日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

九月場所千秋楽

2010-09-26 22:20:32 | 大相撲
大相撲は今日が千秋楽。


昨日優勝を決めた白鵬が日馬富士を難なく退け、見事4場所連続全勝優勝!。連勝も62として締めてくれました。


この分では、来場所初日に谷風の63連勝、そして7日目には双葉山の69連勝に並びそうです。


また、秋田出身の豪風が12勝3敗で敢闘賞。個人的に応援している蒼国来が千秋楽で勝ち越し、実に思い出深い場所になりました。


今日の中継から、気づいた点を2、3。


是より三役では「東方、是より三役~」(うろ覚えですが)と場内アナウンスが入っていましたね、今回からでしょうか?


で、しょっぱなの阿覧が毎回言っている(しつこいなぁ)矢を変な感じでもらっていました(笑)。


この場面は、魁皇で見たかったのですが残念。来場所に期待です。


あとは、インタビューを受けていた時の白鵬。今までは「双葉山」とか偉大な先人に対し敬称をつけず呼び捨てにしていましたが、今回は「谷風関」や「双葉山関」と「関」をつけて呼んでいました。


ううん、これはいいこと。日本人よりしっかりしています(笑)


それと、各賞の表彰での宮崎県知事賞で土俵に上った東国原知事。


宮崎牛のトロフィを渡した後、二字口で白鵬に礼をせず四方のお客さんに礼を優先していました。


まずは優勝者に敬意を払い礼をするのが礼儀。人気取りもいい加減にして欲しいものです。


もう1つ、NHK金杯を渡したNHKの会長?。


大げさに白鵬と握手をしていましたが、私が個人的に先場所の恨み(?)があるせいか白々しい感じが否めませんでした。


最後は文句ばかりになってしまいましたが、NHKの千秋楽の中継で一番楽しみなのは、終わる寸前の今場所のダイジェスト映像。


あの音楽と今場所の名場面がなんともマッチしていて、毎回のお楽しみなのです。今回もじっくり振り返らせていただきました。



それにしても長いようで短かった15日間でした。今から来場所が楽しみです。


場所の間は長いんですよねぇ(笑)



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写真は土俵入りで睨みをきかせる白鵬。この目線の先には・・・。



大相撲雑感

2010-09-24 23:37:17 | 大相撲
今日も結びの一番で白鵬が勝ち、大台の「60」に乗せました。


江戸時代の谷風の記録まであと3つ、歴代1位の双葉山まではあと9勝に迫りました。


今場所は各先人の記録を塗り替えた白鵬の結びの一番をじっくり観察していますが、何か物足りなさを感じています。


1つは、相手力士の気合い。「俺が倒すんだ」というような気持ちが見えないように思えます。


相手は横綱、まともに行っては勝てる見込みはありません。蹴手繰りとか時間前に立ってみるとか奇襲をかけてみるのも1つの手だと思います。


かつて双葉山の連勝中は、出羽の海部屋の笠置山が先頭に立ち、「打倒双葉」を合言葉に色々な策を練ったといいます。


そういう意気込みがまったく感じられないのが残念なところだと感じます。


またそれと関係してくるのですが、結びの一番での緊張感が足りない点。


以前はこのような記録がかかった一番はともかく、優勝決定の一番でも制限時間が長く感じられたものです。


仕切りを重ねるごとに両者の気合いが乗り、塩に戻る時「まだ制限時間じゃないの?」と思う時が多々ありましたが、最近はそういうことが全くといっていいほどありません。


「気」が足りないのでしょうかねぇ。


よく大相撲では「心・技・体」と言われますが、元々は「心・気・体」でした。


技は体で覚えるもの。そういった意味から考えると「技」よりも「気」が重要だと思います。


それと関連したのをもう1つ。勝ちっぱなしの横綱等上位陣に、番付順で対戦させるのはどうかと思います。


上位陣に番付上位だからといって、負けが込んでいる力士を当てても全然面白くありません。


今場所でいうと、2敗の豪風や嘉風の番付下位でも調子の良い力士を当ててもいいかなと思います。


昭和35年1月場所、新入幕で前頭13枚目だった大鵬が11連勝。12日目はこの位置では当たることのない、小結の柏戸とのワリが組まれました。結局は柏戸が勝ち、実力の違いを見せ付けた一番というのがありました。


