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(けわしくも刻むこころの峯々に いま咲きそむるマグノリアかも。)斯う云う声がどこからかはっきり聞えて来ました。諒安は心も明るくあたりを見まわしました。
すぐ向うに一本の大きなほおの木がありました。その下に二人の子供が幹を間にして立っているのでした。
(ああさっきから歌っていたのはあの子供らだ。けれどもあれはどうもただの子供らではないぞ。)諒安はよくそっちを見ました。
その子供らは羅(うすもの)をつけ瓔珞(ようらく)をかざり日光に光り、すべて断食のあけがたの夢のようでした。ところがさっきの歌はその子供らでもないようでした。それは一人の子供がさっきよりずうっと細い声でマグノリアの木の梢を見あげながら歌い出したからです。
「サンタ、マグノリア、
枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
向う側の子が答えました。
「天に飛びたつ銀の鳩(はと)。」
こちらの子がまたうたいました。
「セント、マグノリア、
枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
「天からおりた天の鳩。」
諒安はしずかに進んで行きました。
「マグノリアの木は寂静印(じゃくじょういん)です。ここはどこですか。」
「私たちにはわかりません。」一人の子がつつましく賢こそうな眼をあげながら答えました。
「そうです、マグノリアの木は寂静印です。」
強いはっきりした声が諒安のうしろでしました。諒安は急いでふり向むきました。子供らと同じなりをした丁度諒安と同じくらいの人がまっすぐに立ってわらっていました。
「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」
「ええ、私です。又あなたです。なぜなら私というものも又あなたが感じているのですから。」
「そうです、ありがとう、私です、又あなたです。なぜなら私というものも又あなたの中にあるのですから。」
その人は笑いました。諒安と二人ははじめて軽く礼をしました。
「ほんとうにここは平らですね。」諒安はうしろの方のうつくしい黄金の草の高原を見ながら云いました。その人は笑いました。
「ええ、平らです、けれどもここの平らかさはけわしさに対する平らさです。ほんとうの平らさではありません。」
「そうです。それは私がけわしい山谷を渡ったから平らなのです。」
「ごらんなさい、そのけわしい山谷にいまいちめんにマグノリアが咲いています。」
「ええ、ありがとう、ですからマグノリアの木は寂静です。あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。あのかおりは覚者たちの尊い偈(げ)を人に送ります。」
「それはみんな善です。」
「誰の善ですか。」諒安はも一度その美しい黄金の高原とけわしい山谷の刻みの中のマグノリアとを見ながらたずねました。
「覚者の善です。」その人の影は紫いろで透明に草に落ちていました。
「そうです、そしてまた私どもの善です。覚者の善は絶対です。それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や饑饉や疫病やみんな覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善で又私どもの善です。」
諒安とその人と二人はまた恭しく礼をしました。
・『マグノリアの木』いかがでしたか。私は少し考えてみました。その日のあたるところは銀と見え陰になるところは雪のきれと思われたマグノリアの描写なんかは、いつもの賢治童話ですが・・・・。
覚者の善であるマグノリアの木。マグノリアのかおりは覚者たちの尊い偈であり、マグノリアの木は寂静印です。などと、宗教的な世界が描写されているのです。思えば、それは賢治が描いたひとつの理想の世界であったのかも・・・・。