中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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東海道五十三次宿場巡り全15回第7回(17)

2007年11月10日 23時24分18秒 | 街道:東海道五十三次

       東海道五十三次宿場巡り全15回第7回(17)
         第7回:箱根湯本から箱根関所跡まで
         2007年11月4日(土)(つづき)



<寄木博物館まで>

■割石坂

 正一位稲荷大明神の写真を撮っている内に,私は隊列の一番後の方になってしまった。ソソクサと写真を撮った後,急ぎ足で隊列の前の方に移動する。
 勾配がやや急になった坂道を登り続ける。そして,10時48分,割石坂(標高360m)に到着する。ここは「曽我五郎が富士の裾野に仇討ちに向かうときに,腰の刀の切れ味を試そうと巨石を真っ二つに切り裂いた」と伝えられる(説明板より引用)。
 
                 <割石坂>

■本陣跡
 11時55分に「箱根旧街道」と書いた木柱の脇から,また旧街道に入る。途端に林に囲まれた静かな雰囲気になるが,ほんの数分で,また自動車路に出てしまう(11時59分)。前方には,集落が見えてくる。畑宿である。上り勾配の道路は大きく右へカーブする。集落に入ると何となく明るい雰囲気になる。

                  <本陣跡の説明文>

 
    <バス停「本陣跡」>                <旧茗荷屋庭園>

 11時05分,箱根登山鉄道のバス停「本陣跡」に到着する。ここは明治天皇が東京再幸の際に小休止された聖地だという(案内板から引用)。バス停近くに本陣跡の経緯を細かく記載した案内板が設置されている。その脇に「旧茗荷屋庭園」の案内板も建っている。ここは「畑宿の名主茗荷屋畑右衛門の庭で,山間からの流水を利用して滝を作り,池には沢山の鯉が飼われていた」ようである(案内板から引用)。

■駒形神社で昼食
 11時07分に,私達は畑宿のほぼ中央にある駒形神社(410m)に到着する。神社に隣接して「畑宿寄木会館」が建っている。ここで暫くの間,休憩となる。小田急のガイドが,
 「少し早いですが,ここで昼食を摂ります。神社周辺で食事をしてください・・」
と大声で私達に指示する。

                  <畑宿一里塚説明文>

 
                    <畑宿一里塚>

 もう11月なのに,日向に出ると少々蒸し暑いが,日陰に入ると少々寒く感じる。私は神社本殿脇の植込み近くに座り込んで,コンビニで買ってきたオニギリ2個を平らげる。 食事を終えて,神社の境内を見て回る。神社本殿から見て右側に太子堂が建っている。御祭神は聖徳太子のようである。反対側には末社照心明神が祀られている。

                       <駒形神社>

■寄木会館
 食事を終えてから,寄木会館を覗いてみようと思う。
 寄木会館の1階はトイレになっている。建物の階段を登って2階に登ると,展示場の中に出る。展示場は100平方メートルほどだろうか,それ程広くはない。素晴らしい寄木細工のカラクリ箱,入れ物,装身具などの逸品が沢山並んでいる。中には欲しいものもあるが,高価で手が出ない。もっとも,これらの品物を作る手間を考えたら,決して高くはないと納得するが・・・
 
            <寄木会館の内部>                <寄木細工の御神輿>

 展示場の一番奥に,寄木細工で作られた御神輿が1台展示されている。これは凄い! 寄木細工でこんなに大きな神輿を作るには,途方もない手間が掛かることは,素人の私にも容易に想像できる。
 展示場から直接外に出ることができる。その脇に,先ほど私が登ってきた階段とは別に,狭くて勾配のきつい下り階段がある。階下に何があるのか興味がある。そこで階段を下ってみる。階下は狭い部屋になっている。部屋一杯にテーブルが置かれていて,先客が数名座り込んでいる。私が降りていくと
 「何しに来たんだ・・・」
というような眼で私を見る。何だか奇妙な感じがしたので,直ぐに階上に戻る。階下が何のための施設なのか分からないまま,展示場から外へ出る。

<甘酒茶屋を目指して>

■守源寺

 展示場から外に出ると,石造りの下り階段がある。階段の途中にも,寄木細工を販売するお店がある。ついでに,このお店の中も覗いてみる。
 階段を下ると国道1号線にでる。ガイド3人が階段に座り込んで雑談をしている。 集合時間まで,まだ少し間がある。私もガイドの近くをブラブラしながら,何となく時間を過ごす。
 11時58分,例によって5人縦列に並ぶ。そして,
 「エイ,エイ,オー・・・」
の掛け声を挙げて歩き出す。私は,一寸ばかり手を振り上げる仕草だけして,声は上げない・・・というささやかな抵抗をする。ひねくれ者の私は,
 「たかが15~6キロ歩くだけで,何がエイ,エイ,オーだよ・・」
と心の中だけで抵抗する。
 歩き出すとすぐに守源寺を通過する。寛文元年(1661年)に乗等院日達上人によって建立された寺のようである(案内板から引用)。