このような、臨機応変な取組の編成も大相撲再建の重要な要素にも思えます。


と、ネタが無かったこともありますが、今日は前々から思っていることを書いてみました。



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写真は、その昭和35年1月場所12日目、柏戸ー大鵬戦。この一番が柏鵬時代の幕開けになった。



引き分けと預かり

2010-09-23 23:08:10 | 大相撲
昔の星取表を見ていると、勝ちの「○」や負けの「●」の記号に混じり、「×」や「△」という記号が多々見られます。


これらは、かつて相撲の勝負判定にあった「引き分け」と「預かり」です。


「引き分け」はその名の通り、引き分けた相撲で、略して「分け」。


相撲が長引き勝負がつかないまま、取組を中止された場合、この「引き分け」となりました。


今の規定では、水入り取り直しになるケースと考えられます。


実は現代でもこの「引き分け」は残っており、力士が負傷し取り直しが出来ない「痛み分け」の場合と二回水入りして2番後取り直しでも決着がつかない場合です。


昭和以降の星取表をざっと見た感じ、結構な数の引き分けがありますが、最後の引き分けは昭和49年9月場所の二子岳ー三重ノ海の一番だったようです。



次に「預かり」。もつれた相撲で行司軍配に物言いがつき、勝負判定がつきかねた時、協会や行司が「勝負を預かる」制度。


同じ預かりのでも3種類あり、


1つは双方が互角であった場合が「丸預かり」。星取表上では「△」印。


2つ目は、分が良い方と悪い方に分ける「隠れ星」。
星取表上では「△」印ですが裏では、分が良い方を「丸星」、悪い方を「半星」とし「負けなし」の扱いを受けました。丸星は給金が上り、半星は給金に変化無し。


3つ目が、その場の体裁や行司指し違いによる「土俵預かり」。
負けた力士(横綱など)に花を持たせる場合などに適用されました。ただし星取表では勝ち負けが記されました。


この預かりは現在では「同体、取り直し」なるケースです。


昔は強引な物言いがあり、明らかに勝った場合でも預かりになった例が多数ありました(特に江戸時代、お抱えの大名の顔を立てるため)。


両制度とも大正14年に廃止されましたが、昭和以降「預かり」も数回ありました。


一番最後と思われるのが、昭和26年9月場所の東富士ー吉葉山戦。この一番は、物言いの後、取り直し、水入り、取り直し、水入り、取り直しとなったものの、両者精根尽き果て「両力士取り疲れ、引き分け、勝負預かり」となったようです。


またこれらの他に江戸時代には「無勝負」というのもありました。


同体になった相撲で軍配を上げようがない場合、行司が「勝負なし」として頭上で軍配を左右に振った判定。現在、行司は必ずどちらかに軍配を上げなければいけないと定められています。



と、上記の様な基準は一応ありましたが、今では考えられないような事情が昔はあり、全部が全部当てはまっていたのではないと思われます。


これらの事情を円満に解決する様に、このような制度があったと考えられますね。



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写真は昭和30年9月場所11日目の若ノ花ー千代の山戦。3度の水入りの末、合計17分15秒の死闘は決着つかず、引き分けとなった。



