<針摺峠で休憩>
歩いて巡る中山道六十九宿(第14回);第2日目(7);摺針峠を下る
(五十三次洛遊会)
2012年9月15日(土)~17日(月・敬老の日)
第2日目;2012年9月16日(日) (つづき)
<針摺峠・鳥居本宿地図>
<摺針峠>
■小摺針峠を下る
木陰を辿るようにして,緩やかな下り坂の小摺針峠道を下る.蒸し暑い.何人かの仲間が少々バテ気味である.相変わらず先頭と末尾の間隔が極端に長くなっている.
先頭を行く2~3人さんよ.何でそんなに先へ行くんだよ・・・
後ろからシンドイ思いをして付いていく人が可哀相じゃないんですか?
<木陰を辿りながら小摺針峠を下る>
■磨針一里塚跡
小摺針峠を下った私達は,12時09分に磨針一里塚跡に到着する.
民家の軒下に「磨針一里塚」と刻字された小さな石柱が立っているだけで,昔の縁(よすが)もない.
<磨針一里塚>
■称名寺
12時45分,称名寺に到着する.ここも浄土真宗本願寺派の寺で,山号は平野山.
この寺の由来は,手許の資料では不明.
<称名寺>
■摺針明神
12時42分,長い石段の上にある摺針明神に到着する.
地図を良く見ていないのか,私達よりずっと先を歩いている数人は,摺針峠のバイパス道をどんどんと下っている.
資料5には,「昔,弘法大師が自らの才能に疑問をもち,故郷に帰ろうと峠に着いたとき,大切な針を折ってしまったため,針を作ろうと斧を摺っている老婆を見て,その根気と努力に感嘆し学問を究めようと決心を新たにした.大師は,自身への神霊の諭しであり励ましであるとし,摺針明神を祀った.」という紹介記事が載っている.
私と一緒に歩いている皆さんには,バイパスに行かずに,摺針明神まで登ってくるようにお薦めする.
ここはさすがに峠の上である.琵琶湖の素晴らしい眺望が楽しめる.
<摺針明神>
<摺針峠から眺望を楽しむ>
■望湖堂跡
摺針明神の直ぐ脇に望湖道跡がある.
近くに設置されている案内文の記事によると,「江戸時代,摺針峠に望湖堂という大きな茶屋が設けられていた.峠を行き交う旅人は,ここで絶景を楽しみながら「する(「り」ではない)はり餅」に舌鼓を打った.参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節,また幕末の和宮降嫁の際も当初に立ち寄っており,茶屋とは言いながらも建物は本陣構えで.「御小休御本陣」を自称するほどであった.その繁栄ぶりは,近隣の鳥居本宿の本陣が,寛政7年(1795年)8月,奉行宛てに連署で,望湖堂に本陣まがいの営業を慎むように訴えていることからも推測される.この望湖堂は,往時の姿を良く留め,参勤交代や朝雨線通信使の資料なども多数保管していたが,近年の火災で焼失したのが惜しまれる.」との説明である.
<望湖堂跡>
■素晴らしい眺望
後ろから歩いていた私達は,望湖堂跡から琵琶湖の素晴らしい眺望を楽しむ.
バイパスを歩いて,摺針峠を通過してしまった先頭の方々も,このまま通過したのでは,あまりに気の毒なので.
「オーィ・・・・ここが針摺峠だよ・・・」
と呼び止める.
一同,坂道を登ってくる.やや急な登り坂なので辛そうである.坂道の向こうに見事な琵琶湖の眺望が開けている.
坂道を登り終えた一同は,私達と合流して望湖堂跡付近に腰を下ろして休憩を取る.
琵琶湖方面を見渡すと,折角の絶景を阻害する大きな煙突のようなものが建っている.この建物のおかげで折角の風景も台無しになっている.
「あれは,ゴミ焼却所の煙突かな・・・」
とどなたかが言う.
それにしては,煙も上がっていないし,姿形も煙突とは一寸違う.私が,
「ひょっとして,エレベーターの試験塔かな・・・?」
と無責任なことを言う.で3も,全く自信がない.
<望湖堂跡からの見事な眺望>
<野趣豊かな山道を下る>
■竹林の中の踏み跡道
摺針峠の展望を10分ほど堪能した後,私達は再び摺針峠の緩い坂道を下る.道幅はそれほど広くはないが,ちゃんと舗装された道路である.
ほんの少し下ると坂道は,大きくS字型にカーブする.12時55分,そのカーブをショートカットするように草道に入る.いきなり踏み跡僅かな山道になる.進行方向左手には転落防止用の手すりが続く.手すりの先は鬱蒼とした竹林になっている.
<竹林の中の踏み跡道に入る>
■雑木林の道を下る
再び舗装道路と交差した後,また草付きの古道を歩く.緑一杯の雑木林にこぼれ日が差し込んでいる.歩いていても実に心地がよい.
<こぼれ日の道をユックリと下る>
■再び竹林に入る
13時頃,手入れが行き届いている竹林に入る.背の高い竹に圧倒されながら歩き続ける.
やがて,右手前方にコンクリートの塀のようなものが見え出す.
<再び竹林の中を歩く>
■望湖堂道標
13時03分,竹林の中の道が終わって.砂利の広場に出る.広場の先で,道幅の広い自動車道路に合流する.先ほどから進行方向右手に見えていたコンクリートの高い壁も,この竹林の道が終わるところまで続いている.高い壁の中が気になるが,どうやら建設会社の資材置き場のようである.
竹林の中の道が終わったところに望湖堂道標がある.
<野趣豊かな道が終わる>
■高い塔
13時06分,広い自動車道路に合流する.
先ほど望湖堂から琵琶湖の風景を眺めていたときに気になっていた高い塔が,目の前にそびえている.
この高い塔は,やっぱり某大手エレベーター製造会社のエレベーター試験塔だった.
<某大手エレベータ工場>
■石像モニュメント
13時09分,公園風に整備された広場に到着する.
広場には「またおいでやす」と刻字した大きな柱を含めて3本の白い柱が立っている.柱の上には虚無僧,武士,薬売りらしい彫像が乗っかっている.
私達はいよいよ63次目の鳥居本宿の入口に到着したようである.
<石像モニュメント>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.jinriki.info/kaidolist/nakasendo/banba_toriimoto/suriharimyojin.html
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/806bf48bffa06bf689e719b830452afe
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/fbd4abe94c3d599bdd19537d4bb1a314
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