独りな時間

自身の病気(痙攣性発声障害)も含め、趣味のフルート、好きな曲
日常のあれこれ綴ります♪♪
元気だしていこ~~ 

入院~手術

2017-06-28 01:41:22 | 痙攣性発声障害





入院当日。

この日は雪のため、朝から交通網が乱れ、
電車も運転を見合わせるほど。
主人の運転する車で何とか予定の時刻に間に合いました。


4人部屋の廊下側。
皆さん、病名が違います。
この病室は耳鼻咽喉科だけではないのですね、
安静が必要な方もあり、
静かな病室でした。

私も声を出すことが出来なくなるので
環境としてはよかったかな、って思います。

術後には発声が禁止になるので
筆談できるようにホワイトボードを持ち込み、
パソコンも家から持参しました。
どちらも重宝しました。


記憶が曖昧なのですが
入院して翌日には手術だったような?
そんな記憶(^^;)

いよいよ
この声ともお別れなんだな~という
少しの寂しさと
少しのワクワクと、、、
わりと冷静な私がいました。



そして


手術当日。



自宅から遠かったので、家族も付き添わず
私は独りでこの日を迎えました。


予定時刻よりかなり遅れて私は手術室へ。
とても寒かったのを覚えています。
部分麻酔なので術中の段取りやら全て聞こえちゃいました(笑
音楽でも流れていたら、もう少しリラックス出来たかも。
あ、
麻酔のおかげで
痛みはありませんでしたよ。
なんかやってるな~ってぐらい、全く痛みはゼロです。

声を出しながら
何度か調整していただき
一番しっくりくるというか、心地よい所でチタンを固定。
この判断は迷いました。
後日、また詳しく書けたらと思います。

無事に手術を終え
車いすで私は病室に戻りました。


その夜は発熱と嘔吐で幾度かナースコール。
この時もホワイトボードが重宝しました。
痛いのか、苦しいのか、気持ち悪いのかetc、
声が出ないと伝える事も出来ないので
とても助かりました。

それにしても
しんどい夜だった。


ここから一週間発声禁止。

たった一人の暇な入院生活の始まり(笑



私の声はどうなっているのか?

ちゃんと出るのだろうか?


不安を感じつつも
手術を終えた事で
ホッとして、、、


これからのんびり過ごせる入院ライフが
楽しみな私でありました。





つづく





















手術へ

2017-06-20 01:52:57 | 痙攣性発声障害






いよいよ私は手術へと
大きな人生の転機を迎えました。


再び紹介状を持って、とある大きな病院へ向かいました。

私がこの運命の病院にたどり着くまで
どれほどの時間を過ごした事でしょう。
この病気を発症して10年は経過しています。
まさか手術を選択するとは
我ながら大きな決断をしたな、って
今でも思います。


機は熟した、
そんな心境だったのかもしれません。


実は私が受けたのは治験手術です。
運よく治験の期間に間に合いその枠に入る事が出来ました。
治験ということで、
守秘義務がありますので
ここでは手術に関しての詳細は詳しく書くことは出来ません。
けれど
ギリギリ書けるとこまでがんばりますね(^^;)


紹介状を持って初めて訪れた運命の病院。


2015年秋。


もう迷いはありません。



病院では
一通りの検査をしました。

現在の声の録音だったり、色々、、、

言語聴覚士さんがとってもオモロイ方だった(笑
手術中も付き添ってくれて
心強かったです。


何回か検査を繰り返し
私はいよいよ手術へ踏み出します。



2016年1月。



お正月気分もそこそこに
手術の準備も整いました。




つづく















手術の決断②

2017-06-09 01:09:34 | 痙攣性発声障害




紹介状を持って、私は都内のとある大きな病院へ向かいました。

この病院は以前娘が入院したことがあり
何度か足を運んでいたので病院へのアクセスもスムーズでした。
そして偶然にも
私が数年前にほかの病院で甲状腺の手術をした時の執刀医が
古巣のこの病院に戻っていたのでした。
会うことは出来ませんでしたが。
余談でした(笑


