独りな時間

自身の病気(痙攣性発声障害)も含め、趣味のフルート、好きな曲
日常のあれこれ綴ります♪♪
元気だしていこ~~ 

痙攣性発声障害と診断されるまでの道のり・・・③

2008-01-15 22:52:16 | (発症から診断まで)
   


2006年4月~2007年


検査当日。

超音波検査。
ちょっとチャーリー浜似のおもしろい技師だった。
(関西系の方はご存知だと思う)

喉の辺り(甲状腺)を入念に見てもらい、何枚か画像の写真を撮る。
そしてCT・MRI検査の結果、充実性の腫瘍が見つかった。
専門的な検査をする為に、大きな病院を受診するようにすすめられる。

早速紹介状を書いてもらい、K病院へ・・・。
細胞診で更に詳しい検査をする事になった。
声のほうは「痙攣性発声障害」ではないか・・と
この時初めて担当医から言われる。
甲状腺はそのまま様子を見る選択もあったが
細胞診の結果がclass3というグレーゾーンであったことと
(腫瘍を摘出して病理検査をしないとはっきりわからない)
血液検査で何かの数値が(よく覚えていない)よくなかったこと、
腫瘍を切除すれば声が出やすくなるのでは・・という僅かな期待もあり
わからないものを抱えているのは嫌だったので手術を希望した。
ただ、医師からは声とは関係ないだろう、とは言われていた。

そして2006年9月甲状腺右葉切除の手術。
結果、切除した腫瘍は良性だった。「腺腫様甲状腺腫」というものだった。
声は治らなかった。
左葉にもう一つ小さな腫瘍があるので、これは毎年検査で経過を見ることになった。

                    

そんなわけで、大きな寄り道をしてしまった私は
徐々に「痙攣性発声障害」である事を確信した。

そして手術を担当した医師に相談をすると
「痙攣性発声障害」の検査設備のある病院の
パンフレットを用意してくれた。

2006年も終わろうとしている12月。
紹介状を持って、東京の麻布にあるKクリニックへ夫と向かった。 
とてもやさしい穏やかな先生だった。
1年かけてようやくわかった病気・・・。
やはり「痙攣性発声障害」だった。

そして千葉県のT大ちば医療センターを紹介してもらい
やっと・・・K先生に辿り着いた。


年が明けて2007年。
ボツリヌストキシン注射の治療が始まった。

そして現在に至る。
   
                        ・・・おわり  


         






                     

痙攣性発声障害と診断されるまでの道のり・・②

2008-01-14 23:12:31 | (発症から診断まで)
  
 

2006年4月  


相変わらず声の異変は続いていた。
「いらっしゃいませ~」がなめらかに出なくなっていた。
ごまかしながら、何とか無理やり出していた記憶がある。


そして、4月の終わりごろ、もう一度診察を受けようと決めた。
今度は耳鼻科ではなく、Mクリニックの内科を受診する事にした。
ネットで検索して、ある事が気にかかっていたからだ。


問診表に、私は不安な事を書き込んだ。
声が出にくいのが随分続いている事、耳鼻科では異常がなかった事、
そして
「甲状腺を調べてください・・。」と問診表に記入した。
何故なら、声が嗄れたり出にくくなるという検索をかけたら
甲状腺の病気が出てきたからだ。
もしも・・を考えて甲状腺を調べてもらうことを希望した。

H田医師は、私の話をとてもよく聞いてくれる医師だった。
様子を見ましょう、とか曖昧な事を言わずに
血液検査をして、数日後に詳しく検査をする事になった。

            

その間、パート先では
いつものように店の裏の作業とレジを往復していた。
かなり声は出にくくなっていて、大きな声を出せなくなっていた。
そしてレジで接客をしている時にお客さんにこんなことを言われてしまった。
「大丈夫?死にそうな声ね~」

ああ、もうダメだ・・と感じた。
接客業である以上、お客さんに指摘されたらもう終わりだ。
これ以上店に迷惑をかけるわけにはいかない。

たまたまその時に隣にいた店の奥さんに
「実は、最近声が出にくくて来週検査があるんです・・」
と声が詰まりながらも初めて告白した。
すると店の奥さんは
「何かおかしいなあ・・と思ってたのよ。」
そう言って検査が大事だからと仕事を休みにしてくれた。

そして4月の最後の週に検査を受けに再び受診する事になった・・。

              (次回へ続く・・)    

     
       





痙攣性発声障害と診断されるまでの道のり・・・①

2008-01-13 22:51:26 | (発症から診断まで)
  
  
 
ブログを始めてから2ヶ月を越え、そろそろこの病気のきっかけや
診断される日までの事を書こうと思います。
「痙攣性発声障害」という病気が確定されるまでの日々(私の場合)です。
 
                  (3回にわけて書こうと思います)  


2005年 秋   

異変に気づいたのは、2005年の秋から冬に季節が変わる頃だった。
パートで、とある個人店の販売の仕事をしていた頃だ。
それまでも、10年近く接客業で大きな声を出す日が続いていた。
今思うと、元々通らない声を「いらっしゃいませ~!」と
無理して大きな声を張り上げていたと思う・・。

お歳暮時期で、接客と発送と品出しで追われる日々が続いていた。
そしてこの頃から徐々に声が嗄れてきたように記憶している。
声の出しすぎと店内の乾燥で炎症をおこしたのかとそのまま治るのを待っていた。
ところがだんだんと声がつっかかるような、出にくいような
おかしいな・・と感じるようになっていった・・。
それでも治るだろうと、その時はあまり深刻には考えていなかった。

             
2006年1月~

年が明けて1月も終わる頃、声の調子は何となく出にくい状態が続いていた。
この頃から私は、インターネットでいろいろと情報を探し始めた。
症状から予想されるものをいろいろ検索していった。
「声が出にくい」とか「声枯れ」という項目で検索したと思う。
ここで初めて「痙攣性発声障害」という言葉を目にしたのだが
それよりも心配したのは喉に何か出来ていないか・・?という事だった。

不安な気持ちで喉に関する病気を片っ端から検索した。
情報を得るごとに不安も増していき、これはすぐに病院へ行こうと思った。
そして2月に入ってすぐに近くの耳鼻咽喉科を受診した。

病院で出にくくなっている声で今の状況を説明し、診察に入った。
鼻から内視鏡を入れ、声を出して声帯が閉じたり開いたりする所を
モニターで確認しながら先生に説明をしてもらった。
「少し炎症がありますが、きれいですよ。何もありませんよ」
そう言われて声帯の写真をお土産に頂いて、薬局で薬をもらって帰ってきた。
何も出来ていないと安心したが、何かすっきりしなかった。
喉の痛みもないし何か違うような気がして、薬は2日ぐらいでやめてしまった。

とにかくもう少し様子を見てみるか・・

おかしいとは思いながらも診察をしてもらった安心感もあって
しばらくまた、そのまま様子をみる事にした。
仕事と家事に追われ、相変わらずのおかしな状態がしばらく続き
3月もそろそろ終わろうとしていた・・

                        (次回へ続く・・・)