独りな時間

自身の病気(痙攣性発声障害)も含め、趣味のフルート、好きな曲
日常のあれこれ綴ります♪♪
元気だしていこ~~ 

こんな声になりました(術後)~海の声 cover mami

2017-07-24 00:32:35 | 痙攣性発声障害





恥ずかしながら
術後の声を公開しますね。

こんな感じの声に生まれ変わりました。


かなりクオリテイーの低い弾き語りではありますが
声の感じはこれでわかると思います。

声量はかなり落ちて
声のハリはありませんが
詰まりも途切れも震えもないことがわかると思います。

術後の声がネット上にはあまり上がっていないようなので
思い切ってここで公開しますね。


よければ聴いてください



海の声 cover mami

手術後~それから

2017-07-15 00:50:54 | 痙攣性発声障害




早いもので、術後1年半経ちました。

術後の検診も良好、
SD(痙攣性発声障害)の日々から
事実上の卒業です。


以前の私がそうだったのですが
手術をされた方のブログを読んでは
実際の声を聞いたことがないので
自分自身も少々不安ではありました。
一体どんな感じの声になるのか?

前記事でも触れましたが
私の場合、


別人


になりました


自分でもそう思います(笑



声のトーンはやや高く
ややハスキーボイス。
高いといっても甲高い声ではありません。
自分で言うのもなんですが
やさしい感じになったかな~
って思います。
(個人的な感想です)


注射治療をされた方はなんとなく想像できるかと思いますが
注射を打った後のような
そんな感じの声です。


声の詰まりも途切れも震えもなく
声を出すことがとても気持ち良いです。
しいて言えば
私の場合、声帯を広げすぎ?たかもしれません。
それにより、声の擦(かす)れが強いです。
ハスキーボイスといえば聞こえはいいですが
人によっては
カラオケで歌いすぎ?
風邪ひいた?
なんて
そんな風に私の声を感じる人もいるようです。
昨年仕事中に
見知らぬおっちゃんからいじられました(苦笑


声の質をとるか
心地よさをとるか

手術をする際、これが一番の迷いかもしれません。


私は「心地よさ」を選択したのです。

その結果、擦れが強く出てしまいました。
声量も落ちたので、遠くにいる人に呼びかけても届きません。

けれど
何も後悔はありません。

日々の会話がスムーズになり
電話も恐怖ではなくなりました。
声を出すことが気持ち良いのです。
おかげでおしゃべりになってしまいました(苦笑


あとは
咳をしたりくしゃみをする時にやや違和感があります。
なんだか何処かでせき止められてるような?
声帯をチタンで固定しているので
その影響ではないかと思われます。
これは想定内ではありましたが
くしゃみが特に、、、
なんか変(笑
支障があるほどではありませんのでご安心を。


こうして
微妙な変化はあるものの
今、私は新しい声で人生を歩んでいます。
周囲の方々はこの声にすっかり慣れたようで
手術をした事すら忘れてしまうほどです。


けれど
あの日々の事は忘れません。

沢山悔しい思いをして沢山泣いて
でも
この病気になったからこそ得たものも
沢山あります。





余談ですが
久しぶりにギターの弾き語りをしてみました。

記念に録音などもしてみました。


なんとか歌になってるかな?(笑


お約束は出来ませんが
気が向いたらYOUTUBEにアップするかもしれません。


その時は


苦笑して下さいね~











入院ライフ~退院

2017-07-08 01:11:41 | 痙攣性発声障害





手術を終えて翌日から一週間の発声禁止。
声を出してはいけない入院ライフが始まりました。

熱も下がり吐き気も治まり
手術の翌日から食事を摂る事が出来た...確かそんな記憶(^^;)

退院まで独り気ままな入院ライフ。
パソコンを持ち込んでおいてよかったです。
とにかく暇、暇、暇。
術後の消毒や検診など
やる事はあるのですが
それ以外は自由時間。

喉以外は元気なので
病院内をウロウロしてました。

窓から見える富士山が
それはそれは絶景で、、、
毎日の楽しみになりましたね。
それと
院内食も楽しみだった(#^^#)

肝心の喉はというと
痛みもないし
食事も出来るし
不自由な事といえば入浴がしばらく出来なかったことかな?
傷口を濡らしてはいけなかったので。


発声禁止から一週間
やっと声を出せる日が来ました。


診察の時、恐る恐る声を出す私。


あー(発声中、、、


出た~!!