紹介状を持って担当の医師を尋ねると
快く話を聞いてくださり
研究チーム?の医師の方々もやさしかったです。


ところが
ここで一つ難題が。

私の希望しているチタンで声帯を固定する手術が
現在(当時です)中止しているという事でした。
事情はここでは書けませんが
そういうことでした。

もう一つの手術法、
声帯筋を削る?手術なら出来ると。(あまり知識ないのでアバウトですが)
そんな内容のお話でした。
何年も前の事なのでうろ覚え

私はチタンで固定する手術を希望していたので
残念ながら、こちらの病院での手術はあきらめました。

けれど
幸いなことに
担当の医師から、私の希望する手術法をしている病院を紹介してもらう事が出来ました。
少し遠いけど大丈夫?
って心配してくれましたが
この際手術を受けられるなら何処でも行くつもりでしたので
即答しました。「大丈夫です!」
家から電車で3時間半ほどの処です。
それほど遠い距離でもないですね。


帰り際、
担当の医師が
「何かあったら相談して下さい」
って、名前の書いた付箋を私に下さいました。
とても心強かったです。
やさしい言葉と笑顔が今も脳裏に焼き付いています。
本当にありがとうございました。


ようやく私は
手術に向けて大きな一歩を踏み出すことが出来ました。


2015年、秋の終り。

季節は冬へと変わる頃。

だったと思う(笑


紹介先の病院との出逢いは
私の痙攣性発声障害の日々に
ピリオドを打ってくれる
大きな運命の出逢いになりました。


いよいよ

手術です。



つづく、、、



















手術の決断

2017-06-02 02:33:55 | 痙攣性発声障害





手術を決断した理由。

それは
これからの人生を考えたから。

ボツリヌストキシン注射を定期的に打っていた頃は
手術の事など他人事でした。
注射は効果のある時もあれば、あまり効果のない時もあった。
けれど
それでも注射はしないよりましで
私にとっては遥かに生活レベルが向上する手ごたえを感じていました。

注射をして何週間か経過すると
声がだんだんと出しにくい状況にもなりましたが
いつの間にかそんな状況に慣れてしまって
自分の声の変化を楽しんでいるような私もいました。

声が出しにくい事は不便な事もありますが
メリットもそれなりにあったんです。

ずるい私は
声が出にくくなると
病気を患っている患者さんになれたので
病気である私を特別扱いしてくれる周囲の優しさに
甘える事が出来たのです。

例えば
職場では電話に出なくても同僚がフォローしてくれる、
買い物に行けば注文をするときに
声が出にくいから面倒なので口パクでアピールする、
すると
店員さんは障害のあることに気付いてくれ
とてもやさしい対応をして下さる方がほとんど。

そんな周囲のやさしさに酔いしれてる自分がいたのかもしれません。
おかしな話ですが、、、


けれど
それは一時的な事だからこその快感です。

注射を打って発声障害が軽減される日があったから
障害のない日々、障害のある日々を
楽しむことが出来たのかもしれません。


当たり前のように注射を定期的に打ちに行き
そんな生活が何年も続いたある日
私は考えたのです。


今はいいけど
この先、一生注射を打ちに病院に通えるのだろうか?


年齢を重ねるにつれ
真剣に考えるようになりました。


通院はもちろん
費用の事も。


日を追うごとに、現実的に考えるようになりました。


そして

決断したのです。



手術しようと。



お世話になっているK先生に相談して
紹介状を書いていただき
私はある病院に出かけました。



つづく



















手術から1年ちょい過ぎました。

2017-06-01 02:36:08 | 痙攣性発声障害





長い間患っていた発声障害。
正式には「痙攣性発声障害」という世間では珍しい病気。


昨年の1月に手術を終え、そろそろ1年と4か月が過ぎました。


一度は辞めてしまったブログではありますが
久しぶりにブログの存在を思い出し
手術関連の記事を残そうと再びパソコンに向かっています。


相変わらず夜更かし癖が治りません

けれど発声障害は治った

と思えるような日々を現在送っております。



この記録を残す事で
いつか誰かの参考になってもらえたらいいな~、って思います。


すっかり夜も更けましたので
また後日
少しずつ書いてゆけたらと思います。



サポートして頂いた全ての方に感謝いたします。
ありがとうございます。



今夜はこれで


おやすみなさい