中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ツールドモンブランを一巡りして帰国

2011年07月25日 22時00分49秒 | フランス・スイス・イタリア;ツールドモンブラン

                            <ツールドモンブラン概念図>

          ツールドモンブランから帰国
           (アルパインツアー)
         2011年7月16日(土)~24日(日)

<旅の概要>

   

帰国:2011年7月24日(日)
 曇

 私はアルパインツアー社主催のツールドモンブラントレッキングに参加していたが,昨日(7月24日),無事帰国した.9日間の旅だったが,まさにあっと言う間に終わってしまった.
 旅の詳細は,別途,趣味人倶楽部ではなく,私のブログに逐次公開するが,とりあえずは,帰国したことを記録しておこう.
 参加者は12人,内男性は2人だけ.何とも女性上位のメンバー構成,例によって私が最年長.
 オーストリア航空で成田国際空港を飛び立った私たちは,同日,ウイーンでトランシットして,夜,フランスのシャモニーに到着した.

 翌,7月17日(日),シャモニー近郊のラックブラン(標高2345m)へ登る予定だったが雷雨で中止.シャモニー観光で終日費やす.
 ラックプランの絶景が見られなかったのは,きわめて残念だったが,雷には勝てない.
 7月18日から,ツールドモンブラントレッキングが始まる.まずはバスでノートルダムドジュールまで行く.ここからトレッキングを開始する.だらだらと続く永い登り坂を標高差1100m登ってボンノムのコル(標高2329m)へ.ここからさらに緩やかな登り坂を歩いてボンノム小屋(標高2433m)泊.

 第2日目(7月19日),ボンノム小屋を出発.急な登り坂を登りフランスからイタリアに入る.モンブラン山群の展望を楽しみながらエリザベッタ小屋泊.

 第3日目(7月20日),素晴らしい風景のコンバル湿原を楽しみながら,モンブランと反対側の山稜を経由してビセイユ(標高1656m)へ.ここからリフト,ロープウエーでクールマユールへ降りる(泊).

 第4日目(7月21日).バスでアルヌーバ(標高1800m)へ.標高差約500m登ってエレナ小屋に到着.さらに,急勾配を登り,フェレのコル(標高2537m)を越えて,イタリアからスイスに入る.緑の谷間を下って,フーリー村へ.ここからバスで保養地シャンペ(標高1477m)へ.近くの湖を一周散策.シャンペ泊.

 第5日目(7月22日).まずは混雑する乗合バスでフォルグラ峠(標高1527m)へ.ここから歩き出し.ドリアン氷河を眺めながら,標高差600mほど登って,スイスからフランスに入る.国境付近で,素晴らしい展望を楽しむ.ここから,長いリフトとロープウエーを乗り継いで,出発点のシャモニーへ戻る.

 翌日(7月23日),シャモニーからバスでジュネーブへ.ジュネーブからオーストリア航空,ウイーンでトランシット,期中泊で,7月24日,帰国.慌ただしい旅だった.

 雨,雪,雷・・暑さ,寒さ,全部揃ったトレッキングだった.ただ,登山とは違って,危険な箇所は少なく,ルンルン気分で道中を楽しむことができた.また,登山だと思うと,ちょっと物足りない感じは否めない.

    ****************************

 長い飛行機の旅を終えて,7月24日(日),7時23分に東京(成田)国際空港に到着した.そして,11時30分頃,無事,帰宅した.すると,近くに住んでいる長女が,二人の孫を連れて,突然,来訪.孫達も,夏休みになったので,一緒に食事に行こうと誘われるが,帰宅早々なので,外へ出る気になれない.私だけ自宅で軽く昼食を摂ることにする.

 昼食後も,時差があるために,何となくけだるい感じがする.午後は,ちょっと横になった途端に,本格的に眠ってしまう.そして,夕食の時間にノコノコと起き出して,久々の日本食をっゆっくりと味わう.そして,また,寝てしまう.
 こうして,帰国当日は終わった.
 「明日から,旅の記録を纏めよう・・・」
そう思いながら,グダグダと帰国当日は終わってしまう.
 勿体ない一日だった.
                                      (おわり)

「ツールドモンブラン」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a4c5fb759853b8b140c4d3944095d8c



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