風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

長谷寺

2010-10-23 10:39:17 | 鎌倉33観音
鎌倉三十三観音の巡礼です

第4番 海光山・慈照院・長谷寺(浄土宗系単立)【十一面観音】

「長谷観音」として親しまれるお寺です。
本尊は三丈三尺(9.18m)もあるでっかい観音さまです。
右手に錫杖を持つ姿は「長谷寺式」と呼ばれ
人間界に下りて行脚する姿とのことです。


長谷観音、HPより

大和長谷寺の十一面観音と同じ神木から721年(養老五)に造られ、
誓願を込めて海に奉じたところ、その15年後の736年(天平八)に
三浦半島の長井浦(初声)に漂着、同年鎌倉に遷座したと言う

でも現在の本尊は室町時代頃の作と推定されてます。
さらに関東大震災で全壊。昭和に修復され、光背はアルミ製とのこと

眺望散策路からは由比ヶ浜はもとより三浦半島や相模湾が一望です


下境内の妙智池には赤とんぼが


本日いただいた御朱印です

安養院

2010-10-11 15:07:16 | 鎌倉33観音
鎌倉三十三観音霊場の巡礼です

第3番 祇園山・安養院・田代寺(浄土宗)【千手観音】
5月には門前のツツジの大木が見事なお寺です

1225年(嘉禄元)、北条政子が源頼朝を弔うために笹目ヶ谷に長楽寺を建立。
その年の7月に政子が死去、この寺に祀られることになった。
1333年、鎌倉幕府滅亡の際、兵火により焼失。同じく焼失した浄土宗
名越派本山・善導寺跡の現在地に移り、政子の法名より安養院と改名。
1680年(延宝八)に本堂が焼失。源頼朝に仕えた田代信綱が比企ヶ谷に建立した、
田代寺の千手観音と観音堂を移して再建したと言う

本尊の阿弥陀如来と千手観音さまが前後に。ありがたいです。


本日いただいた御朱印です。
うわぁ~ん、ハンコが滲んじゃった。
ここの住職さん、お寺の用務でうろうろするのは良いのですが、
もう少し落ち着いてもらってもよいかなと思ったり。

芝張り

2010-10-11 13:08:11 | 屋上
屋上に芝を張りました。

CCソイルだけでは植物が育つか不安だったので、
芝床は↓の土壌にしました(1.8m四方あたり)

切芝(ソッド)     黒土ベース
ルーフソイルRS-5 40L×0.5袋
ルーフソイルRS-3 40L×0.5袋
園芸の土       25L×2袋
CCソイル       40L×4袋

樹木区画は屋上菜園となってます
四季咲き性イチゴの純ベリー2、この季節に花が咲いてます


樹木区画の土壌は↓のようにしました(1.8m四方あたり)

ルーフソイルRS-5 40L×2袋
園芸の土       25L×2袋
CCソイル(周囲)  40L×2袋
ビバソイル      30L×2袋
アクアソイル     100L×2袋

菜園の初収穫はラディッシュになりそうです

広葉高麗芝

2010-10-09 11:28:00 | 屋上
芝は屋上緑化に最適だと思います。
土を覆ってくれて飛ばないし、しかもそんなに高くない

芝にはいろんな種類がありますが、広葉高麗芝にしました。
普通の芝より柔らかく、成長遅くてTM9(トヨタ・ミュータント9)の約半額です。

普通便で配送できる時期を待ってたら、
危うく売り切れになるところでした。
芝って完売とか普通なんですね、危なかった。

芝張りは楽しいです。でも雨が降ってきたのでおあずけです


ところで、市役所は草類を3つに分けてますが、
「収穫を目的にするものは含まない」とう条件付きのため、
私にとっては芝以外の選択肢は無くなりました。
草類 施工条件?
張り芝(目地幅4cm以内) 高麗芝、野芝、等
地被類① 44株/㎡ タマリュウ、ヘデラ類等
地被類② 32株/㎡ 斑入りヤブラン、マツバギク等

なお、地被類①②の差は、植えつけ時の被覆面積の大小だそうです。
ヘデラを44株/㎡で植えるなんて、あり得ないですよね。どうでもいいけど。

杉本寺、宝戒寺

2010-10-03 10:31:47 | 鎌倉33観音
季節も良くなってきたので、
鎌倉三十三観音霊場の巡礼スタートです。

掛け軸にしたいので納経軸を買い求めました。
地球の歩き方の「御朱印でめぐる鎌倉の古寺」も買いました。

いつでも来れるし、早く廻るのももったいない、
ゆっくりじっくり回りたいと思い、
1日2~3寺とし、順番通りに巡ろうかと思います。

第1番 大蔵山・杉本寺(天台宗)【十一面観音】
鎌倉幕府が開かれる500年も前に建てられた鎌倉最古の寺。
734年(天平六)に光明皇后が藤原房前と行基に命じて堂宇を建立し、
行基が自ら刻むところの十一面観音を安置したとの寺伝です。



円仁(慈覚大師)が851年に、源信(恵心僧都)が985年に刻んだという、
合わせて3体の十一面観世音菩薩が秘仏本尊です。
1189年の火災の際、本尊三体自ら大杉の下に避難したので、
それより杉の本の観音と今日まで呼ばれたと吾妻鏡は伝えてます。

その後1191年には源頼朝が再興、3本尊を内陣に安置し、
運慶作の十一面観音を寄進したとのことです。

↑十一面観音(頼朝が寄進)、学研ムック「鎌倉仏像めぐり」より


山門仁王尊 運慶作

第2番 金龍山・宝戒寺(天台宗)【准胝観音】
北条義時、高時など、歴代の北条執権の館の跡地です。
1335年、北条一族の霊を弔うため、
後醍醐天皇が足利尊氏に命じて建立したとのことです。

本尊は子育経読地蔵菩薩、梵天と帝釈天を脇侍に従えてます。
初秋の白萩が有名で「萩の寺」として有名です。


今日は2つのお寺を巡りました