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青い地球でのぼくのブログより。
『体外離脱について』
体外離脱、あるいは幽体離脱についてですが、だれもが、意識して体外離脱を経験するならば、私とは、この肉体に縛られない存在であるのだと理解するのでしょうか。
現実の生活では、いろいろと人間関係で疲れます。時には、もっと自由になれたらなと思ったりします・・・・。
ときに、人間は、誰もが夜眠りに入ると、夢うつつのうちに肉体から離れて、異界をさまよっているといいます。しかし、次元の壁を越えるときには意識を喪失して、朝、起きるときには、その事実を覚えていないということです。
ぼくも思うのです。夜、深い眠りに落ちると、ときどき夢をみるのです。その夢のなかに現れる父さん・母さん。ぼくも今より若く、父さんも病気になる前の元気な姿です。夢のなかで幽体だけになったぼくは、同じく幽体である父さんと会っているのではと・・・・。
ところで、心。辞典には、知・情・意のはたらき。意識。精神。とあります。
心って目には見えないけど、あるからこそ、私たちは、いろいろと感じたり、判断して生きているのでしょう。で、心って、「胸が痛む」というように、心は胸のなか・心臓のあたりにあるのではと思うのですが。そして、心は頭のなかの頭脳とつながっていて、心の思いが第三の目といわれる松果体から想念あるいは・思考波動となって発信されているのでは・・・・。
そして、魂・こころは宇宙の潜在意識とつながっていて・・・・。前世で経験された出来事が記憶や印象として貯えられるのでしょう。そう、いろいろな直感やひらめきは、宇宙意識の中から生じてきた想念といえるのでしょうか。
『ふと、思うこと・・・』
先日、親しい人の死に出会いました。その亡きがらは、まさしく亡きがらであり、その実体はどこへ行ってしまったのでしょう。
ぼくはふと、自分をかえりみて、この世に生きるとはどういうことなのかと・・・・。そう、肉体の寿命がつきれば、この世とはサヨナラなのだ。亡くなった後も、自分を思い出す人が幾人いるだろうか?そう、他人がどう思うかより、今を生きている自分自身に自分が納得できればいいのではと思うのですが・・・・。
でも、ときに、生きて行くということは大変です。最低でも、衣食住を確保して、保険にも入り、さまざまな税金をおさめなくてはなりません。電気、ガス、水道代等を払っていくだけでも大変です。今の世の中、学校の授業料を払うのもままならないという人も多いと思います。なかなか、職につけない世の中ですから・・・・。
ふと、若かかりし頃、書いた一篇の詩の紹介です。
『風と星と・・・』
遠い昔
ひとりの少女は
ひとつの星となり
静かな町を照らした。
家々の灯とともに
悲しみがともり
車の灯も
悲しみを持って
走り抜ける。
そこそこと
帰路に着く人々は
交差点の信号に
立ち止まり
素知らぬ顔は
楽しい会話。
涙をぬぐう
瞳は
暗闇に
部屋の灯は
開け放された扉から
迎える。
この記事へのコメントです。
「自分を覚えていてくれる人が例え居なかったとしても、やはり、ふうちゃんのように、自分が自分に納得できる人生というものを過ごし、消えていきたいです。一生一回きりの人生で、この自分になれたことを嬉しく思います。」
留美子2010年05月24日
「本当にお久しぶりです。覚えていますか?
親しかった先輩が、こないだ病気で亡くなってしまいました。
人生で初めて、人の死というものに触れました。
昨日までここに居たのに、消えてしまうのですね...
肉体はあるのに、先輩自身は何処へ行ってしまったのでしょうか。
この記事を読んで、改めて思ったことですw」
真白2010年05月30日
ぼくの、返事でした。
「留美子さん、コメントありがとうございます。
みんな還るところは同じだと思いますが、こうして今を生きている自分を大切にしたいです。」
「真白さん、久しぶりです。みんなわからなくても、魂の輪廻転生を信じるぼくです。今の世は一回かぎりですが、魂はあの世からこの世を見まもったり、この世に生まれ変わるんだと思えれば、生きているって素敵なことだと思うのです。」
2010年05月30日
・この『トアール星と地球』のお話、続きは次回のお楽しみに・・・・。