日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

大相撲カレンダー

2010-12-07 23:55:54 | 大相撲
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今年も大相撲のカレンダーが届きました。

今年の表紙は稽古が終った土俵。

毎日「土俵をあげる(稽古が終る)」と、土俵を掃除して中央に砂を集めこのように御幣を立てます。

このことを「あげぼうき」言うそうです。

このような、背筋がシャキッと伸びるような凛とした雰囲気も大好きです。

毎年いいカレンダーをありがとうございます!

ちなみにカレンダーの絵柄は待ちきれずに全部見てしまうほうです(^^;)

11月場所千秋楽

2010-11-29 22:28:55 | 大相撲
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昨日は久々に盛り上がった千秋楽でした。

希望した通りの優勝決定戦でしたが、応援した豊ノ島の優勝は叶いませんでした。

思えば、白鵬の連勝記録更新なるか?で始まった、今場所。

最後まで名横綱「双葉山」の影が見え隠れした場所でした。

11月場所は九州は福岡での開催で、双葉山は大分県宇佐市の出身。

そして豊ノ島は、その双葉山が興した時津風部屋の力士。

双葉山~豊山~豊ノ島で、双葉山の孫弟子になるのかな?

本来ならば、幕内上位を維持する実力がある豊ノ島。

今夏に起こった野球賭博問題で先場所は十両からのやり直し。

今場所は幕に戻り9枚目の位置ながら、14勝1敗の成績でした。

上位とは当たらない位置ではありますが、こんな小説のようなストーリィを考えたのは誰?と固唾を呑んで見守った一番でした。

しかし、そこは第一人者の横綱・白鵬。見事打ち崩してくれました(^_^;)

年収めの九州場所にふさわしい一番だったと思います。

白鵬の独走もいいと思いますが、やっぱり千秋楽まで目が離せない展開を希望したいですね。


写真は秋田巡業での豊ノ島。これで禊は済んだ、大相撲をもっともっと盛り上げて欲しいですね。あれ?そういえば稀勢の里はどうした?

大相撲史跡巡り~最終回~

2010-11-27 22:29:48 | 大相撲
長々と史跡を巡ってきました、今回の旅。


本場所の取組も気になり出すと共にお腹もすいてきました(ノドが渇いて来た方も(^^)


ということで以前から新聞に載ったりして気になっていた、湯沢市の「ちゃんこ浦風」へ。



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ご主人の長澤さんは元三段目の力士で、入門した部屋は湯沢出身と言う事でやはり「伊勢ヶ濱部屋」。



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入門したての頃は、師匠伊勢ヶ濱(横綱・照国)の付き人になり、当時理事だった伊勢ヶ濱について理事室に入ったお話は本当に貴重な話。


当時は理事長・時津風(横綱・双葉山)を筆頭に、若乃花の師匠の花籠(前頭・大ノ海 井川町出身)、次代武蔵川理事長になる出羽海(前頭・出羽ノ花)、相撲の神様の楯山(関脇・幡瀬川 湯沢市出身)、大鵬の師匠の二所ノ関(大関・佐賀ノ花)、横綱朝汐の師匠の高砂(横綱・前田山)等々、錚々たる面々が理事をしていたそうです。


今の理事なんて、この時代と比べると・・・これ以上は言えません(^^)


その後、付け人として天水山(熊本県出身)や開隆山(昭和町出身)、浅瀬川(大阪市出身)に付いたが、ただ不思議と同郷の先輩・清国にはご縁がなかったとか。


中でも浅瀬川さんには大変良くしてもらったとかで、年寄・浦風を襲名した浅瀬川さんは「浦風」を店名に使う事を快く承諾してくれたという、いいお話も聞きました。


これで、何故「伊勢ヶ浜部屋」の力士が「浦風」?という疑問が晴れました(^^)v


と色々なお話を聞いているうちにちゃんこもなくなり、鍋にはうどんが入りました。


ちゃんこもおいしかったけれど、うどんに入れた「唐辛子味噌」が辛くてうまいのなんの!


この激辛ちゃんこは初めてでした(すいません、話に夢中でちゃんこの写真、取り忘れました・・・)


とまだまだ話をお聞きしたい所でしたが、忘れてはいけないのがここは湯沢ということ。


皆さんは秋田、私は能代まで帰らなくちゃいけないので、ここでお開き。


帰り際におみやげとして、先ほどの唐辛子味噌を頂きました。これでウチでも激辛ちゃんこが楽しめそうです!


長澤さん、どうもごちそうさまでした。必ずまた、食べに来ますね!



