≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

篠田謙一『DNAで語る日本人起源論』

2018-10-15 11:13:27 | 本 (ネタバレ嫌い)


図書館で借りていたく感動したので手に入れた次第。 アマゾンへリンク →


地味な表紙に反して、うっかりするととんでもな内容になりかねないタイトルがスリリングだったりする。

今や人類の起源がアフリカだという説は流布したと思うが、では我々現生人類がどのようなルートを辿って今に至るのか、という疑問がエキサイティングでないわけがない。
過去についてどのようなアプローチがあるのかというと、そりゃ化石でしょうが、そうそう出てくるものでもない。その代わり、今生きている我々のDNAを調べると過去を推理することができる、というのが根っこにあるのだ。どうして今を調べて昔が分かるのか?その手法や理論は易しいものではないが、そこから導き出される話がまあ面白いこと。

研究は進む。最初はミトコンドリアDNA配列を部分的にしか決定できなかったものが、ミトコンドリアではなくヒト細胞のDNA配列をすべて読めるようなところまで来たのだから。ましてや化石からDNAを取り出して読んだ、となるとそりゃワクワクするね。

シベリアや新大陸に最初に到達したと思われる集団の起源など知らなかったことばかりである。ユーラシア大陸の東西交流はシルクロード以前からのようだし、ヨーロッパの集団の成り立ちは思った以上に複雑なようだし、ヒトは大昔からずいぶんダイナミックに移動している。おもしろいなあ。


しかし借りたこの本を読んだ後あえて手に入れて読み返したい、と思ったのはそれだけではない。
考え方の枠、とでもいうのか、なんとなくそういうもんだという風に思わされているところにちゃんと意識を向けてそこに疑問を呈しそこに潜む問題点を明らかにし、前提を新たにくっきりとさせた上で論を組み立てるところに、くらっと来たのだ。
例えば、人類の進化のスタート地点をチンパンジーとの分岐点に定めるのはなぜか? という問い。

「人種」というトラブルの原因になりかねないものをどう扱うのか、しっかり表明してあるくだりを読むと、なるほどなあと納得する。
先住民が残っている場合、遺骨の研究は時として「墓暴き」ととられることもある。それを篠田氏はどう考えるのか、というところもなるほどと思った。

それぞれの集団の間に優劣はない、というはなしは、ジャレド・ダイアモンド『文庫 銃・病原菌・鉄』で知ってびっくりしたのだが、それと同様なことも書いてあった。
62p.
「文化の違いは、アフリカを出た後の環境要因や歴史的な経緯がその基礎を作り、それぞれの集団による選択と方向性の違いによって産み出されました。人間社会の多様性の源は、知能の能力の差ではなく、その社会が何を優先するのか、環境にどのように適応するのかにあったのです。」

これは声を大にして言いたい。

とにかくいろいろなレベルで面倒なものを呼び込みそうなこの研究をニュートラルに保つのは相当な覚悟と自制心がいるなあ、と思ったんである。


あ、タイトルにある「日本人」はどうなのか?  うん、複雑だな。
さっきあげた、チンパンジーとの分岐をスタートに、という話と同様、スタート地点の定め方の問題を指摘していた。
130p.
「旧石器時代にさまざまな経路で日本列島に流入したはずの人びとが、その後の縄文時代までに融合して均一の集団となることを仮定したために、日本人の形成プロセスが縄文時代以降を説明するシナリオになっています。」
そして、131p.
「なぜ私たちは無条件に均一化を受け入れたのかということを考えておく必要があるようにも思えます。そこにはアプリオリに単一な日本という概念を受け入れるという偏見が含まれているようにも感じるからです。」


この分野の研究は目が離せない。



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サム・キーン『スプーンと元素周期表』

2018-09-09 10:18:36 | 本 (ネタバレ嫌い)


サム・キーン『スプーンと元素周期表』 ←アマゾンへリンク

化学を教わったのも遠い昔、子どもたちが高校で教わってきた話を聞くにつけ自分の知識が相当錆び付いてあやふやだということを痛感させられている。それでまた教科書読み返すかというとそうはならないのだけれど、この本を手に取った。

教科書はかたくて取っつきにくそうだが、だからといって雑学オンリーの散漫な感じもイヤなんである。ワガママである。
またいつもいっているけれど、ノンフィクションはライターの書いたものと研究者の書いたものとでずいぶん違う、という持論がある。研究者のものは愛にあふれているがともすると話について行けなかったり文章が今一つだったりすることがあり、その一方でライターのものは興味をかき立てられるような話題を選んでいるものの下世話になったりその分野のキモに触れないで終わったりすることがある。
わたしとしては、愛のある研究者が読者を置いてきぼりにせず、素敵な文章で、その研究をしょって立っている自負でもって実際に研究されていないと分からない生の本を書いていただきたいんである。ほんとワガママですみません。

長い前振りはいいから、で、この本はどっちなのよ!?

