4日の日曜日は浜松市の北部で長野県南部と接しています水窪町に出かけました。以前の水窪町はかなりの山奥でした。と言いますのは私が静岡県に来た頃(約40年近く前)は水窪と聞くといい方は悪いですが陸の孤島というイメージで、ちょっとやそっとでは行けないような地理感覚でした。
今では立派な道路ができてさらに南信州まで道が通じて水窪は近い存在となりました。そのような所ですから昔は交通に難儀していました。その当時に山住神社参拝や隣の春野町(門桁)への交流は山道を切り開き使っていたようです。
当時の道が整備されたと聞き出かけてきました。山住古道と命名されているようで、今回は山住古道を使って山住神社の参拝と常光寺山を経由し周回登山を行った。
ここがスタート地点の鳥居
古道の途中に家康の腰掛岩があります。
古道を登りきると山住峠です
その峠には山住神社
この山住神社は「和銅2年(709)伊予の大山祇神(おおやまづみのかみ)を勧請して
山住(やまずみ)大権現と称した。」とある方が記しています。
大山祇神は今年実家に帰った際初詣したところです。特に何もないですが多少縁を感じます(笑)。
残雪が少し
ホシガラスをまじかで見られました。
常光寺山山頂
眺望よし
眺望よし、丸盆岳や不動岳
下山後場所を移動しトンネル探検
古道の締めくくりは手掘りのトンネル
内部の状況
立って通れるぐらいの穴を手掘りですからすごいマンパワーです。
トンネル前後も岩を削って水平道を・・・。
作るのも危険、通るのも危険なのだがそれ以上にこの道は大事だったんですね。
今では立派な道路ができてさらに南信州まで道が通じて水窪は近い存在となりました。そのような所ですから昔は交通に難儀していました。その当時に山住神社参拝や隣の春野町(門桁)への交流は山道を切り開き使っていたようです。
当時の道が整備されたと聞き出かけてきました。山住古道と命名されているようで、今回は山住古道を使って山住神社の参拝と常光寺山を経由し周回登山を行った。
ここがスタート地点の鳥居
古道の途中に家康の腰掛岩があります。
古道を登りきると山住峠です
その峠には山住神社
この山住神社は「和銅2年(709)伊予の大山祇神(おおやまづみのかみ)を勧請して
山住(やまずみ)大権現と称した。」とある方が記しています。
大山祇神は今年実家に帰った際初詣したところです。特に何もないですが多少縁を感じます(笑)。
残雪が少し
ホシガラスをまじかで見られました。
常光寺山山頂
眺望よし
眺望よし、丸盆岳や不動岳
下山後場所を移動しトンネル探検
古道の締めくくりは手掘りのトンネル
内部の状況
立って通れるぐらいの穴を手掘りですからすごいマンパワーです。
トンネル前後も岩を削って水平道を・・・。
作るのも危険、通るのも危険なのだがそれ以上にこの道は大事だったんですね。