に耽る.元の勤務先のこと,時事問題,共通の知人の動静,それに私たちの年代では必ず話題になる病気のこと.
そのうちに,奥山先生が参加している山の会(といっても散歩程度とのことだが)への参加を促される.勿論,私に異存はない…ということで,早速2月1日(土)の例会から参加することに決める.私は土曜日にはできるだけ塔ノ岳に登ることにしているので,奥山先生の会とは完全にバッティングしている.でも,2月1日は奥山先生の会を優先することにしよう.
知的好奇心が湧き上がる奥山先生との話は楽しいし尽きないが,このままここで雑談を続けるのも勿体ないので,13時過ぎに谷戸池から歩き出す.
<岡本神社>
■岡本神社に到着
谷戸池から大船へ向かうバス通りを渡って玉縄3丁目の住宅地に入る.途中から右折して狭い路地に入る.路地の突き当たりにある石段を登って,13時12分に岡本神社に到着する.
この神社の建物は壮大なものではないが,姿形が実に素晴らしいなと思っている.
境内に岡本神社の由来を説明した案内板が設置されているが,今回,このブログで神社の由来などの説明は省略する.
<岡本神社>
■大船観音の横顔
岡本神社境内のベンチにまたもや座り込む.
ここで再び雑談を始める.おしゃべりは中年女性の特許ではない,私たちのような後期高齢者の男性でも,話題さえ合えばいくらでも雑談を続ける.
ベンチに座ると,大船駅までで眺めていた大船観音の横顔を眺めながらの雑談は実に楽しいものである.
<岡本神社から大船観音の横顔を拝む>
<龍宝寺裏山へ>
■伏見稲荷
13時20分,岡本神社から歩き出す.
一旦,石段を下る.石段の途中から右折して山道に入る.山道入口の左手に伏見稲荷がある.つい最近まで朽ち果てた社殿があったが,最近,下の写真のように社殿が改築されている.
伏見稲荷を過ぎると直ぐに山道に入る.
<伏見稲荷>
■神秘的な切通道
伏見稲荷を過ぎると,すぐに切通道になる.喧噪の大船からそれほど離れていないところに,こんなに静かな切通道があるのを知らない方も多いのではないかと思う.
やや急な登り坂が続く.この切通道は昔の参道だったと入口の案内板に書いてある.道路には落ち葉が降り積もっていて,まるで絨毯の上を歩いているような感じがする.
この辺りは,今の季節が一番歩き易くて気持ちが良い.真夏に来ると,蒸し暑い上に沢山のヤブ蚊が襲来するところだ.でも,山ヒルは居ないので,大倉尾根の入口付近よりはマシかもしれない.
<落ち葉が絨毯のように降り積もった切通道>
<龍宝寺>
■龍宝寺裏山
切通道も5~6分歩くと峠に到着する.
峠に達したら進行方向左手の急坂を登る.道はなく,僅かに踏み跡があるだけの急登である.坂を登り切ると尾根道になる.
13時31分,尾根道の最も高いところに,玉縄城主北条三代供養塔跡がある.つい最近まで,ここに供養塔があったが,今は龍宝寺本堂脇に遷墓(移設)されている.
ここで小休止.
<玉縄北条三代供養塔跡>
■玉縄北条氏供養塔
龍宝寺裏山から急傾斜のジグザグ道を下って墓地に入る.墓地を抜けて,龍宝寺本堂脇に到着する手前に,最近,裏山から遷墓した真新しい玉縄北条氏供養塔がある.立派な五輪塔である.
<北条三代供養塔>
■龍宝寺本堂
13時42分,龍宝寺本堂前に到着する.この立派な本堂は昭和35年に再建されたものである.
本堂前のベンチに,またもや奥山先生が座り込む.先生の足腰が少し弱っているのかなと心配になる.先生も今年から後期高齢者だから…
龍宝寺の前身は,文亀3年(1503年)に創建された瑞光院.北条氏繁菩提のため龍宝寺に改められた.徳川家康が龍宝寺住職良達を氏勝のもとに差し向けて降伏させたと文献などで紹介されている.