かよわいけど声が出た。


生まれ変わった私の産声。


なんとソフトでやさしい声色でしょう。

この声でこれから生きてゆくのかあ~
と、
何とも言えない不思議な感情。



手術を終えて一週間。
もうすぐ退院。


なんだか名残り惜しいような
寂しいような
暇だけどもう少し入院していたいな~
なんて
非日常の暮らしにすっかり未練たらたらです。


術後の経過も順調、
医師から退院のOKを頂き
こうして私の入院ライフは無事に終りました。



手術から1年以上経ってしまっているので
記憶が曖昧です、、、
多少、記憶違いがあるかもしれません。
記録をノートにとっておけばよかった。
すみません

とにかくこんな感じで
大きなトラブルもなく、いつもの日常に戻った私です。


声を出すことがこれほど心地よく楽しいものだったのか、、、
数年ぶりに味わったこの感覚。
当たり前の事なのに
そうじゃない経験をした日々が
過去のものとなってゆく。


しかし
変わってしまった私の声。


別人です。






つづく





















入院~手術

2017-06-28 01:41:22 | 痙攣性発声障害





入院当日。

この日は雪のため、朝から交通網が乱れ、
電車も運転を見合わせるほど。
主人の運転する車で何とか予定の時刻に間に合いました。


4人部屋の廊下側。
皆さん、病名が違います。
この病室は耳鼻咽喉科だけではないのですね、
安静が必要な方もあり、
静かな病室でした。

私も声を出すことが出来なくなるので
環境としてはよかったかな、って思います。

術後には発声が禁止になるので
筆談できるようにホワイトボードを持ち込み、
パソコンも家から持参しました。
どちらも重宝しました。


記憶が曖昧なのですが
入院して翌日には手術だったような?
そんな記憶(^^;)

いよいよ
この声ともお別れなんだな~という
少しの寂しさと
少しのワクワクと、、、
わりと冷静な私がいました。



そして


手術当日。



自宅から遠かったので、家族も付き添わず
私は独りでこの日を迎えました。


予定時刻よりかなり遅れて私は手術室へ。
とても寒かったのを覚えています。
部分麻酔なので術中の段取りやら全て聞こえちゃいました(笑
音楽でも流れていたら、もう少しリラックス出来たかも。
あ、
麻酔のおかげで
痛みはありませんでしたよ。
なんかやってるな~ってぐらい、全く痛みはゼロです。

声を出しながら
何度か調整していただき
一番しっくりくるというか、心地よい所でチタンを固定。
この判断は迷いました。
後日、また詳しく書けたらと思います。

無事に手術を終え
車いすで私は病室に戻りました。


その夜は発熱と嘔吐で幾度かナースコール。
この時もホワイトボードが重宝しました。
痛いのか、苦しいのか、気持ち悪いのかetc、
声が出ないと伝える事も出来ないので
とても助かりました。

それにしても
しんどい夜だった。


ここから一週間発声禁止。

たった一人の暇な入院生活の始まり(笑



私の声はどうなっているのか?

ちゃんと出るのだろうか?


不安を感じつつも
手術を終えた事で
ホッとして、、、


これからのんびり過ごせる入院ライフが
楽しみな私でありました。





つづく





















手術へ

2017-06-20 01:52:57 | 痙攣性発声障害






いよいよ私は手術へと
大きな人生の転機を迎えました。


再び紹介状を持って、とある大きな病院へ向かいました。

私がこの運命の病院にたどり着くまで
どれほどの時間を過ごした事でしょう。
この病気を発症して10年は経過しています。
まさか手術を選択するとは
我ながら大きな決断をしたな、って
今でも思います。


機は熟した、
そんな心境だったのかもしれません。


実は私が受けたのは治験手術です。
運よく治験の期間に間に合いその枠に入る事が出来ました。
治験ということで、
守秘義務がありますので
ここでは手術に関しての詳細は詳しく書くことは出来ません。
けれど
ギリギリ書けるとこまでがんばりますね(^^;)


