日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

処分決定に思う

2010-06-28 23:29:16 | 大相撲
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野球賭博問題で協会は、本日午後の臨時理事会で特別調査委員会の勧告を受け入れ、名古屋場所の開催を決めた。

親方の処分では、除名または解雇の大嶽、降格以上の時津風、その他謹慎は11名。

力士では除名または解雇の琴光喜、休場は13名と床山1名。

これらの内容は、私が考えていた最も緩い処分とほぼ同じ内容。妥当な処分だったと思う。

どうやら、前日に発表になった「阿武松部屋は全員謹慎」は無くなったようで、前回述べた様に一部の力士による問題で、他の力士達の存在が否定される事は回避されたようだ。これは評価していいと思う。

名古屋場所の中止は回避されて安堵したが、この結果に少し残念な思いが出てきた。

それは大嶽部屋と時津風部屋の由緒ある部屋の親方が関与し、部屋存続の危機であるという事。

この2部屋は「昭和の2大横綱」が興した部屋。

大嶽部屋は横綱大鵬が大鵬部屋として創設し、婿の大嶽が継承した部屋であり、時津風部屋は横綱双葉山が興した部屋。

この2部屋の共通点はもう一つ。双方とも両横綱の信念を継承して行く為に、部屋の看板とともに「大鵬道場」と「双葉山相撲道場」という看板も掲げている。

時津風は、降格以上の処分で解雇もあり得る。先の力士暴行死亡事件があったのに同親方には、豊ノ島とともに失望した。

また大嶽親方は「除名または解雇」の処分で、部屋そのものが消滅の危機。

部屋付きの二子山親方(元・大竜)はいるものの、これは借り株で部屋の継承の権利がない。

なんとか部屋の存続だけは、望みたいところなのだが・・・。

写真は両部屋の玄関に「大鵬道場」と「双葉山相撲道場」が掲げられている。両横綱の信念が汚されてしまった。

名古屋場所は開催すべし

2010-06-18 22:28:45 | 大相撲

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連日の野球賭博の報道で、実名が1人2人と挙がってきている。そんな中、名古屋場所は中止すべきの声も出てきた。


協会は21日の理事会で名古屋場所をどうするか決めるという。


なぜ本場所だけは開催すると言えないのか。いかなる事情がるあるにせよ、本場所だけは開催することが大相撲の使命、伝統であるはずだ。


野球賭博に関わった者が29人、その他の賭け事は65人(双方、親方も含む)。総力士数700人以上の中で、これに関与したものは1割にも満たない。


その1割の力士のために、毎日真剣に稽古してきた9割の力士が馬鹿を見ることになる。


仮に29人から65人が本場所に出場出来なく、取組数が少なくてもてもいいじゃないか。十両、幕内だけが大相撲ではないのだから。


過去に大相撲は幾度も危機があった。幕末の混乱期、明治維新の直後、関東大震災、春秋園事件、東京大空襲直後と相撲の灯は何度も消えかかった。


しかし、本場所は何とか挙行され続けてきた(昭和21年夏場所は中止、代わりに京都、大阪で準場所を開催)。


賛否両論はあると思うが、上記の点を鑑み、大相撲ファンとして協会は本場所を挙行すべきと考える。


連綿と続いてきたこの伝統をここで絶やす事だけは避けてもらいたいものだ。


写真はもっとも開催が危ぶまれた、戦時下の昭和20年夏場所での横綱双葉山の土俵入り。この場所は無料、非公開で挙行された。


背後には焼けたトタン、土俵の俵はサツマイモの古俵、塩はオガクズだった。もちろん四本柱は焼け落ちてない。


この際、名古屋場所は大相撲中継の中止、懸賞金の辞退などもやむなし。会場も無料で開放してもいいのではないだろうか。



琴光喜は引退を

2010-06-16 21:59:46 | 大相撲
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今までの聴取には、関与していないとの一点張りだった琴光喜が一転、野球賭博に関与していた事を認めた。

