不思議活性

信仰と宗教について



 信仰についてですが、自分自身の本質にかかわることであり、他から強制されるものではありません。
 信仰に関連して、世の中には様々な宗教がありますが、様々な宗教の教えが絶対化されると、そこに妥協のない争いが生じて、例えば、イスラムとキリスト教の十字軍にみられる何百年に及ぶ争い、インドにおけるヒンズー教とイスラムの争いなど・・・・。世界の諸宗教は人に愛を説き、人類同盟を説きつつ、人類を争いにまきこんでいます。
 そのような宗教は、必要ないではと思ってしまいます・・・・。

 ところで仏教ですが、仏教は他の宗教を迫害しようとしたり、戦いをしかけたりしたことはないように思います。その仏教の教えに、輪廻転生・再生があります。

 仏教、ヒンズー教ですが、雨が多く、森林、植物が繁茂し、食物、果物に恵まれた自然の中で生活する人間にとって、自然は生命に満ち溢れ、永遠に再生を繰り返す。このような自然の中では、人間は大自然の力に抱かれて育ってゆく自分を自覚し、人間を含めて凡ての生命は大自然の生命力の顕現であり、宇宙も人間も山川草木も全て同胞であり、同じ宇宙生命から生まれ出たものという実感をもつ。このような自然の中では、すべての生命は再生するものとうけとられるのでしょう。

 一方、ユダヤ教は、現代に伝わっているセム教系宗教、砂漠の主教の最も古いものであり、キリスト教、イスラム教はこのユダヤ教から派生したものであり、ユダヤ教は、人間や動植物に生命をもたらす神ヤハウェを宇宙創造の神と崇める一神教へと進化しました。宇宙は創造されたものであるから、必ず終末がある。それが終末論となり、終末論の下では、何回も輪廻転生する余裕はなく、セム族系宗教では一般的に、神、魂を純粋な精神的なものと考え、物を悪魔的なもの、精神を汚すものと見なす傾向が強いので、この教えの下では、身体をもって存在するこの世へ再生することを嫌う傾向が強いようです。
(もっとも、今の西洋思想化されたキリスト教は再生を認めないが、キリスト自身は聖書の中で、洗礼のヨハネは預言者エリアの再生であることを暗示していて、キリストには、再生は事実であったと思われるのでは・・・・。)

    * * * * * * * *

 話は最初に戻り、信仰とは、誰かに強制されるのではなく、おのずから神を求める人なのですね。安東民氏いわく、「神を求める人々が、神とはこの宇宙を創造した唯一の実在であり、<人の子>もまた永遠な生命体である魂をもつものであり、魂とは、どこまでも自らの自由意志をもった肉眼では誰の目にも見えない想念体であることを思い浮べるとき、<人の子>は<神の子>であることを悟るのでしょう。」
 
 また、イエス・キリストの最も大切な教えは、「神を愛すること、そして、自分を愛するように人を愛することです。」
 この言葉は、仏教にも当てはまりますね。それぞれ縁ある宗教に関わっているとしたら、戦争を正当化するよりは、平和を保つものでなければならないことは、言わずもがなですね・・・・。


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