中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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早春の信州小諸の旅(5);北国街道(本陣・脇本陣・養蓮寺)と東山道の痕跡

2020年03月07日 04時54分17秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

                                                        <北国街道の養蓮寺>

      早春の信州小諸の旅(5);北国街道(本陣・脇本陣・養蓮寺)と東山道の痕跡
                 (独り散策)

           2020年2月27日(木) 晴;寒冷強風  (つづき)
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<ルート地図>

■小諸西部

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※現地案内地図を撮影


<懐古園から北国街道へ>

■懐かしい蒸気機関車C56 
 小諸義塾記念館前から三の門の前を通過して,駐車場へ向かう.駐車場の片隅に蒸気機関車C56が飾られている.
 11時までに国道沿いの某所まで行かなければならい.ここからの所要時間は徒歩で約20分程度.まだ十分に時間があるので,少しばかり寄り道も可能である.
 ”さて,どこをどう回ろうかな…”
 私はちょっとさび付き気味のカンピューターをゆさゆさと回して考える.
 ”取りあえずは北国街道(善光寺街道とも言う)をちょっとだけ回ってから,目的地へ行こう…!”
と大体のコースを決める.
 コースが決まったところでC56の写真を何枚か撮る.
 C56は小海線で使われていた蒸気機関車だった.

<蒸気機関車C56>

■雲の中の浅間山
 しなの鉄道の線路沿いの道を歩く.晴れていれば浅間山がよく見える場所である,でも今日は山麓まで雲が沸いていて,浅間山は全く見えない.見えなくてとても残念だが致し方ない.
 9時55分,北国街道に突き当たる,ここで右折して北国街道に入る.やや急な上り坂である.

<浅間山は雲の中>

<小諸宿本陣・問屋場・脇本陣>

■本陣兼問屋場物
 9時57分,小諸宿本陣に到着する.ここは問屋場も兼ねていた,多少改造されてはいるものの,この建物が醸し出す昔の風格のようなものが感じられる.六国街道は今での自動車の往来が比較的多いので,自動車に注意しながら,本陣の写真を何枚か撮る.
 建物の写真を撮りながら,もう数年前のことになるが,某会の皆さんと一緒に北国街道を歩いたことを懐かしく思い出す.あの頃は皆さん元気だったなあ~.


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※現地案内板を撮影

■旧問屋場(山謙酒造)
 つづいて,本陣のすぐ隣にある旧問屋(山謙酒造)の建物の写真を撮る.こちらも素晴らしい建物である.何というか,格式みたいなものに圧倒される思いである.それにしても昔の建築物はいかにも威風堂々,凜とした雰囲気がある.
 ”今,住んでいる鎌倉にはこういう建物はほとんど見当たらないなあ~…何でだろう”
とどうでも良いことを連想する.なぜ? また余計なことに首を突っ込みそうになるが,これ以上色々考えるのは止めにしておこう.下手な考え休むに似たりっていうじゃないか,


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※現地案内板を撮影


■旧脇本陣(粂屋)
 続いて,これまたすぐ近くにある脇本陣の建物の前に到着する.


<旧脇本陣(粂屋)>

<枡形と養連寺>

■枡形

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※現地案内パンフレットから引用

■枡形の奥から養蓮寺へ
 鍋蓋城前の四つ角を左折して狭い路地に入る.ここは小諸宿の枡形である.北国街道の狭い道はすぐに突き当たって右折する.私はここで左折してさらに狭い道に入る.すぐにまた突き当たって右に曲がる.突き当たりに道祖神と刻字された大きな石柱が立っている.その奥に養蓮寺の山門がある.
 10時02分,立派な石柱の門を通って養連寺の境内に入る.
 ここは浄土真宗大谷派の寺院である.山号は雲達山.
 境内はそれほど広くはないが,全く人の気配はなく静まりかえっている.まずは本堂前で合掌.

<養連寺に到着>

■来電為右衛門ゆかりの袂鐘
 本堂に向かって右手に立派な鐘楼がある.
 この釣鐘は来電為右衛門が大関に昇進したときに寄進したものだという.来電為右衛門は小諸の人間にとっては,今でも大スターである.


