☆ナギの日記☆

家族5人。
両親と私と娘と、おっさんの日常を綴ります。

神様や仏様を信じる☆

2018-07-31 03:06:12 | その他女性日記
昨夜、早く寝たせいか、3時前には起きてしまった。
いつもそうなんだけれど、朝は朦朧としてぼんやりしている。
動き出したら朝の事なんて忘れてしまうんだけれど☆

なんだか凄く悲しい時がある。
日頃、感じている事が朝にふと顔をのぞかせるのかもしれない。
自分でもよくわからない不思議な時間なのだ。

まるでこの世のものは全て偽りのような気がしたり…。

漠然と感じるのだ。

私として生きる事に疲れたみたい。誰か代わってくれないかと思う。
笑う気分になれないのに笑わなきゃいけないってつらいな~。
何事も無かったかのように生きるのってしんどいな~と思う。

中学校の時のある先生が卒業の時、「人は信じないほうがいい。だけど優しくしてあげなさい」とノートに書いてくれた。
その言葉の意味を深く感じる。

信じられない相手にもとりあえず優しくしてあげよう。信じられないけれど優しくしてあげようと思う。
人には期待しないで優しくいつづける。そんな感じ?
人はやっぱり利己的だ。マザーテレサも言っている。
マザーも悩んだ時があったらしい。本当に神はいるのだろうかと。
でも神の子イエスを信じ人々に愛の手をさしのべてきた。
偽善者だと言われた事もあったらしいがマザーは気にせず行動し続けた。

信じてもらえるような人間になれたらいい。そんな事も考える。
昨日、偶然、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にはクリスチャンのモデルがいることを知った。
そのモデルの人物はキリスト教を信じているという事で酷い嫌がらせをうけたらしい。
幼い娘さんもお腹を蹴られて亡くなったとの事だ。
それでも、彼は愛を実践し続けた。
彼が東京へ引っ越すとき町中の人々が駅まで見送りにきたらしい。町長さんも…。
その群衆の中に宮沢賢治もいたそうだ。
彼は熱心な仏教徒だったらしい。そのクリスチャンの生きざまを見て自分もあんな風になりたいと
思ったのであろうか…?
「雨ニモマケズ」のモデルになったクリスチャンの名前も知った。
ずっと前からこの詩を読んでクリスチャンっぽい生きざまだなと思い調べてみたら宮沢賢治は熱心な
仏教徒だったと知り、やっぱり宗教を信じている者の詩なのだと思った。
宗教は違うけれど…。

神を信じる…。
愛を実践する…。
そんな生き方なのかもしれないと思った。

人を信じられないというのは辛い。
人の心は利己的だしコロコロ変わるものだ。
それは悲しいけれど神は信じていかねばならない。
仏を信じていかなければならない。

今日も生きるんだ…。
そうやって生きるんだと思うとちょっと朝は気が重いのかも…?
片柳弘史神父様の「こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366」を読んで
マザーテレサが実践していた朝のお祈りみたいに私も今日の生き方を思い
すっと立って頑張っていけたらと思う。

神を信じて生きていかなければと思う。

今日は祖父母の月命日。
住職がいらっしゃる。クリスチャンになりたいけれど仏教も大好きだ。
ご先祖様に感謝して今日も生きなければと思う。





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