私も奥山先生の脇に腰掛けて,またもや雑談を開始する.二人に共通な知人の話,山の話…ここでも積もり積もった話は尽きない.そして,近々,二人で三浦アルプスを横断しようということになる.
<龍宝寺>
■新井白石の碑
暫くの雑談を終えて,そろそろ歩きましょうと腰を上げかけたとき,二人ずれの男性が現れ,私に,
「北条三代の墓は何処にあるんですか…」
と問いかける.私は山の上にあった墓が,本堂脇に遷墓されていると伝える.次いで,
「新井白石の碑は何処にあるんですか…?」
と聞いてくる.私は,幼稚園脇を入った突き当たりにあると教える.そして私たちもそちらへ行くので一緒に案内するとお誘いするが,私の申し出を辞退する.それならそれで結構だが,どうせ場所は分からないだろうと思っている.
私たちもブラブラと立派な参道を山門に向けて歩く.途中,進行方向左手にある石井家住宅を外から見学する.この建物は国指定重要文化財.石井家は江戸時代の名主である.
その後,新井白石の碑を見学するために,境内の幼稚園脇から路地に入る.丁度そのとき,先ほどの二人が道に迷って,山道を下ってくる.
“逸れ見たことか…そう簡単には分からないよ”
と私は心の中だけで言う.お二人も,私の後に従う.
新井白石の碑は,路地の突き当たりのヤグラ(かな?)の中に安置されている.碑の風化が大分進んでいて,碑文は全く読めないが,朱子学者室鳩巣(むろきゅうそう)という人の著書から引用したといわれる(『神奈川ぶらりいウォーキング』p.125).
なお,新井白石は,植木,城廻一帯を領地にしていたようである.
<新井白石碑>
<玉縄城趾>
■七曲がり坂を登る
14時05分,龍宝寺山門を潜って,外に出る.この山門は元禄年間に建立されたもののようである.
山門前の信号が青になるのを待っていると,先ほどの二人も玉縄城趾に行きたいという.それではご一緒にどうぞということで,ここからは4人旅になる.
山門前の信号を渡って,長屋門のあるお宅の近くから,新しい住宅が建ち並ぶ谷戸に入る.ずっと以前は広い梅林だったところである.
住宅地を抜けると,目の前に山が迫る.その山の斜面に九十九折りの山道がある.この山道が七曲がり坂と呼ばれる所である.
最近,この辺りも綺麗に整備されて歩き易くなったが,どうじに野趣溢れる山道ではなくなった.
この山道を登り切ったところに土塁がある.この土塁の内側は平地になっている,そこが玉縄城趾だが,今は清泉女学院の敷地になっていて,残念ながら立ち入ることはできない.
この七曲がり坂は玉縄城の大手口に当たり,三代城主北条氏繁の奥方がこの近くに住んでいたという.
<七曲がり坂を登る>
■陣屋坂
七曲がり坂を登り切ると,道路の両側にビッシリと住宅が建ち並んでいる.最早,城趾の痕跡が殆どないほど開発が進んでいる.これもまたやむを得ないことだが,残念でもある.
道路を先へ進むと三叉路に突き当たる.ここに玉縄城趾の碑がある.途轍もなく急な石段を10数段登ると,鎌倉青年団が建立した石の玉縄城趾の碑が立っている.狭いところだが三人に順番に見て貰う.
玉縄城趾の碑から急な坂道を下る.この下り坂が陣屋坂である.ここにはかつて玉縄城見張りの陣屋があったため,陣屋坂と呼ばれるようになった.
4人揃って,黙々と陣屋坂を下る.
<石段の上にある玉縄城趾の碑>
<玉泉寺から玉縄首塚へ>
■玉泉寺
陣屋坂を下って,バス通りに出る.
