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密教と言えば、密教画としてのマンダラの世界にも思いが行きます。
「マンダラ」は本質を有するもの、本質的なものという意味で、仏教において「本質的なもの」とは「仏」以外にありえないから、「マンダラ」とは「仏と本質を同じくするもの」、「本質上仏と同じもの」ということになります。仏の世界を描いたもの、それがマンダラです。 さまざまなマンダラがありますが、有名な東寺の「大曼荼羅」である、両界曼荼羅のうち「胎蔵曼荼羅」について調べてみました。
胎蔵界曼荼羅は大日経によって描かれたもので、詳しくは大悲胎蔵生曼荼羅といい、生をえた胎児が母胎の中に育まれ、すこやかに成長してゆくように、大悲の種を宿した人間の心が、時あって内奥に潜む清浄な菩提心に目覚め、悟りの世界に導かれてゆく、人間の魂の展開図であるということです。
その曼陀羅図の中心ですが、八葉の蓮花の花が満開し、大日如来を中心に花びらの上に四仏、四菩薩が配されています。それは、釈尊が悟りの境地に入ることができたように、人は誰でも仏になりうる性をもつため、ひとたび迷いの心をかき消せば、心の内奥の菩提心が花開き、凡夫の胸にも仏の世界が開かれるという、人間の心の真実の姿を、仏像をかりて具現したものなのです。
その中心の中台八葉院の周りには何層かの院があり、それぞれにさまざまな菩薩や神々が描かれています。
また、密教では、如来の変化身とされるさまざまな明王が登場します。そのなかで、「お不動さん」の名で親しまれている不動明王は広く知られ、真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
お不動さまのお姿は、怖い顔をしていますが、煩悩にまみれた救い難い者をこそ救うため、また、仏道の妨げになるよこしまな心を断つため、勇ましい出で立ちをしておられるということです。
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『弘法大師空海について』。どれだけ、弘法大師空海について理解できたかおぼつかない私です。ただ、幼かった頃、遊んだお寺の境内でしたが、そのお寺が真言宗であり、ふと、空海について思いがいったということ。四国巡礼の地から遠く離れていますが、密教とはなにか、改めて知る契機となり、空海について知ることは、日本という国のひとつの歴史について知ることとなり、仏教について改めて考えさせられた私ではあります。
空海生誕1250年。二十一世紀になった今、空海の残した足跡は今にあり、これからもあたたかく同行二人のおもいで日本を見守っていてくれるのではないでしょうか。