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※現地案内図を撮影


■山門を潜って再び枡形へ
 10時03分,先ほどの入口とは別の出口から山門を潜って,枡形に戻る.階段を下った先に見えているのが北国街道の枡形である.
 そろそろ時間も押してきたので,私は山門を出たところで左折して西原方面に向かうが,所用を済ませた後,また,北国街道に戻る積もりである.

<山門を潜る>

<変貌する国道筋>

■裏道から国道に合流する
 枡形の途中で北国街道を離れて,道幅の狭い路地を西の方向に歩きはじめる.暫くの間,極々緩やかな下り坂だが,鞍部で旧国道に合流する.ここからはちょっと長い上り坂になる.
 10時10分,小諸商業の脇を通過する.この辺りの道は,私の幼少期と大分違っているので,ときどき立ち止まってチェックしながら歩かないと,思わず変な方向に歩きそうになる.

<小諸商業の脇の旧国道を歩く>

小さな橋を渡る.
 途中,自動車の往来の多い国道から離れて,左手の路地に入る.この道はほんの一寸だけしか続かない.でも,自動車が通らない道に入ると,ホッとした気分になる.小さな橋を渡る.この橋は昔は土橋だった.洪水で流れてしまったこともあったが,懐かしい小径である.昔は畑中の小径だったが,今は昔の畑が空き地と住宅地となっているが,それでも辺りはかなり静かである.
 残念ながらこの静かな小径はすぐに国道と合流してしまう.

<短いけど静かな小径>

■新しい店舗が建ち並んでいる
 国道の周辺を歩いてみる.以前は見渡す限りの田畑だったところに,新しい店舗が何カ所か連なるように進出している.100円ショップまで出店している.この辺りも徐々にではあるが,絶えず変貌しているようである.
 私が仕事の合間に,この辺りまで足を伸ばしたのは,東山道の痕跡を訪ねたかったからである.

<変貌する国道筋>

<東山道の痕跡>

■東山道信濃国略図

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※現地案内地図を撮影


■ネコと戯れる
 国道ともろに向かう道路の間に東山道が走っている.今でもこの辺りに東山道の痕跡が残っているので,石造物などの写真を撮ったが,ここで披露するのは控えておこう.
 辺りを眺めながら東山道跡の路肩に立っていると,どこからともなくネコが近づいてくる.飼いネコにちがいない.実に人なつこくて,私の足に頭をぶつけんがら,ゴロニャ~ンと期限良さそうに鳴く.
 私は旅の途中にネコと電車に合ったときは必ず写真を撮るのが私流の楽しみである,私は暫くの間このネコと戯れる.
 ネコの仕草が実にかわいらしい.




<可愛いネコと他m和群れる>

■東山道の概要
 東山道の痕跡が残っている場所から少し離れた国道筋に東山道の説明板が掲示されている.この中に私の先祖が眠る諸の説明がある.この説明でも明らかなように,諸は豊富な清水が湧き出ることで昔から有名であった.幼少の頃過ごした家の軒下には清水が流れている.この清水の厳選は200~300メートル離れた弁天様と呼ばれる湧水である.そこに小さな池があり,集落共同の水場になっていた.小学校に入る前の私にはやたらに大きな池のように思えたが,今見ると小さな水たまりにしか見えない.
 いずれにしても,私が幼少の頃過ごした一帯を通過する東山道にはかなりの関心がある.これから先,私自身の寿命がどれだけあるか分からないが,まあ,機会があるたびに,東山道の痕跡を追ってみたいなと思っている.

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※現地案内板を撮影


■東山道清水駅跡
 今私が立っている場所から,1キロメートルほど離れたところに私が幼少時代を過ごした諸の集落がある.そこに下の写真に示した「東山道清水駅跡」がある.今回は時間の都合で,ここを訪れないまま,小諸市街地の方へ戻るが,何時の日か地図を頼りに,東山道の痕跡らしいところをずっと歩いてみたいなと思っている.それにしては私はまだまだ勉強不足だが…

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※現地案内地図を撮影

                                              (つづく)
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