その友のためなら、たとえ首を切られても悔いないくらいの親しい交際。 ~大辞泉より~
これは私の愛読書「史記」の廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)列伝出典の故事成語。
史記とは、司馬遷が編纂した歴史書。その中の「列伝」は一代で名を馳せた人物をドラマチックに描いたオムニバス集といってもいいかもしれない。
中でもこの廉頗・藺相如列伝が一番の感銘を受けた。
食客だった藺相如は、秦から国の危機を救った功で趙の大臣になり、功績のある大将軍の廉頗より上の地位になった。
その人事に不満の廉頗は「自分は総大将として数々の大功をたてたが、相如は口先だけの働きで俺の上に立った。そんな男の下におかれるのは我慢できない。今度会ったら辱めてやる。」と周囲にいいふれた。
これを聞いた相如は病気と称して廉頗と会わないようにした。
あるとき久しぶりに外出したところ、馬車に乗った廉頗がむこうに見えたので、横道にそれて隠れた。そんな振る舞いを見かねて、家臣一同は暇を乞う。と、相如は「その方たちは、廉頗将軍と秦王のどちらが手ごわいと思う。」「秦王です。」
「その秦王と私は堂々と渡り合った、どうして廉頗将軍を恐れることがあろうか。秦が趙を攻めないのは、廉頗将軍と私がいるからだ。今、二人が争えば秦の思う壺。私が廉頗将軍を避けるのは、私事の争いより国家のほうが大切だからだ。」
これを伝え聞いた廉頗は自分の愚かさに恥じ入り、肌脱ぎになり、いばらの鞭を背負い、心ゆくまでこの鞭で打ちすえてほしいと相如に謝罪した。
こうして二人は心から打ち解けあい、お互いのためにこういったは頸を刎ねられても構わないと思うほどの深い友情を交わした。
というお話。こういった話を読むと止められないんだなぁ。またネタ不足になったらご紹介します。
ロッキード事件の証人喚問で、国際興業社主の小佐野賢治が田中角栄との関係を聞かれた時「刎頚の友」と答えたのも有名な話。ちなみに秋北バスは国際興業のグループ。車体のカラーリングも同じ。
討ち入り後のインタビュー、面白そうですね!まだ拝見していなかったので探してみます。
そういえば、旧暦でいう明日14日は討ち入りの日ですね。近年は年末恒例の忠臣蔵もあまり放送されなくなり何か寂しい感があります。
話のついでで恐縮ですが、旧暦(陰暦)は上の司馬遷が制定したものなんです。この話題、何かの偶然でしょうか(笑)。
どこかのTV番組なんかで制作されそうな気もするのですが、いまだ具現化していません。テーマがテーマなだけに、シリアルすぎるのでしょうか。