                  <守源寺の説明文>

畑宿一里塚
 ここから旧東海道に入る。旧道に入ると直ぐに畑宿一里塚跡(460m)に到着する。
 こんもりとした土饅頭のような塚が残っている。周囲を石垣で支えられ,芝生で覆われた塚である。昔のものがそのまま残っているのか,それとも後世になって作られたものかは,私には分からないが,一里塚の雰囲気を良く伝えている。ここは江戸から23番目の一里塚のようである。
 畑宿一里塚を過ぎると,すぐにまた自動車道路に出る(12時06分)。いよいよ箱根の難所,七曲りが間近である。

■七曲り
 12時10分,私達は七曲りの核心部に入る。目の前にはクネクネと曲がりくねって登る自動車路をショートカットする急な石段を登り始める。
 先頭を行くガイドが,若いのにハアハア言っている。私は心の中で,
 「そんなに急ぐことないのに・・」
と言いながら,背後霊のようにガイドの後にピッタリと付いて登る。平素,登山をしている私には,まだまだ余裕がある登攀速度だが,坂道を普段歩いていない人には大変だろうなと想像する。
 
  <七曲りの連続階段が始まる>                        <バス停「檀の木坂」>

 私の近くを歩く人達は,全員ハアハア言いながら,上体を大きく揺らせながら,喘いでいる。
 「こいつら,情けないな・・・」
と思いながら,登り続ける。
 階段をひとつ登り終えると,ちょっと自動車道を通って,また次の階段が現れる。そしてまた次の階段と続く。途中に出た自動車道で,箱根登山バスのバス停「檀の木坂」を通過する。
 階段を歩いている内に,先頭を行くガイドが,ついに力尽きる。そして,直ぐ後にいる私に,
 「どうぞ,階段の一番上まで先に上がってください・・」
という。
 私には,まだまだ余力がある。これ幸いとばかりに,
 「それではお先に・・・」
と,やっと自分の速度で階段を登り続ける。そして,ほんの数分で,階段の最上部に達する。
 ここからは,緩い勾配のトラバース道になる。トラバース道谷側の手すりに凭れて,辺りを見回す。眼下に自動車道路がトラバース道と並行に通っている。その先には,これまで登ってきた箱根路の山並みが広がっている。左手にはなだらかな尾根が見えている。この尾根には,箱根湯本から続く湯坂道が続いているはずである。
 私は後続のガイドが到着するまでのほんの数分,ここで立ち休憩を取る。

■追込坂
 トラバース道を,暫くの間,歩き続ける。そして,12時20分に山根橋(590m)に到着する。「元箱根まで3km」と書いた杭が建っている。ここで一休みする。辺りは雑木林に覆われた平地になっている。三々五々,辺りにベッタリと座り込んで,休憩を取る。
 
     <やれ,やれ・・・疲れたよ>                                    <山根橋>

 12時31分に再び歩き出す。古い石畳道が続く。石の間に枯れ葉が積もっている。苔むした石段が現れる。不揃いな自然の石を並べて作られた石段は旅情をそそる。道路沿いの斜面に「雲助」の説明文がある。ただ,明るい空が説明文に反射して,あまり良く見えない。また,ドンドンと先に歩いていくので,説明文をユックリ読んでいる暇もない。私は取りあえず写真を撮ることにする。写真を撮っている内に,また行列の最後尾になってしまう。写真を撮り終えた私は,再び急ぎ足で列の先頭に戻る。

                     <雲助説明文>

 12時48分,私達は追込坂(760m)に到着する。案内板によると「『新編相模国風土記稿』のふりがなで「万葉がな」では,フッコミ坂と書かれている」そうである。この辺りから甘酒茶屋までの緩い登り坂を追込坂と言うらしい。

■甘酒茶屋
 12時58分,私達は甘酒茶屋(710m)に到着する。ここで,また,休憩を取る。
 甘酒茶屋は「赤穂浪士神崎与五郎の詫び状伝説」に縁のあるところのようである(案内板から引用)。
 折から土曜日とあって,甘酒茶屋には沢山の観光客が集まっている。店の中に入る。甘酒を購入する人が数人列を作っている。この列を見ただけで,短気な私は甘酒の試飲を止めてしまう。
 
         <甘酒茶屋>                   <甘酒茶屋の店内>


                    <甘酒茶屋の石碑>

 店内を一回り見回して外に出る。そして隣にある資料館に入る。15畳ほどの広さの土間に,衣装,道具,民芸品などが陳列されている。品数はそれ程多くない。客も殆ど入って来ないので,店内は閑散としている。初老の男性がポツネンと座っている。
 私は何気なく店内を見回している内に,「東海道五十三次:全五十五枚セット『江戸日本橋~五十三宿~京都三条大橋』」と書いた分厚い絵はがきセットを見付ける。例の広重の絵の複製品である。私は何の迷いもなく,この絵はがきセットを購入する。
 
      <甘酒茶屋説明文>                     <箱根絵はがき>

 
                                     <旧街道資料館>
                           (つづく)


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