実態調査の期限であった14日の前日に武蔵川部屋を訪れ、理事長に報告したとの事。

家族に危険が及ぶから、ということで今まで虚偽報告をしていたというのだが・・・、天下の大関がこんなだとは情けない。

罪の意識や、協会を代表する大関としての自覚があれば、早急に事実を話し謝罪ということが出来たのではないだろうか。

また協会の調査の方法もおかしい。

申告した者には厳重注意にするとして、実名を公表しないことを引き換えに調査をしたという。

子供を相手にしているのではないのだから、協会もこの問題に対しての罪の意識が低いとしか思えない。

膿を出し切るのなら実名を公表の上、謹慎ならびに出場停止。その後発覚したものについては、解雇または除名と断固たる態度で望むのが本当だろう。

武蔵川理事長には「見栄の膿」も出し切ってもらわなければならない。

話を琴光喜に戻す。

先の朝青龍の引退でも問題になった責任が、琴光喜の件でも当てはまる。

処分は協会にお任せすると言っていたが、大相撲を代表する立場である大関が起こした事件、しかも罪なのであるから、ここは潔く引退するべき。

年寄名跡も用意してあるだろうから一旦引退、協会には襲名かそのまま解雇か除名の判断を仰ぐといった形が賢明だと思う。

この問題は、まだまだ尾を引きそうなので、まずはここまで。

写真は去年の秋田巡業。琴光喜と新たに実名が上った豊ノ島。

奕は悪き径(みち)

2010-06-12 13:02:50 | 大相撲
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またもや協会は隠す気なのだろうか。

大相撲のプロ野球賭博に関しての調査の発表が、昨日あった。

自己申告したので、情状酌量?。これだけ世間を騒がせたのに、名前ばかりでなく、地位や時期、金額などもみんな伏せた会見に納得する訳がない。

今回の件は、公表した上で出場停止等の厳しい処分をとるものだと思っていただけに、先回の木瀬親方とは全く異なる軽い処分に、またもや協会の体質に疑問を感じた。

維持員のチケットの横流しなんてまだまだ甘い、賭博は犯罪行為なのです。うーん、全く解せない。

かつての横綱「稲妻雷五郎」は「相撲訓」にこう残しています。

 それ相撲は正直を宗とし、智仁勇の三つを志し、酒色奕の悪き径に遊ばず・・・

まぁ、今回の件は自己申告。「正直を宗とし」には当てはまっているなぁ・・・。当てはまっていないのは、協会自身です。

こういう先人の教えから、教習所で教えたらいかが?


写真は第7代横綱「稲妻雷五郎」。相撲も強く、風流人でもあった。

辞世の句が「腕押しにならでや涼し雲の峰」と「稲妻の去りゆく風や秋の空」があるけど、どっちが本当なのだろう?

大鵬の思い出

2010-06-05 21:59:06 | 大相撲
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先月の29日、第48代横綱大鵬の納谷幸喜氏の「古希」のお祝いが、都内のホテルで開かれたというニュースを見た。

この大鵬さん、私が意識したのは高校の頃。歴代横綱の欄を見ていたところ、大鵬の本名が「納谷」なのに気づいた。(この頃からもう「名字」に興味があった(笑)。)

納谷といえば能代に多い名字で、同級生にも納谷姓が二人いた。

そこで父に「大鵬の名字は納谷だけど、北海道にも納谷っているんだな。」と言った所、「だって大鵬の先祖は能代の人だもの。」という返事が返ってきてビックリした。

「なんでそんなこと知ってるんだ?」と聞くと、「大鵬が大関か横綱の時に、巡業で能代に来て先祖のお墓参りしたんだ。」と。「確か、西光寺でなかったかな。」ということだった。

それまでは、「型のない」大鵬よりも「速攻相撲」の柏戸が好きだった私。共通項を見つけると、得意の変な親近感が沸いてきてしまったのを覚えている。

また、奥さんは秋田市の「旅館榮太楼」の娘さんということで、ますます親近感が沸いたものだった。

5年前の5月、その大鵬さんが定年退職するということで、お祝いに大嶽部屋にお邪魔する機会があり、そこで父の言葉を思い出した、「西光寺にお墓がある。」

当時の西光寺は、現在の「けやき公園」にあり、道路拡幅のため移転していたので、もうお墓はないのかなぁとダメ元で伺ってみたところ、お墓はまだあるとの事で早速案内をしていただいた。

墓には、先祖代々之墓 納谷 松屋とあり家紋は「丸に三柏」。裏に回ると、昭和八年旧三月廿二日 納谷市松 建之 とある。

納谷市松は大鵬の曽祖父で、秋田藩お抱えの刀鍛治であったという人。能代の富町に「大鵬関 先祖出自の地」という碑が今でも建っている。松屋は屋号か?

話を戻して、お墓の写真を大鵬さんにお見せしたところ、「そういえば能代に行った時、このお墓にお参りしたなぁ、思い出したよ。」と懐かしそうに言っていただいたのをよく覚えている(感涙)。

その大鵬さんも、今年で70歳。近頃は車椅子に乗られているようだが、まだまだお元気そうだ。

努力の横綱の目で、いつまでも大相撲を見ていて欲しいと思った今日この頃です。


写真は納谷家の墓。能代市萩の台の墓地の一角にあります。