白鵬 梅ヶ谷に並ぶ

2010-09-22 23:45:56 | 大相撲
今日、白鵬は阿覧と対戦して危なげなく58連勝。


58連勝は第15代横綱・初代梅ヶ谷藤太郎と並ぶ大記録。


この梅ヶ谷の58連勝は、明治9年(1876年)1月場所8日目から明治14年(1881年)1月場所8日目までに作られた記録です。


といっても、連勝の始まりの明治9年1月場所8日目は、対手柄山戦での「引き分け」からスタート。


次の9日目は相手の四海波が「休場」により休み。翌四月場所は3勝1分5休。


同10年1月は8勝1分。翌6月、7勝1分1休。翌12月、9戦全勝。


同11年6月、4勝1分1預3休。翌12月、6勝3分。


同12年6月、5勝1預3休。


同13年1月、4分5休。翌5月、9戦全勝。


同14年1月は9日目、大関・若島に敗れて7勝1敗1分と58連勝の間に「13」の引き分けと「2」の預かり、「18」の休場を挟んでいる連勝です。


ただし、この当時は1場所10日間の興行でしたが、10日目の千秋楽には幕内力士は取組をしませんでした。


なので星取表上は「や」の休みになっていましたが、今集計には千秋楽の休みは数に入れていません。


現在のように千秋楽に取組をするようになったのは、明治42年の6月からです。



この初代・梅ヶ谷は突っ張りや筈押しを得意とした横綱。上記の58連勝の他に35連勝も記録するなど、明治初期の相撲廃止論が渦巻く中、人気を巻き返した名横綱です。


この様な変則的な連勝記録ではありますが、驚きなのは横綱時代の連勝ではなく、「前頭4枚目から大関まで」の記録だということ。


これは双葉山の69連勝(関脇から横綱の間)と似た形ですね。



引退後は梅ヶ谷から「雷(いかずち)」を襲名、相撲界の改革や旧両国国技館の建設に尽力。


後年2代目梅ヶ谷(第20代横綱)に雷を譲りましたが、初代の功績をたたえ「大雷(おおいかずち)」と敬意を評し呼ばれました。


また83才で没したのは横綱の中ではもっとも長寿でした。(2位は今月亡くなられた初代・若乃花)



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写真はその初代・梅ヶ谷藤太郎。身長176センチ、体重120キロの超豪横綱。それに比べて体格では上回る、今の力士たちは・・・。



今度は太刀山の連勝へ

2010-09-18 23:20:05 | 大相撲
今日の結びの一番で、遂に千代の富士の持53連勝を抜き54連勝、歴代単独2位になりました。


今日の解説はその千代の富士の九重親方。記録を抜かれたにもかかわらずさっぱりとした顔でしたね。


そういえば22年前、千代の富士が大鵬の45連勝を抜いた日の解説は大鵬親方でした。その時はなんとなく悲しそうな悔しそうな顔をしていたのを覚えています。


さて、その白鵬が次の目標に掲げたのが「60」の数字。


しかし私的には公式の連勝記録ではないものの「太刀山の56連勝」を抜けるかが興味どころ。


その太刀山(たちやま)は22代横綱、強烈な突っ張りを武器とし「太刀山は四十五日(ひと突き半=1月半)で今日も勝ち」と川柳にも詠まれたほどの超豪横綱。


明治45年(1912年)1月場所9日目から大正5年(1916年)5月場所7日目までの56連勝です。


公式記録になっていないのは、


明治45年1月場所千秋楽、対常陸山戦での「引き分け」


大正2年、同4年、同5年1月場所の「全休」


大正3年5月場所で「休場」1つと「預かり」があるためです。


「引き分け」は勝負がつかないまま取組を中止することで、「預かり」は物言いがつき勝負判定を決することが出来ない場合に「勝負を預かる」制度。


両制度は大正14年に廃止され、取り直しをすることになりました。


また大正3年に1日だけ休場がありますが、これは相手力士が休場した場合、こちらの力士も「休場扱い」になる当時の制度のためです。現在では「不戦勝」になるケースですね。


以上の事柄があり連勝記録に太刀山の名前は出てきません。「負けなし」の連勝記録といったところでしょうか。


こんな強豪力士の記録に挑む白鵬。この場面を目撃できる私たちは幸せですね(笑)。



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写真は22代横綱の太刀山峰右衛門。この名前は郷里富山の名峰「立山」と角聖「常陸山」に迫れという願いで、板垣退助が命名したものです。