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オーストリア皇后エリザベート

2009-12-24 23:16:39 | 歴史
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今日、12月24日はオーストリア皇后エリザベートが生まれた日(1837年)。

エリザベートはバイエルンの王族、ヴィステルバッハ家の出身。16歳でオーストリア帝国、ハプスブルク家の若き皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世に嫁いだ。フランツ・ヨーゼフの一目惚れだった。

ハプスブルク家は13世紀から20世紀の初めまでの約700年間、ヨーロッパ全体に大きな勢力を持った王朝を形成。
「戦いは他の者にさせるがよい。汝、幸あるオーストリアよ、結婚せよ」の格言の通り、結婚政策で領土を拡大していったヨーロッパ1の名家。

その名家に嫁いだエリザベートの最大の役目は、世継ぎを産むこと。第1子、2子と女子が続き、プレッシャーの中、待望の王子ルドルフが誕生。しかし王子は姑の元で教育され、母親の愛情を知らないまま育った。これが「マイヤリンク事件」(ルドルフ皇太子の心中事件)の伏線になったという。

自由奔放な彼女は、姑との確執に疲れ果て放浪の旅に出る。そんな中、後継者である皇太子ルドルフの情死という悲劇が、彼女を襲う。葬儀が終わると、悲しみから逃れるかのように、また旅から旅へとさすらった。

1898年9月、彼女はジュネーブのレマン湖畔で船に乗ろうとした所を刺される、享年61歳。
この報を受け、夫フランツ・ヨーゼフはうなだれながら、こう言った。「この地上では、あらゆる不幸が私を襲う・・・」と。

しかし、ハプスブルク家の悲劇はこれで終わった訳ではなかった。
その後、崩壊の歯車は、第一次大戦が勃発する「サラエボ事件」まで回り続けるのだった・・・。

ちなみに京都国立博物館で1月6日から「THE ハプスブルク」展が始まります。上記の肖像画も特別展示されますので、是非。行きは日本海で(笑)


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