東海道五十三次宿場巡り全15回第7回(16)
第7回:箱根湯本から箱根関所跡まで
2007年11月4日(土)
<ルートマップ>
<プロフィールマップ>
<箱根湯本から>
■箱根湯本を歩き出す
11月になっても,例年よりも暖かい日が続いている。
今回の宿場巡りは,今日,明日の2日間連続で,しかも山道を歩くことになっている。これまでの日程に比較すれば,かなりきつい行程である。特に,今日は箱根路を麓から頂上まで登り詰める日である。
集合時間が,何時もより1時間早い9時00分である。
早朝,6時28分に家を出る。大船駅前のコンビニで昼食などを購入した後,東海道本線,箱根登山鉄道を乗り継いで,8時07分に箱根湯本駅に到着する。
箱根湯本駅は,改良工事中のために,駅と反対側のバス乗り場へ渡る経路が迷路のような状態になっている。迷路を辿って,集合場所に移動する。すでに沢山の参加者が集まっている。このツアーも今回で7回目となる。回を重ねるにつれて,だんだんと知った顔も増えてくる。
<箱根湯本で受付> <三枚橋>
8時20分頃から,小田急トラベルの添乗員3人が,参加者の受付を開始する。今回の参加者は64名だという。
※一寸見えないかな。プリントすると見えます。縦の線は磁北線。線の間隔は4キロメートル。
■お祭りの神輿
9時09分,例によって,「エイ,エイ,オー・・」の掛け声とともに,箱根湯本駅前(標高95m)を歩き出す。早川に沿って,少し下流に下る。9時14分に三枚橋を渡って,早川の右岸に出る。橋の袂に数人の警察官が立っている。今日は,この辺りで,何かのお祭りでもあるらしくて,沢山の人達が浮き浮きした様子で歩いている。
私達は,早川の支流,須雲川に沿って,旧東海道の坂道を登り始める。狭い道の両側には,民家や旅館が建ち並んでいる。
9時22分,進行方向右手の湯本小学校の脇を通過する。校庭には沢山の子供が集まっている。青,赤などお揃いの法被姿で,整列している。どうやら,この小学校から御神輿が出るらしい。学校周辺の道路の歩道に,沢山の見物人が場所取りをしている。それぞれが歩道にマットやビニールシートを敷いて座り込んでいる。
「御神輿が出る前に,ここを早く通り過ぎましょう・・・」
と主宰者が大きな声で独り言をいう。
<湯本小学校> <白山神社>
■早雲寺
温泉街を抜ける狭い道が続く。沢山の観光客がそぞろ歩きを楽しんでいる。その脇を,私達64人の大集団が登っていく。「まるで蟻の大集団だな」と私は心の中で苦笑する。
9時23分,白山神社(125m)を通過,そして,9時24分に早雲寺(130m)を通過する。 旅行社から配付された資料によると,早雲寺は北条早雲の菩提寺として創建された古刹で,天正18年(1590),秀吉の小田原征伐の祭に消失,後々になって,徳川3代将軍家光の時代に再建されたという。
<早雲寺> <石畳路>
■湯本茶屋一里塚
私達は,かなり速い速度で登り続ける。平素,山歩きをしている私の直感では,この速度で登り続ければ,平素歩き馴れていない人は,かなりバテてしまうのではないかと心配になる。大半の人が,上体を揺さぶりながら,大股で,喘ぐようにして登っている。添乗員のお三方も,山登りの知識はほとんど持ち合わせていないようである。
相変わらず温泉街の中を登り続ける。絶え間なく一般観光客の方々とすれ違う。そして,9時35分に湯本茶屋一里塚(170m)を通過する。ここは江戸から22番目の一里塚である。塚を彷彿されるものは何も残っていないが,一里塚の説明版が建っている。
<一里塚の説明> <石畳路から橋を渡る>
■白川洗石の生家跡から石畳路に入る
9時36分,箱根の名産品「寄せ木細工」の祖となった白川洗石生家跡を通過する。ここには白川洗石の業績を伝える説明版が貼り付けられている。今まで登ってきた滝通りから右折して,旧東海道に入る。途端に枯れ葉が散らばる下り坂の石畳道になる。石の表面に苔が付いていて滑りやすい。谷の左岸をトラバースするように旧東海道が続く。9時38分に小さな川に架かる橋を渡る。
ふたたび登り返して,9時11分にまた自動車路の滝通り(160m)に出る。
<白川洗石生家跡>
■天聖院
狭い自動車路に沿って,暫くの間,単調な道を登り続ける。
9時42分,標高180メートル付近で,後で遅れてしまった人達を待つために,数分の休憩を取る。
9時45分に再び歩き出す。辺りはいつの間にか民家や旅館がなくなり,静かな谷間の路になっている。
10時03分,天聖院(250m)の前を通過する。煌びやかなお寺である。このお寺の曰く因縁が全く分からないのが残念である。
<天聖院>
■鎖雲寺
10時15分,私達は鎖雲寺(265m)を通過する。私達が歩いている反対側に位置しているために写真を撮り損ねたのが残念である。旅行社の資料によると,浄瑠璃『箱根霊験記』で知られる飯沼勝五郎と妻初花の墓があるという。浄瑠璃のことは全く分からない私には難しい話である。
この辺りから須雲川自然探勝歩道が始まる。傍らに「須雲川自然探勝歩道 畑宿1,700米 元箱根6,200米 神奈川県」と書いた木札が建っている。ここで後続を待って,15分ほど休憩を取る。
<須雲川自然探訪歩道入口で休憩>
■女転し坂
10時37分に自然探勝歩道説明文の前を歩き出す。道路は大きく蛇行する。途中で須雲川を渡って,再び川の左岸沿いの路になる。川を渡ると,かなり急勾配の道路になる。大きく右にカーブし,再び左にカーブする。ここが「女転し坂」と呼ばれる難所のようである。
<女転し坂>
■正一位稲荷大明神
この坂を登りきると,なにやらお社が有るようである。入口左手に「正一位稲荷大明神」と金色が煌びやかな文字が書かれた大きな柱が建っている。右手には真新しいキツネの石像が安置されている。
入口から下り坂が続く。高い塀に囲まれているので中の様子は見えないが,塀の向こうに煌びやかな社殿の屋根が見えている。ちょっと拝見したいなと思うが,私達の行列はどんどんと先へ進んでしまうので,残念である。
<畑宿1.7kmの案内標識> <正一位稲荷段権現>
(つづく)