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ということで、ちょっと強行軍だったような今回の史跡巡り。今度はもっとゆっくり、じっくり回ってみたいですね。


次回はどこに行こうかなぁ~?



大相撲史跡巡り~其の参~

2010-11-26 22:09:15 | 大相撲
白龍山の後は、院内にある東海林さんのお宅へ。


ここは宝暦年間(1751~1763)の力士「磯碇平左衛門(いそいかり へいざえもん)」の生家。


磯碇は享保12年(1727)、院内の関所番詰めの東海林家に生まれました。


庄内藩酒井候のお抱えとして、宝暦3年に東関脇として登場。


怪力の持ち主で、馬が自分の肩に噛み付いたのを引き離し、その首を一捻りすると荷物と一緒に馬が横転したという逸話が残っています。


その後引退し3代目春日山を襲名、享和4年に78歳で没。お墓は今も浅草・瑞泉寺にあるそうです。



と紹介している間に院内に到着しました(^^)


現当主の東海林さんは28代目(確か・・・)。武家の出らしく上品なお方です。


お庭に案内され、磯碇生家の碑を拝見。



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碑銘が「大関磯碇」となっていますが、大関は巡業での大関で、番付の最高位は残念ながら関脇です。


ただそれだけの碑か・・・なんて思うのは早計でして、その碑の前にあるものが、



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「春日山関」と彫られているのが見えるでしょうか。


その磯碇が15歳のとき、番所改築の際に沓脱石として運んで来た川石だそうです。その重さたるや150キロ!


苔むしたり、モルタルで回りを固められているのが何とも残念ですが、250年前にこれを運んで来たんですね(感激!)


などと説明を受け、他の遺品があるとの事でお宅へ。


座敷に通されると、テーブルの上には様々なものが。



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麻の裃、盃、元結い切り鋏、羽織紐、お守り入れ、母に贈ったかんざしや手鏡など等。文化財級の品々にビックリ!


なかでも驚いたのが、磯碇の出自が証明された系図が・・・。



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こんなお宅だったら私、喜んで婿に行きます(^^)


貴重な品を拝見し外に出ると、磯碇が植えたとされる「ウメ」の木がありました。



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幹にはだいぶ枯れが見えますが、樹勢はいいようなのでこれも大事に育ててほしいものです。


東海林さん、どうもありがとうございました。


つづく・・・えっ!?長いって?



大相撲史跡巡り~其の弐~

2010-11-25 21:40:51 | 大相撲
道の駅で昼食を済ませ、今回のご案内役のY先生と合流しました。


Y先生は地元・雄勝の隅から隅まで詳しいお方。


今夏、AKTで放送された「秋田人物伝~照国~」に解説として出演されていた方です。



横綱・照国は過去ログでも紹介しているので、ご参照ください。


まず最初の訪問は、湯沢市桑ヶ崎にある白龍山の生家へ。


前頭12・白龍山慶裕(はくりゅうやま よしひろ)は、本名金子寅夫、大正15年3月10日生まれ。


同郷の照国に弟子入り、幕内10場所を務め、昭和35年1月場所後に廃業。


その後、愛知県で料理店を経営していたそうです。



生家に着くと、甥の金子夫妻がお出迎えしてくださり、一行はお宅へお邪魔しました。


我々が到着する数分前に見つけたという写真を持って来てくれました。



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拝見すると、断髪式の写真。蔵前国技館で横綱・若乃花が鋏を入れています。


写真の時計を見ると15時20分。そして、この客の入り。推測すると誰かと一緒に断髪式をしたのかなぁ?


この年の5月場所中に栃錦が引退して10月に断髪式をしているので、もしかして???



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師匠・伊勢ヶ浜(照国)の止め鋏の写真もありました。


白龍山の母親のアルバムもあり拝見していると、



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「権現山」こと東鳥海山をバックに若い衆の頃?の白龍山。



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料理店開店祝いに来た開隆山と清国などの貴重な写真を拝見しました。


また、金子さんの話によると、叔父の白龍山は気が優しく関取になる前に何度か実家に戻って来て、母親に横堀駅まで連れ戻された話や、高校生の頃、部屋に遊びに行った時の話。


関取になってからも度々帰郷し、暇があれば山に山菜を採りに行っていた事など等のお話をしてくれました。


そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ、家の前で記念写真を写していただき、お宅を失礼しました。


金子さん、どうもありがとうございました。


次に向かう途中、金子さんが休耕田を利用して白鳥に解放?している田んぼを拝見。



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白鳥がたくさんでビックリしました!後に見えるのが、東鳥海山だそうです。


きれいな山で、白龍山が愛したのもわかります。


つづく・・・。