今日は石臼のお墓で有名な「光久寺」さんでお仕事。
石臼のお墓は天保の大飢饉で能代の民衆を助けた「紙屋仁蔵(かみやにぞう)」のお墓です。
詳しくは「光久寺」さんのHPをご覧下さい。
その紙屋仁蔵のお話を初めて聞いたのは小学校の頃。道徳か何かの授業で知りました。
秋田の昔話という本でも見た事があり、どんな話だっけ?と再勉強しようとしたら光久寺さんのHPを見つけました。
そうしたら所蔵物と言う項で、大日本相撲協会・・・云々とあるではないですか!
なんでもその時に寄進された「三界萬霊等」が安置されているとの事。
これは是非拝見したい!と思い、仕事が終わってから住職さんにお願いして見せていただきました。
これがその「三界萬霊等」です。
その裏側を見てみると、
昭和九年八月廿八日大日本相撲協會
男女川能代潟一行当地興行ニ際シ能代
出身ノ故錦嶋三太夫追善供養ノ節此ノ
位牌ヲ白木ニテ使用シタルニ依リ其ノ記念
トシテ當光久寺寄進候也
勧進元 水木 彌助
九代目 錦嶋三太夫
秩父政吉
男女川能代潟一行当地興行ニ際シ能代
出身ノ故錦嶋三太夫追善供養ノ節此ノ
位牌ヲ白木ニテ使用シタルニ依リ其ノ記念
トシテ當光久寺寄進候也
勧進元 水木 彌助
九代目 錦嶋三太夫
秩父政吉
とあります。
昭和9年8月28日に横綱男女ノ川と大関能代潟一行が能代で興行を行った事。
またこの興行は、能代潟の師匠の8代目錦島三太夫(元関脇・大蛇潟 能代市万町出身)の出身地で追善相撲であった事が書かれていました。
9代目錦島三太夫(元前頭・大蛇山 羽後町出身)の名前もありました。一緒に来たのでしょうね。
8代目錦嶋は前年の昭和8年5月15日に亡くなっていますので、その1年後に当地で追善相撲を打ったことは史実にも符合します。
勧進元の水木彌助さんは今でいう地元後援会の方ではないでしょうか。
どういう経過でここに寄進されたのかは分らないとのお話でしたが、まさかこんなに近くにこういったものがあるとは思いもよりませんでした。
当時の巡業は公式の発表がないので、貴重な資料とも言えます。
またこのお寺は300年以上の歴史があるそうで、ご本尊の五智如来や仏画など古いものがあり、大変興味深く見させていただきました。
見学は可能だそうですので、ご連絡の上、是非訪れてみてください。