県立フラワーセンター大船の脇を通って,14時48分,玉泉寺に到着する.本堂脇に御大師様の石像が立っている.
この寺は,江戸時代初期に建立された寺.本尊は不動明王.
本堂の軒には綺麗な布が吊り下げられ,華やかな雰囲気を醸し出している.境内には人気がなく静まり返っている.
<玉泉寺>
■よくばり地蔵
境内裏手に回ってみる.
広場の奥に六地蔵とよくばり地蔵が安置されている.
傍らに立っている説明文によると,この地蔵は一度に七つの願い事を叶えてくれる霊験新たな地蔵であり,祈願するときには泥の団子を七つずつ七日間お供えして祈願する.そして成就したときは米粉の団子を七つずつ七日間お供えするのが習慣だという.おもしろい.
<よくばり地蔵>
■玉縄首塚
黙泉寺の参拝を終えてから,玉縄小学校の脇を通り,トンネルを潜って柏尾川沿いの道に突き当たる.そこを左折する.そして,15時02分,玉縄首塚に到着する.
大永6年(1526年),安房国から鎌倉攻めをした里見氏と北条氏時側の甘粕氏,福原氏が数次にわたり攻防戦を展開,里見氏を撃退するが,戦後,的の首と味方の首を交換し,ここに塚を築いて手厚く弔ったといわれる.
<玉縄首塚>
<大船駅でお別れ>
■大船軒
玉縄首塚から裏道を通って大船駅に向かう.
途中,奥山先生と私は大船軒でお茶をしようと思って,同行していたお二人とはここでお別れする.
大船軒の前で,お店の看板を眺める.コーヒーのお値段もリーズナブル.それに作りたての押し寿司が食べられる.
「ここ良いですね…入りましょうか?」
ということで,営業時間を見ると午後3時まで.もう,3時を過ぎている.残念!
という訳で,そのまま大船駅に向かう.
■仕上げはBecker's
15時15分,大船駅に到着する.
「折角だから,やっぱりお茶しましょう…」
ということで,大船駅構内のBecker'sに立ち寄る.そして何時ものように,コーヒーとはせずに,ホットミルクとオニポテである.というのもどうも今日は胃の調子が悪いから,コーヒーは一寸見あわせすることにする.
お茶しながら,またまた積もる話に花を咲かせる.これから奥山先生の山グループに参加すると成ると,遊ぶことでますます多忙になるが,全ては成り行き任せ,風任せにしよう…去る者は追わずに,来るものは素直に受け入れ,なにごとも自然流で行こうと思う.
<Becker'sで一休み>
■今日も良かった!
16時過ぎにBecker'sを出る.
奥山先生とは再会を約して,大船駅改札口でお別れする.私は大船駅前16時25分発のバスに乗車,16時40分頃,無事帰宅する.
今日は久々に昔の職場の同僚,奥山先生とプチハイキングを楽しんだ.
”友あり遠方より来たる また楽しからずや”
の一日であった.
今日も良かった! 良かった!
<ラップタイム>
12:30 大船駅歩きだし
12:50 谷戸池(13:00まで休憩)
13:12 岡本神社(13:20まで参拝休憩)
13:31 龍宝寺裏山(玉縄北条氏供養塔跡)
13:42 龍宝寺(14:05まで)
14:16 七曲がり坂
14:25 玉縄城の碑
14:48 玉泉寺(14:55まで)
15:02 玉縄首塚
16:15 大船駅
[散策記録]
■水平歩行距離 5.4km
■累積登攀高度 155m
■累世下降高度 155m
■所要時間(休憩時間を含む)
大船発 12:30
大船着 16:15
(所要時間) 3時間45分(3.75h)
水平歩行速度 5.4km/3.75h=1.44km/h
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c5cd44657ffe423dea28ddd322cc608e
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/34caeba88033b6d7d52a16c7efbc7c0f
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