と問えば、ライター本ですねえ。
しかし生半可なライターではなかった。相当そおうとう勉強されている。しかも現在の化学の研究者では知らないかもしれない 科学史 が強い。
化学もいきなり今のような分野になったわけではなく積み重ねなんである。そのときどきの大発見の経緯、研究者の駆け引き、社会情勢というものを教えてくれる。なんだか急に血の通った感じがしてくるんである。研究者の人間臭いところを読ませつつも、それで終始せず全体の流れを読ませてくれ、さらに化学の知識も深まる、という欲張りな内容である。

これは大した本である。


というわけで、内容が濃いので1回読んだだけでは消化不良なんであった。
またそのうち読み返したい。


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塚谷裕一『森を食べる植物』

2018-08-19 17:26:31 | 本 (ネタバレ嫌い)


塚谷裕一『森を食べる植物』 ←アマゾンへリンク

図書館で夫が借りてきた。面白そうなのでわたしも読んだ、というわけだ。

腐生植物 といえば ギンリョウソウ とか ナンバンギセル とか ツチアケビ なら一応知っているけれど、という程度だったので、出てくるあれもこれも、へえ!へえ!!とかいちいち面白く読めたんである。

著者の塚谷氏はご専門は分子生物学なのだが、その一方で若いころから腐生植物にもたいそう興味がおありで、新発見やらこういう本を書くやらなさっている方なんである。
というわけで、このノンフィクションはライターの書いたものではなく研究者の愛に満ちたものである。ぶっちゃけた感じのある文章もとてもよかった。


ところで、『ゾウの時間 ネズミの時間』という名著で有名な本川達雄氏はナマコの生存戦略をたいそうほめておられる:本川氏HPインタビュー、 tbsラジオ荻上チキ2017年8月23日放送分
それは軍拡競争、つまり捕食者の追いかけるスピードや顎や牙の性能をアップさせる一方被捕食者の逃げるスピードやトゲなどの性能をアップさせるというスパイラル、からナマコは外れた生き方をしている、ということである。
筋肉というコストのかかる組織をほとんど体に持たず、結合組織という非常にローコストな防衛方法を身につけ、また誰も食べたがらないようなうっすーい養分を砂からより分けるような摂食方法をとる、ということだ。

それと同じようなことをこの本で目にしたので驚き心が躍ったんである。

p.58~ 地球上でもっとも量の多いタンパク質は何だかご存じだろうか。

おっと!これ以上書くとネタバレだ。まあ察しのよい方ならピンと来るかもしれないが。
競争して生きていくって大変なんですね。


腐生植物にラン科が多く含まれる理由も納得できた。そもそもランはラン菌がないとダメだからね。そこから光合成を行わなくなるステップは低い、ということだな。
というわけで、うちでなんとか生き続けているフウランも一緒に写真に収めてみた次第。

ランに限らず、光合成を完全にやめたというところまではいかなくとも菌を利用している植物は他にも色々あるらしい。
むかし大学の植物の実習で学内を歩き回りながら教わったとき、フデリンドウを見たときの驚きはまだ心に残っている。あんなに背が低い(というよりほとんど地面にへばりついている)のに青い星のように美しい花が茎より大きいくらいだ、ということに。こんなに小さい葉の光合成でこんなに大きい花を咲かせられるものなのだろうか!?と。
その疑問は正しかった、ということを約30年も経ってから知るとは。


本川氏のリンクの方が多いのもどうよ、と思うので、塚谷氏のインタビューのリンクも貼っておく。 塚谷氏と本川氏の共通点を感じたりして。笑顔とかスタンスの取り方とか。


塚谷氏の他の著作も読みたくなったよ。


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ジーン・ウルフ『書架の探偵』

2018-06-15 18:07:04 | 本 (ネタバレ嫌い)



