先日、ふるさとの佐久市立近代美術館で、『平山郁夫のスケッチ帖―仏教の来た道・シルクロードをたどる旅』展を見てきました。
本展は、平山郁夫シルクロード美術館の協力により、没後に残された約600冊のスケッチ帖の中から、ライフワークとなった玄奘三蔵の足跡をたどるシルクロードの旅で描かれたスケッチ帖の一部と、それらを元に制作した素描や大下図、平山が収集したシルクロードコレクションなどが展示されていました。
今回、幸運なことに展示作品の写真撮影ができましたので、いくつかの作品の紹介です。
ところで、1980年頃、話題になった「シルクロード 絲綢之路」についてですが。シルクロードの始まりは、紀元前114年頃に漢王朝が中央アジアに進出し、かつて未開の地であったこの地域をほぼ平定したことによります。唐の都・長安(西安)は、シルクロードによって結ばれた東西文明交流の坩堝(るつぼ)でありました。秦の始皇帝の地底宮殿から発見された数千体の兵馬俑坑(へいばようこう)、シルクロードの開拓者・張騫(ちょうけん)の墓、高宗と則天武后が眠る世界最大の墓・乾陵(けんりょう)、中国に仏教を伝えた玄奘(げんじょう)法師が建立した興教寺やイスラム教寺院など西域文化の遺跡があります。
広大なユーラシア大陸には壮大なロマンがあり、点がやがて線となって行きます。インドの仏教に西からのヘレニズム文化が融合し、ガンダーラ仏のすばらしい美術が生まれ、文明の十字路である中央アジアは、いわば、東西文化交流の場であったのです。
「インド 仏像 玄奘三蔵への道」1969-1970年 スケッチ
「ガンダーラの旅 玄奘三蔵への道」1979年 スケッチ
「アフガニスタン バーミヤン カブール」2002年 スケッチ
「仏教伝来」 1959年
インドでの修行を終えて、仏教を伝えるために玄奘三蔵が自国に帰り着いた場面のようです。自ら死を予感するような経験をしてきただけに、法師の苦しみが実感を伴い、実感があるからこそ描けたといいます。
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平山郁夫さんは、中学三年生のとき、広島の原爆に遭っています。その頃は、別に絵描きになろうと考えていなかったようですが、後日、シルクロードの画家として知られることになりました。
私はなぜか、ゴッホやシャガールなど西洋の画家ばかりに親しみを感じていたのですが、今回、『平山郁夫のスケッチ帖―仏教の来た道・シルクロードをたどる旅』展に出会い、日本人としてのルーツと誇りのようなものを感じました。
今、平山郁夫・自伝的画文集『道遥か』をみているのですが、「卑弥呼幻想」1967年の絵に、とても惹かれます。
それから、シルクロードへ、そして世界へです・・・・。