<葛原岡付近にて>
東北関東大震災後の鎌倉を歩く
(単独行動)
2011年3月14日(月)
<歩行地図>
水平歩行距離 4.5km
累積登攀高度 102m
累積下降高度 149m
■電車が止まった
東北関東大地震発生後3日目.テレビで被災地の現状が次第に明らかになるにつれて,目を覆いたくなる惨状に心が痛む.
東京電力が計画停電を開始する.当初は私達が住んでいる鎌倉は朝方停電するはずだったが,結局は停電なしで済んだ.しかし,東海道本線,横須賀線の電車は終日動かず,バスだけが頼りの一日になった.幸いなことに,家に近くのバス停から発着する大船行と鎌倉行のバスは,正常に運行しているので有り難い.
どのチャンネルのテレビも,ほぼ同じ内容の放送をしている.各局が被災地の上空をヘリコプターで飛び廻っていたのでは,騒音が救出作業に影響を与えるだろうし,燃料も余計に掛かる.こんなときには,せいぜい2~3局だけで放送すれば十分ではないかと,ついつい思ってしまう.
被災地の方々が地獄の苦しみを味わっているときに,こんな戯言を言うのは不謹慎かもしれないが,私は3月8日に塔ノ岳往復してから,丁度1週間,山らしい山へ登っていない.こんなに長い間,登山もしないでいると,体中が鈍ってくる.そこで私は,チョットした用事を兼ねて,自宅から鎌倉駅まで4キロメートル余りの道を歩くことにする.
■桜はまだ,まだ・・・
バス停鎌倉中央公園入口から歩き出す.
まずは大平山の尾根伝いに山ノ内配水池に向かう.途中の桜並木は,まだ蕾のまま.つい先日,家族と一緒に楽しい会食をしたブランブルグの前を通過する.あのときは,こんな大惨事が起きるとは全く思っても見なかった.
■葛原岡神社
東瓜ヶ谷から葛原岡神社に向かう. 横須賀線が動いていないためか,源氏山公園に入っても,ほとんど人影もなく不気味に静まり返っている.
■気になっていた英文
葛原岡神社前の大きな木に,“晴れている日には,ここから富士山が見えます”という意味の英語案内が貼り付けてある.真新しい.
これまで,ここに貼られていた案内には,”here”の前に,“from”がなかったので,見る度に気になって仕方がなかったが,今度の案内には”from”が入っているので,胸のつかえが取れたように気分がスッキリする.
■源氏山公園
さて,どこを通って鎌倉駅へ出ようかと迷うが,結局は化粧坂から源頼朝像の前と通ることにする.
何時もならば,平日でもハイカーや遠足の子ども達で賑わっているところだが,全くと言って良いほど人に会わない.
この辺りには沢山の桜の木があるが,花はまだまだ先.
<誰も居ない化粧坂>
■源氏山山頂
少し長い階段を登って,源氏山山頂(標高93m)に到着する.誰も居ない.今日は少し風が強いようで,梢をかすめて通り過ぎる風の音が絶えず聞こえてくる.
ここは,その昔,後三年の役(1083~1087年)のとき,八幡太郎義家が奥羽に向かうときに,戦勝を祈願して白旗を立てたという伝説の地である.この話の真偽の程は,私などの素人には分からない.もし史実ならば,かの義家も,今私が眺めている風景とほぼ同じ風景を見ていたに違いない.そんなことを連想していると,鎌倉が持つ歴史の重さを実感する.
義家と同じように,源氏山山頂から北鎌倉方面を望む.北鎌倉の谷間の向こうには鎌倉第2の高峰,六国見山(標高147m)が大きく見えている.山麓の木々の若葉が心なしか見えるような見えないような・・今は春三月.まだ,まだ,新緑の春は先のようである.
■太田道灌の墓
寿福寺の裏山を辿って,寿福寺の墓地近くに下山する.
裏山の山道で,(伝)太田道灌の墓を詣でる.どなたかが置いていた案内文が,何時の間にか,なくなっている.半ば朽ち果てている太田道灌の墓を見ていると,何となく哀れさを感じる.このまま,この墓を放置しておいて良いのだろうか・・・でも,待てよ.今はそれどころではない.地震への支援が先だ.