いちばん好きなSF作家は誰か? と問われれば、今は迷わずジーン・ウルフだ。
不思議に静謐で奥行きの深い世界がたまらない。

1931年生まれの彼が2015年にこのような内容のSFを書けるということに驚き、嬉しく思い、流石だな、と納得する。


言葉を額面通りに受け取って行間を読めないわたしには ミステリははっきりいって無理! なんだけれど、それ以外のSF世界の不思議さが堪能できるだけでも十分だ。もちろん荒唐無稽なんてことはなくって、今現在の世界と似ているところと巧みに異なっているところが合わさった不思議な感じがいいのだよ。

わたしは実生活でも老人と接することが思いのほか多く「老い」というのがどういうものか少しは分かってきたと思う。正直にいおう、老いたくないです。ああそれなのに、ウルフ氏は84歳で目まぐるしく変わる社会生活についていき、それどころかその先をよんだ世界を作り出すことができる。ほんと、この人すごい。


この本はSFとしてもミステリとしても唸らされる。主人公の魅力がなおさら話に深みを与える。
この世界にどっぷり浸かってミステリを解いてほしい。


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円城塔『プロローグ』、『エピローグ』

2018-06-01 12:37:45 | 本 (ネタバレ嫌い)


予算とスペースの関係でフィクションは単行本ではなく文庫や新書になってから買うほうなんである。
というか、単行本の新刊をろくにチェックしていないので、というか本屋には行くがそこらへんは素通りしているので、文庫になって知った。ええまあ、文庫の新刊コーナーはチェックしてますね。

で、『プロローグ』は文春文庫で奥付には2018年2月10日第1刷と、『エピローグ』はハヤカワ文庫で奥付には2018年2月10日印刷 2月15日発行、とある。
カバーのイラストはどちらもシライシユウコ氏で、腰帯も色が反転しているけど同じトーンで、こんな風に並べても違和感がないんである。その腰帯には出版社の違うもう片方の宣伝が書いてあるんである。
そりゃ両方買いますわな


さて、どちらから読もうか?

ふつう、プロローグ・エピローグ、とあればプロローグからいくべきよね。あれっ、プロローグとエピローグにはさまれるべき本体は?と思わなくもなかったがそれはさておき、なんかより馴染みのあるハヤカワに手が出てしまった。


ハヤカワの『エピローグ』はしっかり SF しておった。最近めっきり SF から離れてしまって最近の流れをろくに知らなかったりするのだが、インターネットが発達しそれがない生活を想像できない人が増えた昨今だと SF における世界をこういう風に構築するかあ、と感慨にふけりながら読んだんである。
そりゃもう円城氏はたいそう優秀な方だからわたしにはチンプンカンプンな世界なんであるがしかし、文章そのものがじゅうぶん美味しいので分からないなりに読み進められてしまう、というのがすごい。

例えば p.34「五劫はもう来ていたのだなと思う。グーリンダイのポンポコピーだなと思う。」あたり。

とはいえ、p.116 で 経糸(たていと)と緯糸(よこいと)をルビも振らずに出すのに、それらで「編む」というのは残念である。「織っ」ていただきたかった。



しっかりした SF を堪能して、お次に『プロローグ』を読む。
出版社が違うとこうも本の感触がちがうことに驚く。いやどちらも文庫本だし文字の大きさもそんなに変わらないんだけれど、ちょっとした文字の太さの違いとか1行の文字数の違いとか紙の感触とか、なんかさっきまで読んでいた本とは世界が違う、というのを内容より先に五感で知ってしまう。

で、内容だ。
なるほどハヤカワで SF に対して文春ではこうなる、と納得する。一見こちらのほうが私小説の体の文学っぽい。もちろんそうは問屋が卸さないんだけど、とりあえず入口はね。
原稿を書いて出版社に渡すのにどういうデータにするのか、というくだりは妙におもしろく読んでしまった。テキストデータがシンプルでよいだろう、と門外漢のわたしも思うのだが、そのデータをレイアウトして紙に印刷する用のデータを作り、単行本から文庫本を作るにあたってそのレイアウトしたデータからまた素のテキストデータに戻してそこからまたレイアウトしなおしてデータを作る、というのを読んでうんざりしてしまった。こりゃ大変だわ。
バージョンアップする話とか、なるほど微妙に『エピローグ』にリンクしてにやりとさせられる。うまいなあ。

雑学というか教養というか、あっちこっちに話がとんでいちいちにやにやさせてくれるけれど、鮮やかに話は収束する。 うひょ~!


 円城氏すごい


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