アマゾンへリンク → 長谷川英祐『働かないアリに意義がある』
謂わずと知れた名著である。 2010年末の出版だ。
生物学好きと一応のたまっているわたしが今ごろ読んでいたりするんである。すみません。
知るは一時の恥、知らぬは一生の恥、ってことで、今更でも読むほうが全然良いんである。
副題には「社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係」とある。
読んで、うおおお! と言ってしまった。
研究の話でも高いレベルを一般向けに興味深く述べているし、それを他のレベルに例えたり置き換えてみたりするのも鋭く且つオリジナリティに富んでいる。
生物学にそれほど明るくなくとも一般教養として読むと断然よい、という生物学系の本はいくつかあるが、この本は必須だ。
ほんと、なんで今まで読まなかったんでしょうね!?自分のバカバカ!
アリというのは実にたくさん種類があって、無関心に見るとみんな一緒に見えるそれらはちゃんと違う。詳しく調べるとあっと驚くような遺伝的な特徴があったりする。
血尿が出て点滴を受けながらするような凄まじい研究によってそれらが少しずつ明らかになってきたことを、ずいぶんさらりと述べてある。
そこに著者の矜持を感じる。
自然の不思議、センスオブワンダーっていうんですか、読んでいてドキドキする。
そちらの方はさほど食指が動かない人でも、身近な事柄に例えられた方には共感できるのではなかろうか。
一緒に働いている仲間によく動く人とそうでない人がいて、余裕のないときなどにあまり動かない人に対して何らかの感情が動く、という経験はあると思う。
アリの社会でもよく働く個体とそうでない個体が同じ巣にいるらしい。そして、全員がキリキリ働く集団より働かないアリもいる集団の方が上手くいくらしい!
生物学の研究としてそういう説が出てきたわけで、ふんわりした話ではない。どういう研究でそう至ったのかは本を読んでください。
アリの研究で分かったことがどの程度人間社会に応用できるのか、ということもしっかり折り込んだ議論をしているので説得力がある。生物学の研究者の社会というメタ発言もおもしろい。
2ヶ月ほどまえに、嘘をつかないピノキオもしくは働かないキリギリスであることを カミングアウト したわたしとしては、働かないアリの存在意義を認めてくれるこの本はとても心強くしてくれた。
なぜ生物多様性は必要なのか、という根拠を。
進化の議論をするとき、自然選択による適応、が重要な指標になるのだが、そもそもその「適応」の定義が定まっていないのではないか?という話にハッとした。
次の世代が増えれば適応したことになるのか?もっと先の世代で増えることはどう解釈するのか?
情けは人の為ならず
という文言を思い出した。これは最近身近に感じたことだったのだ。
そりゃ人は自分が得したいと思っているだろう。それを公言して憚らない人もいて、まあそうなんだけどあからさまで目に余るっていうのかお付き合いを敬遠してしまったりする。
この例だと、短期では得をするかもしれないが、長期では避けられてしまうことで損をして、期間が長いほど損が嵩む、という考え方もできる。
さて、どちらが「適応」したのか?
そういう人に対して今までは、なんかイヤな感じの人だな、くらいに思っていたのだが、なるほどこれはひとつの個性だ、と思うことができた。短期的に得を求めるタイプとそうでないタイプと。
もちろん感情面ではちょっと避けたい気持ちは変わらないけれど、そういう出し抜く生き方というのは生物学的にはもうある意味まっとうな戦略なんであって、仕方ない。わたしも大損をしないようせいぜい気をつけるしかないな。
といういう風にどこかしら自分に引きつけて読むこともできます。
素晴らしい著作だ。
新書らしい体裁というのか、この表紙はちょっと、と思ったら、今はもっとかわいい文庫が出てた。 → ★