自分では何の手助けもできない焦れったさから,脈絡のないことを考えながら歩く.
■寿福寺
寿福寺の境内を抜けて,敷石の参道を抜ける.山門付近で何か工事が始まるらしくて,工事用のヤグラがくまれている.
石畳の参道を通って,山門から外へ出る.この石畳,10年ほど前に,ある高名な学者が,この石畳の敷き方には“f分の1”の揺らぎがある.だからこの石畳を見ていると調和が感じられると言っていたのを思い出す.“本当かな.”今でも私は,この理屈には,割り切れないものを感じている.
■窟堂と川喜多記念館
横須賀線の踏切を渡って窟小路に入る.ここは鎌倉駅表口と西口を結ぶ抜け道の一つなので,横須賀線が動いていないにもかかわらず,相変わらず自動車が多い.自動車を避けながら,この路を一刻も早く通り抜けたいと思いながら先を急ぐ.
途中,窟堂(岩窟不動)をチラリ,続いて川喜多記念館の中の道を通り抜けようとしたが,月曜日は休館なので中に入れない.そういえば鏑木清方記念館,県立近代美術館,国宝館も月曜日は休館.どこか1~2カ所,見学したいなと思っていた私は,何となく全身の力が抜けたような気分になる.
■閑散とした鶴岡八幡宮
鉄の井から鶴岡八幡宮正面に廻る.
何時もならば,沢山の観光客で賑わっている鶴岡八幡宮も,人影まばら.今日は閑散としている.境内をユックリと一回りする.
静まり返った境内を散策していると,実に落ち着いた気分になる.
源氏池を吹き抜ける風で,白旗神社の昇旗がパタパタと音を立てている.
■閑散とした小町通り
若宮大路を南へ向かう.段葛も歩道も閑散としている.地方の寂れた町を歩いているような錯覚に陥る.
若宮大路から,小町通りに入る.ここにも観光客は殆ど居ない.どのお店も手持ちぶさたのようである。工事中のつぎはぎだらけの路面の汚さだけが目立つ.
■鎌倉駅
14時半頃,鎌倉駅表口に到着する.2~3人の駅員が,運行状況説明のために改札口付近に立っている.辺りには数名の客が居るだけ.
「武家の古都・鎌倉へようこそ」と書いてある横断幕が,何となくむなしい.
改札口前に,運行状況を説明した張り紙がある.これを見ると,JRだけでなく,江ノ電もお昼前後にほんの一寸動いただけのようである.
■ベッカーズでコーヒー
こんなに閑散とした鎌倉を散策したのは始めての経験である.地震の影響が,ここでも顕著に表れているのに驚く.
とりあえず駅構内のベッカーズに入って,210円也のコーヒーを賞味する.
コーヒーを飲みながら,これから先,この日本はどうなってしまうのだろうかと心配する.自分ではどうにもならないことだが・・
長い(短いというべきか?)人生の間には,どうしても,2回や3回は,飛んでもない事態を経験するのが宿命なのかもしれない.昭和1桁生まれの私達にとっては,大東亜戦争(第二次世界大戦と言うべきかもしれない)と,今回の東北関東大地震(東北太平洋沖地震(どちらが正式名称?))が,二大デザスターなのだろう.
■バスで帰宅
鎌倉市役所前発鎌倉中央公園行のバスに乗車して帰宅する.何時も遅れてばかりのバスが,今日に限って,定刻通りの運行である.結構沢山の方々が乗車している.何時もより大分混雑している.
ほどなく帰宅.
一昨日から,北鎌倉に住んでいる孫娘が,我が家に泊まり込んでいる.孫娘の父親は現役のサラリーマン.横須賀線が運転休止にもかかわらず,無理を承知で出勤したという.果たして今日中に帰宅できるかどうか定かでないという.
夕方,テレビを見る.テレビ各局は,同じような内容をくどいほど繰り返して放送している.
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1e6be6cf1f1fa6d001903ef18e6d5d80
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ad9d84944cbf3f2174b5f9a11d18a8c8
最新の画像[もっと見る]
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
本当に素敵な所ですね。
サクラの蕾みも、膨らんできて、はるをかんじさせてくれますね。