第十首
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これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも あふ坂の関
蟬丸
(生没年不詳) 宇多天皇の皇子に仕えた雑色、または醍醐天皇の皇子という説がある。
部位 雑 出典 後撰集
主題
人々が出逢っては別れる、逢坂の関に寄せる感慨
歌意
これが都(京都)から東へ下っていく人も、都へ帰ってくる人も、顔見知りの人もそうでない人も逢っては別れ、別れては逢うというこの名の通りの逢坂の関なのだなあ。
「これやこの」「行も帰るも」「しるもしらぬも」と畳みかけた語法は、当時の一つの流行であったようです。
定家も、「会者定離の心」(会ったものは必ず別離するという心)という仏教の無常感をともなって鑑賞されていたかと思われます。
『後撰集』の詞書によれば、逢坂の関のほとりに住んでいた隠者で、ほぼその時代の人と考えられる。