紹介状を持って初めて訪れた運命の病院。


2015年秋。


もう迷いはありません。



病院では
一通りの検査をしました。

現在の声の録音だったり、色々、、、

言語聴覚士さんがとってもオモロイ方だった(笑
手術中も付き添ってくれて
心強かったです。


何回か検査を繰り返し
私はいよいよ手術へ踏み出します。



2016年1月。



お正月気分もそこそこに
手術の準備も整いました。




つづく















手術の決断②

2017-06-09 01:09:34 | 痙攣性発声障害




紹介状を持って、私は都内のとある大きな病院へ向かいました。

この病院は以前娘が入院したことがあり
何度か足を運んでいたので病院へのアクセスもスムーズでした。
そして偶然にも
私が数年前にほかの病院で甲状腺の手術をした時の執刀医が
古巣のこの病院に戻っていたのでした。
会うことは出来ませんでしたが。
余談でした(笑


紹介状を持って担当の医師を尋ねると
快く話を聞いてくださり
研究チーム?の医師の方々もやさしかったです。


ところが
ここで一つ難題が。

私の希望しているチタンで声帯を固定する手術が
現在(当時です)中止しているという事でした。
事情はここでは書けませんが
そういうことでした。

もう一つの手術法、
声帯筋を削る?手術なら出来ると。(あまり知識ないのでアバウトですが)
そんな内容のお話でした。
何年も前の事なのでうろ覚え

私はチタンで固定する手術を希望していたので
残念ながら、こちらの病院での手術はあきらめました。

けれど
幸いなことに
担当の医師から、私の希望する手術法をしている病院を紹介してもらう事が出来ました。
少し遠いけど大丈夫?
って心配してくれましたが
この際手術を受けられるなら何処でも行くつもりでしたので
即答しました。「大丈夫です!」
家から電車で3時間半ほどの処です。
それほど遠い距離でもないですね。


帰り際、
担当の医師が
「何かあったら相談して下さい」
って、名前の書いた付箋を私に下さいました。
とても心強かったです。
やさしい言葉と笑顔が今も脳裏に焼き付いています。
本当にありがとうございました。


ようやく私は
手術に向けて大きな一歩を踏み出すことが出来ました。


2015年、秋の終り。

季節は冬へと変わる頃。

だったと思う(笑


紹介先の病院との出逢いは
私の痙攣性発声障害の日々に
ピリオドを打ってくれる
大きな運命の出逢いになりました。


いよいよ

手術です。



つづく、、、



















手術の決断

2017-06-02 02:33:55 | 痙攣性発声障害





手術を決断した理由。

それは
これからの人生を考えたから。

ボツリヌストキシン注射を定期的に打っていた頃は
手術の事など他人事でした。
注射は効果のある時もあれば、あまり効果のない時もあった。
けれど
それでも注射はしないよりましで
私にとっては遥かに生活レベルが向上する手ごたえを感じていました。

注射をして何週間か経過すると
声がだんだんと出しにくい状況にもなりましたが
いつの間にかそんな状況に慣れてしまって
自分の声の変化を楽しんでいるような私もいました。

声が出しにくい事は不便な事もありますが
メリットもそれなりにあったんです。

ずるい私は
声が出にくくなると
病気を患っている患者さんになれたので
病気である私を特別扱いしてくれる周囲の優しさに
甘える事が出来たのです。

例えば
職場では電話に出なくても同僚がフォローしてくれる、
買い物に行けば注文をするときに
声が出にくいから面倒なので口パクでアピールする、
すると
店員さんは障害のあることに気付いてくれ
とてもやさしい対応をして下さる方がほとんど。

そんな周囲のやさしさに酔いしれてる自分がいたのかもしれません。
おかしな話ですが、、、


けれど
それは一時的な事だからこその快感です。

注射を打って発声障害が軽減される日があったから
障害のない日々、障害のある日々を
楽しむことが出来たのかもしれません。


当たり前のように注射を定期的に打ちに行き
そんな生活が何年も続いたある日
私は考えたのです。


今はいいけど
この先、一生注射を打ちに病院に通えるのだろうか?


