風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

藤沢市民まつり

2013-09-29 12:14:20 | 湘南鎌倉
つるの剛士とシーキャンドルズのスペシャルライブでした。
湘南の歌を作るために活動してるバンド、いいねぇ


つるの剛士さんは、ふじさわ観光親善大使。藤沢市在住で子供は10歳とか。
ポケモンの歌とか、ハヤブサの歌とか、世界柔道大会2010の歌とか、歌ってる、
ウルトラマンダイナとか、おバカタレントやったり、多才だな


「湘南じゃじゃんか音頭」、結構いいじゃんか。
和太鼓グループsaiの太鼓よかったよ、ご飯のトークにもからんで


盛り上がったよ


いちおう、お神輿とかもやってますが、
いくつかある小さなステージのライブが楽しかった


はぜの木広場で、クブクリンのステージ
地味な場所でやってたけど、歌とピアノうまかったよ


ふじさわ元気バザールのステージというか駐車場で、レディオ湘南のパーソナリティの方々。
最初のステージは沖田真早美さんの演歌、ステージの前を平気で人が歩いたり、
子供がダンサーしてたり、めげずに熱唱する真早美さん、うまかった


てつろうさん
「いまがいちばんいい」とかよかったです


湘南カントリーミュージックナイト担当の片山さんと安達さん
「Jenny dreams of trains」、ヨーデルの汽笛がよかった


アンジェリカさん、時々FMのDJ聞いたことある

地元のアーティストのみなさん、応援したくなりました

ブドウの収穫

2013-09-22 10:13:39 | 風雅庵
2階の軒先ブドウ


品種はスチューベン、シャインマスカットの親です


袋がけして防鳥ネット張ってたのに、半分ぐらい鳥にやられた。
カラスじゃないみたいだけど、命知らずなヤツゃなぁ


ずっとぶら下げておきたいけど。紅伊豆の虎の子の1房も鳥にやられたし


高級なブドウじゃないけど、ほぼ無農薬。鳥もわかるのかも


ワイン醸してみようかな


萩も咲いてます


オリーブにも実が


クラブアップル


柿も成ってる

茅ヶ崎北陵

2013-09-14 12:43:40 | 古代史
高校の文化祭、来年は体育祭の年なので最初で最後の文化祭


う~ん、正直言って物足りない。はち切れてないなぁ


親の展示の方がおもしろいんだが、これでいいのか?


新校舎を建てようとしたグランドに遺跡が出たのが痛いよね


高台の旧校舎は使えなくなって、仮校舎住まい。
エアコンついて喜んでると同窓会は言うけど、伝統の重みが喪失してる


体育館は問題ないみたい


部室も味があるんだけど


ここら辺、遺跡だらけです。
旧校舎の東のグランドには環濠集落や高座郡衙、
がけ下の仮校舎の西には七堂伽藍、寺尾橋の辺りは船着場です


ここ下寺尾遺跡群の景観復元イラストです

旧校舎のある高台は、縄文海進の時代には岬で、仮校舎の辺りは海でした。
弥生時代には、海水面が低くなって、高台には環濠集落ができたようです。
そして古代(飛鳥~奈良)には高座郡衙が作られ、ここが高座郡の中心でした。
800年ごろ見捨てらたようで、それより新しい遺跡は見つかりません


すごい遺跡なのは明らかで、保存や展示するのは当然なんですが、
仮校舎の場所はNG。グランドの東あたりを取得できなかったのかかなぁ、
うちの子供には全然間に合わないけど

東横堀川

2013-09-08 14:10:00 | 旅行
用があって、大阪の湊町リバープレイスのあたり、浮庭橋です


缶詰バー(mr.kanso)って、いい商売だなぁ


東横堀川を通るクルーズがあるということで、さっそく乗ってみます


道頓堀です


行き止まりを北向きに曲がると、いよいよ東横堀川です


東堀橋、上は阪神高速です。東横堀川って不憫だぁ


末吉橋


安堂寺橋
東横堀川って昔は黒かったけど緑色になって随分マシになってる


久宝寺橋


農人橋、上は高速道路のジャンクション


本町の曲り


本町橋


大手橋


平野橋


東横堀川水門、パナマ運河みたい


後ろの水門が閉まります


上流側の水門が沈んで、通過できます。
寝屋川や海の汚水が侵入しないよう制御して河川浄化してるんですね


高麗橋です。古代、このあたりが難波津だったとの説が有力です


今橋の向こうは大川です


下流側には難波橋、中央公会堂


上流に向かうと、天神橋


天満橋


寝屋川に入り、大阪ビジネスパーク(OBP)


アクアminiで大阪城まで50分、おもしろいクルーズでした

難波津

2013-09-07 17:58:06 | 古代史
私の小学校の校歌には「咲くやこの花、難波津の♪」という歌詞がありました
この難波津の場所にはいろいろ説があり、近年は日下雅義さんの高麗橋説が有力です

日下さんは地道な現地調査を基に、考古学や歴史学を総動員して
古代景観を復元し、通説を覆してきました。文庫本「地形からみた歴史」には感心します


上の図は弥生時代の大阪、日下説です。難波潟には淀川と大和川が流れ込み、
上町台地の海側には3つの帯状の沿岸州(バリアー)が伸びている
このころの津は住吉大社あたりだったようです


日下さんによる、6~7世紀の大阪。見れば見るほど深い図です。
難波宮から難波大道が南北に伸び、河内飛鳥から住吉津への大津道が東西に交差、
古市と百舌鳥の古墳群をつなぐ丹比道(たじひみち)が丘陵地帯を横断。
淀川は放出(はなてん)から、大和川は平野川などに分かれて河内湖に流入してます


天満砂州には、難波の堀江が開削されてます。現在の大川です。
難波津は南北のラグーンあたり、現在の高麗橋あたりという説です。

東横堀川は豊臣秀吉の命により開削されたらしいですが、
低いところを掘るはずで、東横堀川のあたりがラグーンの跡と考えるのが自然です。
という訳で、難波津の跡、東横堀川に沿って歩いてみました。


現在の高麗橋です。名前の由来は
高麗館(こまのむろつみ)」があったからという説があります


大手橋、ガス灯な感じです


本町橋


農人橋、
東横堀川はまだまだ続きますが、今日はここまで