年齢を重ねるにつれ
真剣に考えるようになりました。


通院はもちろん
費用の事も。


日を追うごとに、現実的に考えるようになりました。


そして

決断したのです。



手術しようと。



お世話になっているK先生に相談して
紹介状を書いていただき
私はある病院に出かけました。



つづく



















手術から1年ちょい過ぎました。

2017-06-01 02:36:08 | 痙攣性発声障害





長い間患っていた発声障害。
正式には「痙攣性発声障害」という世間では珍しい病気。


昨年の1月に手術を終え、そろそろ1年と4か月が過ぎました。


一度は辞めてしまったブログではありますが
久しぶりにブログの存在を思い出し
手術関連の記事を残そうと再びパソコンに向かっています。


相変わらず夜更かし癖が治りません

けれど発声障害は治った

と思えるような日々を現在送っております。



この記録を残す事で
いつか誰かの参考になってもらえたらいいな~、って思います。


すっかり夜も更けましたので
また後日
少しずつ書いてゆけたらと思います。



サポートして頂いた全ての方に感謝いたします。
ありがとうございます。



今夜はこれで


おやすみなさい










あえて楽しむ

2015-02-22 00:00:49 | 痙攣性発声障害


     


ストレスとどう共存してゆくか・・・

最近の私は家庭内事情やその他で
ストレスがずっと続いており
胃薬を手放せません

原因は自分でわかっているので
これが解決されればストレスもかなり軽減するはずだけど・・・
それがいつになるのか全くわかりません・・・
自分ではどうにもできない問題なので
いかにそのストレスと付き合ってゆくか・・・
と言うより、共存してゆくか。

たどり着いたのは

「あえて楽しむ」

気分が乗らなくて落ちていたとしても
あえて楽しい事を探して、そこに気持ちをシフトする事。

そうでもしなければ
どうにかなってしまいそうなので・・・。

今日は地域のイベントでフルートの演奏をしてきました

半年間、サークルをお休みしていたので
他のメンバーの足を引っ張らないように
吹けるところだけ吹いてきました

完璧を目指すよりも楽しむ事に重点を置いて。

久しぶりの人前での演奏、
とてもよい刺激になったし、楽しかった。
参加してよかったな、って思います。
下手なフルート吹きではありますが、
こんな私を受け入れてくれる仲間に感謝しています。
ありがとうございます


2週間前に声帯注射へ行ってきたので
只今、声の変化中・・・です

私の声を聴いたサークルメンバーは
「風邪ひいたの?」
「声、どうしたの?」
なんて、心配してくれて、
注射をしたあとは、少々面倒です

でも、
この注射も今回で最後になると思います。

手術は結局、当初予定していた病院ではなく
T大病院に決めました。

来週、お世話になっているK先生が時間を作って下さったので
いろいろお話が出来ると思います。
紹介状もその時に頂ける予定。

ここまで、長い長い道のりでしたが
やっと手術への決心がつきました。


どうなるかはわからないけれど
その時はその時、

そんな気持ちで

あえて楽しい事を考えながら生きてゆく方が
結果的にプラスの方向へ動いてゆくような気がします。


うん


それでいい   










  

今の心境

2015-01-30 21:53:31 | 痙攣性発声障害


     


久しぶりに真面目にSD関連の記事を読みあさっています。

最近は全く病気関連の情報収集などしていなかったので
この数年、ずいぶんとSD関連の記事が増えてるなー
少々驚きです。

情報は増えたけど
手術関連の記事はまだまだ少ない気がする・・・

手術と言うと
やはり有名な京都のあの先生の所なんでしょうけど
私は東京の某大学病院にしようかと思っています。

しかし
情報が少ない・・・。

もともとこの病気自体が珍しいものなので
仕方ないけどね~・・・

一生注射でがんばろうと思ったけど
やはり手術にしたかー
と、自分の決定が何故か他人事のように現実味がイマイチ。

決めたものの
なんとなく迷いが生じ、
声の調子のよい時になると
手術なんか必要ないんじゃない?ってもう一人の私が囁きます。
正直、手術なんてしたくないし、面倒でもあり
このままでもいいかなーなんて思う事もある。

でも
電話を切り終えた後
そんな気持ちはぶっ飛びます・・・。

今日も実家の母と1時間くらい電話で話したけれど
最後の方は呼吸困難になりそうだった・・・
とにかく声を出すのが苦しい・・・。
どんどん声が弱ってゆくのを自覚しながら
電話を一刻も早く切りたくなった。


もうこんな日々とはおさらばしたいです


上手くいけば来週あたり紹介状をもらえるはず。


しかし

幾つ病院行ったかなー これまで


これが最終関門かー?